Promised Name  僕の目の前に、大きな灰色の壁が立ちはだかる。それはとても巨大で、上の方がよく見えない程だ。この壁は、世界を分けるものであり、人々の心を隔てるものである。  僕は、ゆっくりとその壁の門へと近づいた。その門は、周りの霧を十分と吸い込み、鈍く光っている。 「あの、すみません。ここを通りたいのですが」  僕は、その門の傍らに作られた兵士の詰所を覗き込み、中の兵士を呼んだ。 「なんだ?許可証は?」三人いる兵士のうち、一番階級が下だと思われる者が、面倒そうに答えた。 「はい。ここにあります。日本政府と東京暫定自治政府の許可印もあります」僕は、鞄から取り出した紙切れを、兵士に見せた。 「どれどれ。ふむ、確かに。それで、あなたはどういった目的で東京に行くのか?」 「ええ、ある人を向かえに。待っているんです。僕の大切な人が」 *  二○五五年六月。一つの放送が開戦を伝えた。本当に突然のことだった。その年の始めに共産政権が倒れ極右政権を誕生させた中国が、台湾にミサイル兵器による攻撃を加えたのだった。それは、史上初の中性子爆弾による攻撃だった。台北市民の多数は一瞬にして絶命し、彼らの残した建物だけが、攻撃前と同じ姿を保っていた。  同年八月。合衆国を始めとする連合国軍が、中国に占領された台北を解放すべく、参戦した。しかし、結果は限定核攻撃による世界規模の破滅を導いただけだった。もちろん、日本も極東有事協定により、自衛隊を派遣していた為、東京を始め札幌、仙台、大阪、神戸、博多等、多くの都市が攻撃された。特に東京は水爆の攻撃を受けた後、人民解放軍が上陸し、あっけなく占領された。  それから、四か月後。連合国側と中国は休戦協定を締結した。今、東京は中国政府と国連の監視のもと、暫定自治政府を設立し表面上は平静を保ちつつある。また、日本政府は静岡に臨時政府を移動させ、東京奪回への道を模索している。  そして今、東京はこう呼ばれている。「失われた楽園」と。 * 「ふう。やっと、東京に入れた。以前よりもチェックが厳しいな。いくらサブマシンガンとは言え、スタン弾しか入ってないこいつの所持理由を何度も聞くんだもんな」  僕は、コートの下に隠してあるサブマシンガンを握り締めた。せめて、これぐらいは持ち歩かないと、東京なんて恐ろしくて歩けない。 「さて、行くとするか」僕は、そう言うと彼女の待つ場所へと急いだ。  彼女との出会いは、本当に偶然だった。何か見えない力が働いているのでは、と思える程その出会いは不思議なものだった。  僕は今から二か月前、そう休戦協定が締結されてからすぐに、東京にいる友人を訪ねた。別にそんなに親しい友人ではなかったが、『東京で不足している電子部品を譲ってくれ』との電子メールをもらい、また「東京の現状を知りたい」と言う好奇心もあったため、訪ねることにしたのだ。 * 「やあ、わざわざありがとう。長い旅路、さぞ疲れただろう。さあさあ、あがってあがって」  僕は、戦争が起きて以来、初めて彼に出会った。人なつっこい笑顔に、少々低めの背。外見は以前と少しも変わらず、元気そうだ。少し疲れている印象があるが、それは極限状態を体験したのだから仕方が無い。 「久しぶりだなあ、鈴木。ほら、GM計数管を5ダース持ってきたぜ。これで、ガイガーカウンターでも作るのか?」僕は、鞄からボール紙でできた小さな箱を五つ出した。その一つを開け、中に入っている小指ほどのガラス管を鈴木に見せた。 「いやあ。よく手に入ったなあ。感謝するよ。そう、これでガイガーカウンターを作ろうと考えているんだ。まだ、この辺でも高濃度の放射能に汚染されている場所もあるんでね」 「まあ、そうだよなあ。カウンターがあれば、必要以上に危険な地区には近づかずにすむし。でも、国連から支給が無いのか?」僕はその小さなガラス管を箱に戻すと、全ての箱を鈴木に手渡した。 「ダメだよ、奴らは。効きもしないヨウ素剤を配るぐらいだ」 「ふーん。そうなのかあ」  それから、僕は鈴木から報酬の金を受け取ると、ブラブラと街を歩いてみることにした。鈴木は「付き合おうか?」と言ったが、僕は断わった。一人で、この東京の現状を把握しておきたい。  周りには、ろくな建物が無かった。あるのは核攻撃後に建てられたと思われる、ちゃちな平屋ばかりだった。これが東洋で一番栄えた都市とはな。無常感を感じる。たしかこの周辺は戦前、上野と呼ばれていて、それなりに栄えていたはずなのに。  しばらく歩くと、前方に畑のようなものが見えた。おそらく、生き残った住民が勝手に作ったものだろう。しかし、こんな赤茶けた、汚染されている大地で作物なんか育つのだろうか?僕は好奇心にかられ、その畑へと向かった。  その畑では、一生懸命に幼い女の子が水をまいていた。その女の子は水をまき終えるとしゃがみ込み、なにやら地面に向かって話しかけている。 「なんで、みんな、めをだしてくれないの?なんで、そだってくれないの?なんで、なんで・・・」  そう言うと女の子は、両目を擦りながら大声で泣き出した。僕は、反射的にその女の子の傍へと走った。 「ほらほら、どうしたんだ?なんで泣いているんだ?良かったら、話してごらん」僕は、しゃがみ込み、その女の子の頭を撫でながら聞いた。 「えっぐ、えっぐ・・・。おにいちゃん、だれ?」女の子は、真っ赤な目をこちらに向けながら聞いた。 「ああ、僕?うーん、ただの通行人だよ。東京の外から来たんだ」 「おなまえは?」 「ヒロユキって言うんだ。君は?」 「じゅりあ。じゅりあっていうの」 「へー。じゅりあちゃんか。可愛い名前だね。それで、どうして、じゅりあちゃんは泣いているのかな?」僕は、鞄からハンカチを取りだし、じゅりあの涙を拭いてあげた。 「あのね、ぜんぜん、おはなさんのめがでないの。なんかいも、なんかいも、たねをまいているのに」じゅりあは、僕のハンカチを手に取ると小さな手でギュッと握っている。 「そうか、お花さんの芽が出ないのか・・・」  やはり、この大地にはもう、植物を育てる能力が無いんだ。それなのに、じゅりあは健気にも、この赤茶けた大地を信じて種を蒔いている訳か。 「じゅりあちゃん。それはね、バカな大人たちが大地を苛めちゃったからなんだよ。苛めちゃったから、大地が怒っているんだ」僕は、そのサラサラした赤土を手に取り、空中で静かに放った。 「おこっているの?」 「そう、怒っているんだよ」 「じゃあ、たねをまいても、むだなの?」 「いや、そう言う訳じゃない。そうだ、一緒にお兄ちゃんと、また種を蒔いてみようか!そして、二人で大地にお願いしよう!」僕は、この幼く、その辺の大人どもより澄んだやさしい心を持った女の子の希望を壊さないように、そう提案した。 「うんっ!」  それから、僕は地面を掘り返し始めた。慣れない仕事なので、結構きつい。隣を見ると、じゅりあは一生懸命に種を蒔いている。はじめのうちは、どうせこの土地では植物は育たないと思っていたが、彼女と作業を続けるうちに「もしかしたら、芽が出るかもしれない」と考えるようになった。 「おにいちゃんっ!こんどこそ、うまくいくよね!」 「ああ。大丈夫さ」  じゅりあは、そんな僕の返事を聞くとニッコリと満面の笑みをたたえ、再び指で地面に穴を開けては種を蒔いた。  そんな、じゅりあを目を細めながら見ていると、人の近づく足音が聞こえた。 「あなたって、今どき珍しいひとね」突然、後ろから声がする。どうも、若い女性のようだ。 「ああ、そうかい?あまりにも、彼女が一生懸命なんでね・・・。ついつい、手伝ってしまうんだ」僕は、振り向きながら言った。 「と言う事は、まだまだ人間も捨てたものって訳じゃ無いんだね」  僕は、その声の主を確認すると言葉を失った。まるで、教会の中世の壁画から抜け出た天使のように美しい女性だったからだ。その肌は純白よりも白く、その髪は肩より少し上までの長さで漆黒よりも黒い。そして、その瞳も髪と同様に、世界中のどんな闇よりも深い色をしていた。 「ん?どうしたの?私の顔に何かついてる?」彼女が首を若干かしげる。その仕草は、例えようもないほど愛らしいものであった。  全てを守る力強さと純粋な心を持つ少女―  そんな印象を彼女から受けた。 「いや、なっ、なんでもないよ。ところで、君は誰だい?」僕は、赤くなりつつある顔を隠すために、さらに一生懸命に地面を耕し始めた。  彼女は、そんな僕の態度を察してか優しい微笑みを浮かべた。 「私には、特定の名前が無いの。強いて言うなら、SS2431かな。これは、私のシリアルナンバーなの。あと人は、ロボットとか、マリオネットとかドールと呼ぶわ。でも、ロボットは嫌だな・・・」 「えっ?もしかして君は・・・?」  僕は、ある噂を思い出していた。この戦争では初めて「生体ロボット兵器」が使用されたと言う噂をだ。まさか、彼女が?そんなはずはない。だって、ロボットたちは戦争で敵の兵士を顔色変えずに殺しまくったんだろう?そんな、とてもじゃないが、彼女がそんなふうには見えない。 「うん・・・。そう、この前の戦争で使われた生体ロボット『メカニックエンジェル』よ。日本製で生まれてから半年の出来たてなんだから」  彼女は、微笑んで答えていたが、その瞳には悲しみが宿っていた。 「あ・・・。そうなんだ・・・。でも、そんな事関係無いと思うよ。そんな事以前に、君は魅力的な女の子なんだから」  僕の口からは、とっさにそんな言葉が発せられた。その途端、彼女は頬を赤らめた。僕も、彼女に負けないぐらい顔を真っ赤にしている。そう、昔からこうなんだ、僕と言う奴は。思ったことをすぐに口にしてしまう。そのせいで、いつも恥ずかしい思いをする。 「ありがとう。お世辞かもしれないけど、うれしい・・・。そんな風に言われたの、初めてだもん」 「いや、お世辞じゃないよ!」  そう僕が言いかけると、じゅりあが一目散に彼女のもとへと走りよった。 「あー!おねえちゃん!いつきたのー?」じゅりあが、彼女にピョンッと抱きつく。 「今よ。じゅりあちゃん。窓から、じゅりあちゃんと、このお兄ちゃんが頑張っているのが見えたから手伝いに来たの」 「そうなんだあ。でも、もうすぐおわっちゃうよ。おにいちゃんと、がんばったもん」  じゅりあが、僕に向かって微笑む。 「じゃあ、お姉ちゃんの力も借りて、全部やってしまおう」 「うんっ!」  それから、僕ら三人は丁寧に種の上に土をかぶせた。もう、太陽が沈み始めている。 「ねえ、君。じゅりあとは、どういった関係なんだ?」僕が汗を拭いながら、彼女にたずねた。 「え?ええ、私は、三日前から、そこの孤児院で働いているの。子供たちの相手をして。そこに、じゅりあちゃんと住んでいるのよ」そう言うと、彼女は視線を十字架のかかった建物の方へ向けた。 「ああ、そうなのか・・・」僕の気持ちは、突然暗くなった。そうだ、この戦争で親を亡くした子供は何万人といる・・・。 「あ、あのさあ。いつまでも『君』じゃ呼びにくいんだけど。本当に、何か名前は無いのかい?良かったら、僕が考えさせてくれないか?こう見えても、センスあるんだぜ」僕は、その場の暗い雰囲気を打ち砕くため、突拍子もないことを言ってしまった。こりゃあ、いくらなんでも失礼だよなあ。 「え?名前・・・?」彼女は最初、ポカンと僕を見ていたが、僕の真剣な表情を見ると、輝かんばかりの笑みを浮かべた。 「あなたって、本当に変わったひとだねえ。初めてだなあ。ここまで、私の存在を認めてくれたのは。孤児院のシスターでさえ、私に名前を付けるなんてしなかったのに」  そう彼女は言ったが、おそらくシスターが名前を付けようとしなかったのは、失礼にあたると考えたからだろう。 「じゃあ、考えてくれる?」彼女は僕のそばに寄ってきて、顔を覗き込んだ。近くで見れば見るほど、彼女は美しかった。 「そうだなあ。うーん・・・」 「なにしてるの?おにいちゃんと、おねえちゃん」いつのまにか、じゅりあも僕の傍に来ている。 「お兄ちゃんが、私の名前を考えてくれるんだって」 「へええ!どんな、おなまえなのかなあ。すてきな、おなまえだといいねえ」じゅりあも、そのツヤツヤしたほっぺを僕に向ける。  ううむ。余計なことを言ってしまった。めちゃくちゃ緊張するではないか。 「うーん」  僕は、頭を抱えた。すぐ傍で、二人が顔全体に期待を表わしている。 「あ、そうだっ!!」   突然、僕の頭の中で閃光が灯った。 「ミズホってのはどうだい?日本生まれだから日本っぽい名前にしたんだけど。たしか、自衛艦とかにもそんな名前のがあったし」僕はにっこりと微笑んだ。 「え・・・」  その瞬間、彼女の様子が変わった。そう、一気に雰囲気が変わったのだ。その視線は、ただ宙を指し、その瞳には別の世界が映し出されていた。 「ど、どうしたの?なんか、変なことを言った?」僕は焦った。自分が、何か余計なことを言ったのではないかと不安になった。 「ミズホ・・・。なぜだろう。とても、懐かしい感じがする。今、初めて聞いたはずなのに、それが本当の私の名のような気がする。なぜだろう・・・」彼女は、ボーッと僕の方を見ながら言った。 「へえ・・・。どうしてかな。不思議だね・・・。どうする、別の名前を考えようか?」「ううん!ミズホでいいよっ!最高の名前だよ!ありがとうっ!!」彼女はそう言うと、突然、僕に抱きついてきた。 「な・・・!」僕は、ミズホの大胆な行動に驚いた。顔が赤くなるのが分かる。 「みずほ、かあ。いいおなまえでよかったね、おねえちゃん」じゅりあは、僕たちの方を見てニコニコ笑っている。  ミズホは、僕からゆっくりと離れると、潤んだ瞳で僕を見つめた。 「ちょっと、はしゃぎすぎちゃった。ごめんね。でも、とっても嬉しいよ。何故か、これで私が私に、やっとなれそうな気がする」 「いやいや、ここまで喜んでもらえたなんて、こっちも嬉しくなっちゃったよ」  僕は、ふいにミズホのサラサラしている髪を撫でた。一瞬、彼女は驚いた表情をしたがすぐに微笑むと、髪を撫でている僕の手を優しく掴んだ。 「あっ、ごめん。あまりにも奇麗な髪だったから・・・」 「私の髪、好き?だったら、もっと触ってもいいよ」 「あ、もちろん・・・」(好きなのは、髪だけじゃないよ)と言いかけた途端、 「おとりこみちゅう、ごめんなさいなんですけど、はやくたねをまいちゃいません?」と、じゅりあがニコニコしながら言った。  僕とミズホは、その言葉で我に返り、二人とも耳まで真っ赤にした。  それから数十分で、全ての種に土を被せ終えた。もう、太陽は遥か西の方に、少しだけ顔を出している状態だ。宵の明星が見える。 「さて、もう種は蒔き終わったかな。しっかし全部、同じ花の種だったね。これ朝顔だよね、多分。うーん、他のやつは無かったのかい?」僕は両肩を回しながら、背伸びをした。肩がポキポキ鳴る。 「そうね。他の花とかも植えてみたいなあ」ミズホは、ドロドロに汚れたじゅりあ顔を、ハンカチで拭っている。 「ほかのはな?うーん、うえてみたいねえ。でも、たぶんないよー。きょうの、あさがおさんだって、さがすのにくろうしたんだから」じゅりあは、ミズホが顔を拭うのを避けようとしながら言った。 「そうだよな、今の東京じゃ。ごめんごめん。じゃあ、今度、僕が他の花を探しくるよ。そしたら、植えてみよう。きっと、奇麗だぞ」 「わー、たのしみっ」じゅりあは、そう言いながら飛び跳ね続けた。おまけに、なにやら鼻歌まで歌っている。  僕とミズホは、そんなじゅりあの姿を見ながら、地面に腰を降ろした。その途端に、ミズホは僕の肩に頭を寄り掛けてくる。彼女の髪の香りが、僕の鼻腔をくすぐった。 「ねえ、なんだか、あなたとは初めて出会った気がしないの。ずっと昔に出会った様な気がする。でも、それは変だよね。だって、私は生まれてから半年しか経っていないんだもん。それなのに、ずっと昔からの知り合いに様な気がする。」  ミズホが、ゆっくりと僕の方へ顔を向ける。その瞳の色は、周りの光を全て吸収してしまったのではないか、と思えるほど深みがあった。 「そうか・・・。実は、僕も同じ様な気がするんだ。初めて出会った気がしない。何と言えば良いのか・・・」 「じゃあ、もしかしたら。ずっと、ずーっと昔に出会っていたのかも知れないね。でも、本当に今日は、あなたと出会えて良かった。さっきも言ったけど、ここまで私のことを人間として扱ってくれたのは、あなたが初めてよ」  僕は、先ほどの様にミズホの髪を触った。ミズホは目を細めて微笑む。 「ねえ、さっきの話しだけど、もし他の花が手に入ったとして、ちゃんと育つかなあ?」  ミズホはそう言いながら、さらに身体を傾け、僕にすりよってくる。 「そうだな。正直言って、育たない可能性のほうが高いだろう。でもな、『どうせ育たないから』って思って、誰も植えなかったら、一生花なんて見ることが出来ないよ。取り合えずは、やってみなくちゃ」僕は、ミズホの肩に手を掛け、抱き寄せた。自分が何故、ここまで大胆な行動が出来たのかは分からないが、ミズホは嫌がってない。むしろ、幸せそうな笑みを浮かべている。久しぶりだな、ここまで心が安らいだのは。つい先日まで、世界は狂気に包まれていて、心を休める機会が無かったから。 「じゃあさ、もうどうせこの畑なんか誰も使わないんだから、いっそのこと畑全部に花を植えようよ。そして、この畑が花で一杯になったら、こんどは勝手に外の地面にも植えちゃうの。そしてそれもうまくいったら、どんどん植え続けて、この大地を花でうめつくそうよ。そしたら、動物も帰って来るし、鳥や虫も帰ってくるよね」  ミズホは上体を起こすと、真面目な顔で僕を見つめる。 「ああ、そうだな。そうしよう。この大地が花で埋れば、その時こそ、本当の幸せを感じることが出来るんだろうな。よしっ!じゃあ、やってみようか。この大地を花で埋めよう」 「うんっ!」  それからしばらく、僕らは話すのを止めた。そうすると、やけに風の音がするのに気付いた。風の音。こればかりは、人間がどんなに自然を痛めつけようとも、地球が存在する限り永遠に聞こえる。    横を見ると、いつのまにかじゅりあが座り込み、まどろんでいる。ミズホは、そんな彼女を見て微笑むと、自分の上着をかけてやった。 「そうだ、まだあなたの名前を聞いてなかったね」ミズホは、その端正な顔を僕の肩に押し付けると、そう言った。 「あ、僕の名前?ヒロユキ、相田 ヒロユキ って言うんだ」 *  それから、僕は毎日ミズホに会いに行った。何も用が無くても、僕は孤児院を訪れた。ミズホはもちろんのこと、そこに住むシスターや子供たちも僕を歓迎してくれた。特に今まで孤児院には男性がいなかったので、そこに住む男の子たちが「キャッチボールをしよう」だの、「コンピュータ端末の使い方を教えてくれ」だの、うるさく僕につきまとわった。そんな様子を、ミズホとシスターは微笑んで見ていた。  そして、そうこうするうちに3週間がすぎ、滞在許可証の期限切れが迫ってきた。もちろん再度申請を行い、すぐにでも東京に帰って来るつもりだったが、取り合えず僕は皆に別れを告げることにした。  まず最初に、僕は鈴木の家を訪ねた。 「よお、もうそろそろ許可証の期限だから、いったん帰るわ」僕は、鈴木の部屋の椅子に座った。 「そうか?まあ、そればかりは仕方が無いからなあ。にしても、お前。東京に住むつもりか?」鈴木は、コーヒーメーカーからコーヒーを取りだし、マグカップへと注いだ。 「なんで?」 「いや、そんな気がしたんだ。だって、今回も期限ギリギリまでいるし、また来るんだろ?」鈴木は、僕にコーヒーをなみなみと注いだマグカップを手渡した。僕は、それを受け取ると、口元へと運んだ。うん、インスタントと違ってうまい。香りが違う。 「俺、知ってるよ。東京で彼女が出来たんだろ?名前は、確か・・・ミズホちゃんだっけ?つい最近、引っ越して来たみたいだけど、すごく可愛いって仲間内で評判なんだぜ」  鈴木は、ニヤニヤしながら僕を見つめる。 「ブーッ!!」僕は、思いきりコーヒーを噴き出してしまった。何故、そんな話しが? 「おいおい。大丈夫か?にしてもやるなあ、お前。高校時代は全く女運が無かったのに」  鈴木がタオルを手渡してくれた。僕は、それでこぼれたコーヒーを拭き取った。良かった、服は汚れてない。コーヒーのしみは、落ちにくいからな。 「で、なんで、ミズホが俺の彼女なんだよ?」僕は、タオルの汚れた面を内側にして畳んでテーブルの上に置いた。  そうか、鈴木はミズホがロボットだとは知らないんだな。もっとも、僕は誰にも言っていないし、シスターも言っていないから、当り前か。この秘密を知るのは、ほんの数人だもんな。 「まず、お前、今『ミズホ』って呼び捨てにしたよな。普通、親密な関係じゃなきゃ、そんなことはしないぜ。あと数日前、俺の知り合いが彼女を誘ったんだけど、『私には、好きな人がいますから』って断わったんだ。奴は悔しくて、しばらく物影から彼女の様子を見ていたんだってさ。そしたら、お前が来た。奴に言わせると、お前をみるミズホちゃんの視線は、『恋する乙女』のものだったってよ」  そう言い終えると、鈴木はガブガブとコーヒーを胃の中に流し込んだ。 「そんな訳ないよ。ただ、そのミズホ・・・ミズホさんを誘った奴って、そんなことをするぐらいの奴だから、嫌われたんじゃないのか?」 「さーな。とにかく、早くミズホちゃんの所へ行ってこいよ」 「分かったよ。コーヒー、ごちそうさん。じゃあ、また来るわ」  僕はそう言うと、椅子から立ち上がり、鞄を肩に掛けた。 「じゃあな」  僕は、鈴木に手をブラブラと振りつつ、彼の家を後にした。 「うーん、さっきの話し、本当かなあ?」僕は、そう独り言を言いながら、孤児院へと向かった。まさか、ミズホが僕のことを好きだなんて。だって、彼女はロボットだぞ。それに、僕も彼女への好意はあるが、これは『好き』と言うことなのか?確かに、彼女を見るとドキドキするし、一緒に何処かへ行ってしまいたい気もする。でも、彼女は機械なんだ・・・。  僕の頭の中では、ミズホに対する数多くの考えが、ぐるぐると巡っていた。すると、突然、男の子の怒鳴る声が聞こえた。それは、孤児院のすぐ傍からだった。 「おまえ、ロボットなんだろ!戦争に加わったんだろ!人間を殺したんだろ!おれの、父ちゃんと母ちゃんを返せよおお!!!」  そう少年は叫んでいた。そして、その怒りの矛先は、サラサラした黒髪のショートカットの少女に向けられていた。 「おい!何してるんだ!ミズホ、大丈夫か!?」僕は、少年とミズホの間に割り込む形で、身体を入れた。 「どいてくれよ!」少年は、なおも叫んだ。彼は、この孤児院に住む少年だった。 「おい、どうしたんだ?何を言っているんだ?」僕は、その少年を落ち着かせようと、声を和らげた。 「おれ、聞いたんだよ。そいつがロボットで、この前の戦争で人を殺したって!そいつらに、おれの父ちゃん、母ちゃんは殺されたんだ!」  僕の顔面は蒼白になった。ミズホがロボットってことが、何で知られたんだ?それよりも、本当にミズホは殺人者なのか?彼女が民間人を殺したって言うのか!? 「い、いい加減にしろっ!何処の誰から、吹き込まれたか知らないが、ミズホは関係無いだろう!?確かに、お前の両親が死んだのは、かわいそうに思う。だからって、ミズホを責めるな!彼女は、お前に優しくしてくれただろう!」僕は、真実が分かるのを遠ざけようと、その少年に怒鳴った。 「うるせえ!!」少年は、手に石を持ち、ミズホ目がけて投げつけた。彼女の額に、石があたる。彼女は、それを避けようともしなかったのだ。 「大丈夫か!?ミズ、ホ・・・!」  僕は、彼女の傍に近寄ると驚愕した。彼女の額から流れる血は、真っ白だった。僕は、その様子を見て目を伏せた。見てはいけないものを見てしまった気がする・・・。 「ほら、見ての通り、私は人間ではない。ただの殺人兵器。私は、この前の戦争で多くの人間を殺したわ。そう、命令でね。そこのあなた、私が憎い?なら、石で撃ち殺して。さあ、早く!!その方が、私は救われる・・・」  ミズホは、ボーッと少年を見つめた。少年は、両足をガクガク震わせながら、大きく怒鳴った。 「くそっ!俺は許さないからな!絶対に、絶対に許さないからな!」  少年は、両目に涙を浮かべ走り去った。  僕とミズホは、呆然と立ち尽くした。まだ、彼女の額からは、血が流れ続けている。僕は我に返り、ミズホに近づくとハンカチを彼女の額に近づけた。 「やめてっ!近寄らないでっ!私の血に触れたら、あなたも汚れてしまう。そう、やはり私は機械でしかない!兵器でしかないのよっ!!私に近づいたら、あなたは不幸になってしまう・・・今まで、ありがとう。私、楽しかった。でも、もう会えない・・・。だって、あなたのことが・・・」そう言うと、ミズホは地面に崩れ落ちた。  僕も、ミズホの隣に腰を降ろした。穏やかな風が僕らをくすぐり、かなり西に傾いた太陽が紅い光で、僕らを優しく照らしている。  僕は、ミズホの方に顔を向けることが出来なかった。色々な想いが、僕の心の中を駆け巡る。彼女が、ロボットだと言うことは知っていた。そして、僕に好意を寄せていることも。しかし、僕は敢えてそれを避けてきた。そのことを口にした途端、意識した途端に彼女が遠く離れてしまう、そう考えたからだ。  だけど僕にも、彼女への耐え難い想いがあった。僕は、彼女を見たその瞬間から、彼女に好意を抱き始めた。その想いは、日を重ねるにつれ、僕の心を支配して行った。はじめは恐怖を覚えた。しかし、彼女の声を聞き、彼女の瞳を見つめ、彼女の香りを感じる度にそんなことはどうでも良くなった。やはり、僕は彼女を愛しているのかもしれない。多分、彼女にこの想いを伝えた瞬間から、僕の苦悩は更に深まるだろう。だが、今話さなければ、もう機会は無い。 「なあ、ミズホ。不幸になるって、どう言う意味だ?」僕は、ゆっくりとミズホの方に顔を向けて聞いた。 「・・・。私といると、ヒロユキさんは皆から疎外されてしまうもの。『殺人ロボットと仲が良い』って」  そう言うと、とうとう耐え切れなくなったのか、ミズホは肩を震わせながら泣き出してしまった。 「そんなの、言わせておけばいい。君は、君の任務を果たしただけなのだから」僕は、そっとミズホを抱き寄せた。 「ひっく、ひっく・・・。でも、私はこれ以上、ヒロユキさんといられないの・・・。私、このまま自分の気持ちを偽っていたら、壊れてしまう。まさか、私が男の人を好きになるなんて、思ってもみなかった。そんなスペックは無いのに・・・」ミズホは、潤んだ瞳を、僕の顔に近づけながら訴えた。  僕は、その言葉に胸を高鳴らせた。僕も、自分の気持ちを伝えなければ!今逃すと、もう機会が一生こない様な気がする。 「だったら、偽らなければいいよ。僕も、自分の心に偽らないようにするから。僕は、君とずっと一緒にいたい。この想いは変えられない・・・君が好きなんだよ・・・」  ミズホの両目が、大きく開かれる。その瞳には、僕しか写っていない。 「え・・・?本当、なの?」 「ああ、そうさ。人を想う心に、スペックなんて関係無いんだよ。ミズホ」 「あ、ありがとう・・・」  ミズホは、そう静かに言うと僕のシャツをギュッ掴んで、顔を僕の胸に埋めてきた。僕は、全身が痺れるような気がした。もう、後戻りは出来ない。これから僕らは、多くの苦悩に出会うだろう。でも、構わない。ミズホといられるのなら。  僕は、地面に腰を降ろしたまま、辺りを見回した。時間帯のせいもあるだろうが、ここが裏通りであることもあって、周りには人影が無かった。  そして、僕は決意した。そう、まだ一つ重要なことを言っていない。 「なあ、ミズホ。実は、今日はお別れに来たんだ。ほんのしばらくの間だけど、東京を出なければならない」僕は、ミズホの髪に手を通した。 「え、なんで?」ミズホは、さらに頬を涙で濡らしながら尋ねた。 「許可証の期限が切れるんだ。更新しなければならないんだよ。たった、二週間だ。待っていてくれるよな?」 「うん、分かった。二週間だもんね。すぐだよ。でも辛いな・・・」ミズホは、両目をゴシゴシ擦り涙を拭いたが、まだ表情は暗かった。  僕はミズホの元気を出すため、立ち上がると彼女の髪をグシャグシャにした。 「なーに、暗くなってるんだよっ!二週間て言ったら、十四日だぞ。すぐじゃないか。子供みたいなことを言うなよ」 「悪かったわね!どーせ、子供ですよう。生後六か月なんだからっ!!」  ミズホもケラケラ笑いながら立ち上がり、僕の髪をかき乱そうとする。僕は、ふざけて彼女を避けようと、身体をひねった。  その時、ミズホはバランスを崩して、僕に倒れ込んできた。    ドサッ  僕はタイミング良く、彼女を両腕で受け止めた。  二人の時間が止まる。 「私、待ってるから。ぜったい、ぜったい、待ってるから。ずっと、ずーっと、待ってるから!」ミズホは僕の腕に額を当てると、左右に動かした。 「分かったよ。僕は、絶対にここへ来る。そして、その後はずーっと一緒にいよう」 「約束してくれる?」 「ああ」 「じゃあ私、二週間後に、あの初めて出会った場所で待ってる。日が完全に沈むまで、私待っているから!」ミズホは僕の方を向き、上目づかいで言った。  その時突然、僕の頭にある考えが浮かんだ。僕はミズホに言うか言わまいか迷ったが、彼女の気持ちを確認できた今、言ってみることにした。 「そうだ、一緒に暮らさないか?」  僕は、そう簡単に言った。もし、ミズホが戸惑うようだったら、冗談と言うことにすればいい。 「え?」ミズホは驚いた表情を浮かべたが、すぐに微笑んだ。 「いいよ・・・!!うれしい・・・」  そう言うと、彼女は微笑みながらも瞳を潤ませた。 「良かった・・・」僕は、安堵のため息をついた。 「じゃあ、ずっと一緒に過ごそう。僕はその為なら、なんでもするよ」 「うん、私も一緒にいたい。やっと、私の居場所を見つけられそうな気がする。やっと・・・」ミズホは涙を流しながら、笑顔で頷いた。  僕も同じことを感じた。そう、ミズホと一緒にいられれば、僕もやっと居場所を見つけることが出来る。 「よし、じゃあ二週間後な。必ず向かえに来る。だから、待っててくれ」 「うんっ!!」  そう言うと、ミズホは背伸びをして、僕にキスをしてきた。ほんの一瞬の出来事だったが、それはとても長く永遠のようにも感じられた。 「約束の印ね。こうすれば、忘れないでしょ。続きは今度ね」  そう話すミズホの頬は、赤らんでいた。その赤らみは斜陽のせいではないことを、僕は知っていた。 *  それから二週間、僕は毎日ミズホのことを考えた。何事も手につかず、食事中や入浴中にも彼女のことばかりを考えた。とにかく、一日がとても長く感じられた。僕はただ、早く約束の日が来ないか、と考えてばかりいた。  そして、ついに約束の日が来た。僕はその日の朝、再び東京へのゲートをくぐった。僕は一目散に上野に向かい、あのミズホと初めて出会った場所へと走る。  ハア、ハア・・・。息が切れる。駅から五分程で約束の場所に着いた。僕は大きく深呼吸をすると、辺りを見回した。  しかし、そこには誰もいなかった。もしかしたら、まだ時間が早かったのかもしれない。僕はそう思い、ずっと待ち続けた。  だが、日が沈み始めても、ミズホは現われなかった。僕は深く、深く落ち込んだ。 『もしかしたら、もう僕は必要無いのかも知れない』『僕のことなんて、どうでも良くなったのかも知れない』そんな考えが、僕の心を支配した。  ああ、そうかも知れないな。あの出来事自体が幻だったのかも・・・。  でも、もしかしたら、なにか理由があって来れないだけかも知れない。僕は、そう思うと孤児院に向かってみようとした。だが、足が動かない。もし、その理由が『僕を嫌いになったから、興味が無くなったから』だったらと思うと足が動かないのだ。 「おにいちゃ〜ん!ひろゆきおにいちゃ〜ん!みずほおねえちゃんが、たいへんだよお〜」  僕が煩悶していると、突然、幼い女の子の声が聞こえた。 「じゅりあちゃん!??」僕は、その声の主の方へと顔を向けた。 「おにいちゃん!!たいへんなんだよう!!あっ!」  ドタッ!  じゅりあは、あまりにも慌てて走ってきたので、ついに僕の目の前で転んでしまった。 「大丈夫?痛いところは無いかい?」僕は彼女の傍に駆け寄り、彼女を抱き上げ立たせると、土の付いたジーンズをはたいた。 「うん、それよりもおねえちゃんがっ!」じゅりあは、必死に何かを訴えようとしている。 「どうしたんだ!?ミズホに何かあったのか!?」  僕の心には、大きな不安が生まれつつあった。嫌な予感がする。 「あのね、あのね・・・。みずほおねえちゃんが、いなくなっちゃったの。しすたーがいうには、だれかがさらったのかもしれないって・・・。う、う、うう、うえええんんっ」じゅりあは、一気にそう言うと泣き出してしまった。 「さらわれた!!!いつ、誰に、何で?」僕は、じゅりあの両肩を揺すった。 「わかんないよ〜う。でも、いつかまえのあさ、とつぜんいなくなっちゃったのっ。みんなでさがしたけど、みつからなかったの。へいたいさんにいっても、なにもしてくれなかったし・・・」 「そうか、ごめんな。じゅりあちゃん。取り合えずシスターに会いに行こう!少しでも話しを聞いて、情報を集めなければ。くそっ、もしミズホに何かあったら・・・」  にしても、いったい誰がそんなことを・・・?僕は、頭の中身をかき回し考えた。だが、心当たりは無い。  僕は、じゅりあを抱き上げると、そのまま孤児院へと向かった。じゅりあは、腕の中で僕にこう尋ねた。 「おねえちゃん、だいじょうぶだよね?」 「もちろん!絶対に助け出す!!」 *  僕とじゅりあは孤児院に着くと、すぐさまシスターのいる一番奥の部屋へと向かった。何故かその孤児院の廊下は、いつもより冷たく薄暗い感じがした。  しばらくすると、シスターの部屋のドアが見えた。ドアは閉まっており、人の気配が無い。だが、この時間ならシスターは自室にいるはずだ。 「しすたー、おにいちゃんがきたよっ。みずほおねえちゃんのことが、ききたいんだって!」  じゅりあは、僕の腕から降りると、ドアをノックせずに部屋へ入った。僕も形だけ、ドアの縁をノックしてから入る。 「相田さんっ!よくぞ来られました。あなたが居ないうちに、ミズホさんが大変なことにっ」シスターは、大慌てで走り寄ってきた。今まで何か書いていたのだろうか、机のスタンドの明りがついていた。 「ええ、じゅりあから聞きました。いったい、何が起きたのです!!?」  僕は、緊張で喉がカラカラに渇いていた。唾を飲み込もうとするが、うまくいかない。 「さあ、まずお掛けになってください。話しはそれからです。あと、じゅりあさん。あなたは皆さんと遊んできなさい」シスターはそう言うと、嫌がるじゅりあを部屋から連れ出そうとする。 「いやっ!あたしも、ここにいるっ!おねえちゃんが、しんぱいだもんっ!」じゅりあは、シスターに逆らい柱にしがみついた。 「じゅりあさん。とにかく、今は出なさい。あとで、あなたにも話しますから」シスターは、微笑みながらも威厳のある声で言った。すると、じゅりあも観念したのかトボトボと部屋から出て行った。 「おにいちゃんっ!ぜったい、おねえちゃんをたすけてよ!!」じゅりあは、ドアの所で振り向きざまに、そう大きな声で言った。 「分かったよ」  そうだ、僕はミズホを救わねばならない。あの、僕を心から信じてくれた、唯一の人を。  バタン  シスターは、じゅりあが出ていくと共にドアを閉めた。そして、僕に近寄ると椅子を差勧めた。 「さあ、どうぞお掛けになって」 「あ、はいっ。それで、ミズホはいったい、どうなったのですか!?」  僕は、質素ながらも頑丈で、品の良い椅子に腰掛けると、早速本題に入った。何とか心を落ち着かせようと深呼吸をするが、かえって心臓の動きは早まるばかりだった。 「実は五日前、突然、ミズホさんが消えてしまったのです。朝、なかなか起きてこないので、部屋へ様子を見に行くといなくなっていたのです。部屋が荒されていたので明らかに事件に巻き込まれたんだと思い、警備隊にも通報したのですが、何も分からなくて・・・。ただ、金品目当ての強盗では無いそうです。現金が残っていたそうですから」  シスターは顔面を蒼白にし、冷や汗をかきながら話した。 「そうですか・・・。と言うことは誘拐ですね、多分・・・」  僕は、ふと、嫌な噂を思い出した。生体ロボットのパーツはブラックマーケットにて、高値で取り引きされていると言う噂を。もし、闇商人の仕業だったら・・・、ミズホはもう、この世には存在しない。 「あのう、それで何か手がかりはありませんか?」  僕はその嫌な考えを頭から消し去るために、首をゆっくりと左右に振った。 「ええ、実は確かな情報ではないのですが、あなたが一旦帰られてから、ある男性が執拗にミズホさんのことを付け回したいたようなんです。もしかしたら、その人が関係しているかもしれません」シスターは、そう言い終えると、目を閉じため息をついた。 「そいつは誰なんですかっ!?どう言った奴なんですか!??」僕は立ち上がると、シスターに歩み寄った。 「まあ、落ち着いてください。その人は、そうですね、あなたが帰られてから三日後ぐらいに、突然ここを訪れたのです。なんでも、『ガイガーカウンターを寄付したい』とおっしゃってました。私共も、何の疑いも持たずに、彼の好意を受け取りましたよ。とにかく、この辺は放射能で汚染されてますから、測定器があれば子供たちを危険な地域に行かせずに済みます。彼は、それから毎日ここへ来ました。はじめは人柄も良さそうで、ミズホさんをはじめ、皆さんから好かれました。しかし、ある時、彼の本性が明らかになったのです」 「本性というと?」僕は取り合えず椅子に座り、続きを尋ねた。 「あまり良いとは言えない性格の持ち主と言うことです。女性を物として見ているような感じでした。それは、ミズホさんを見る目つきで分かったのです。彼は彼女を嘗めるように、上から下へと見ていたのです。そしてある日の夜中、ミズホさんの部屋から悲鳴が聞こえました。駆けつけてみると、ミズホさんはベッドの上で泣いていました。おそらく殴られたのでしょう。彼女の頬は真っ赤になっていました。ミズホさんは何も言いませんでしたが、私には分かりました。あのガイガーカウンターを寄付した彼がやったのだろうと。そして、それを裏付けるかのように、その日以来彼は現われていません。そして、彼が来なくなってから四日後に、ミズホさんは姿を消してしまったのです」 「本当は人を疑うということは、悪しきことなのですが・・・」シスターはまたもや、ため息ついた。  僕はその話しを聞いて、ある人物を思いついた。しかし、そんなはずはあるまい。彼は、そんな卑怯なことをする奴ではないと思う。  だが、そう信じたいが、もしかしたら・・・。 「ああ、一気に話して喉が渇いてしまいました。あっ、申し訳ありません。まだ、お茶を出していませんでしたね。紅茶でよろしいですか」  僕が頷くと、シスターはティーセットの用意を始めた。 「僕も、多分その人が関係していると思います。もちろん、彼が誘拐したのかどうかは、分かりませんが、何かを知っていると思います。それで、彼について何か他に知っていますか?容姿とか」僕が、そう言いながらシスターのほうを向くと、シスターは、煎れたての紅茶を僕にくれた。 「ええ、歳は二十代前半で、身長は低め、・・・」  僕は、ティーカップを握りながら、唾を飲み込んだ。全部、彼に当てはまるではないか。どうか、そいつが彼でありませんように、僕はそう願った。しかし、僕の心の中には嫌な考えが増殖し、彼を信じる反面、彼に違いないと思うようになってきた。 「で、名前は?」 「それで確か名前は、鈴木さんと言いました」  僕は、頭の中が真っ白になり、カップを手から落としてしまった。 * 「畜生!!あいつめ、僕を裏切ったな!何が友人だ!ミズホに何かあったら殺してやるっ!!!」  僕は自前のサブマシンガンのカートリッジを確認すると、セーフティを外しながら走った。もちろん、鈴木の家に行くためである。先ほど孤児院から出るときには、表面上は冷静を装っていたが、彼の家に近づくに連れ、僕の怒りは抑え難い物となっていた。 『相田さんっっ!冷静に!あなたまで、犯罪を犯してはいけません』  シスターが別れ際に言った言葉が、頭の中でループした。確かに、そうだ。頭では分かっている。しかし、今の僕では彼を殺しかねないな。僕は彼を許せるほど、優しい人間 ではない。  ようやく、鈴木の家が見えてきた。僕は更に走るスピードを速めた。極度の緊張と興奮、それに急激な運動で、僕の心臓は悲鳴をあげていた。    平屋建ての簡易住宅。それが、鈴木の家だった。僕は、サブマシンガンのトリガーに指を掛けると、チャイムを押した。  ピンポン、ピンポン、ピンポーン  しかし、なかなか出てこない。僕は、その異常な興奮状態から、ついに切れ、ドアを蹴り破った。  ドカ、ドカカッ、ドカッ!! 「居るのは分かってんだっ!!鈴木、ミズホをどうした!!」僕はあたりを見回した。もう、頭に血が上りすぎて、自分が何をしているかも分からない。  しかし、そこには誰もいなかった。僕は、しばらくの間、鈴木を探し回ったが見つからなかった。そうこうしているうちに、僕の心は平静さを取り戻し、ある不安にかられた。 「もし鈴木違いだったら、どうしようか。ドア壊したし」  僕は、鈍い痛みが走る足を摩りながら独り言を言うと、壁にもたれかかった。激しく汗が顔に流れる。その時、後ろで物音が聞こえた。僕は、振り向いた。 「あ、相田・・・。帰ってきたのか!?」  そこには鈴木がいた。両手には、大きな紙の包みを持っていた。 「そうだ、帰ってきた。それよりもすまんな、ドアを壊しちまった。ところで、お前。ミズホを知らないか?」僕は汗で濡れた髪をかき上げると、鈴木を睨みつけた。  鈴木は、僕の視線を浴びると、全身を強ばらせた。 「あ、ああ、し、知らないな・・・」そう言うと、彼はうっかり紙の包みを落としてしまった。中から、小さな紙の袋に分けられた白い粉のような物が出てきた。 「薬・・・?」僕は、その一つを開けてみた。 「・・・!これ、アシッドじゃないか!!?」僕は驚いた。その中味はアシッドだったのだ。独特の感触で分かる。僕はやったことがないが、以前知人がやっていて捕まったことがある。ドラッグの販売目的による所持は、ここでは死刑だ。これで、心置きなく問いただすことが出来る。  鈴木が走り出す。僕は追いかけると、彼をタックルして倒した。 「こんなものが大量にあると言うことは、販売目的だろ。どこから、資金を手に入れた?生体ロボットをジャンク屋に売ったか?」僕は、彼の襟をつかみ上げると、そう問いただした。 「・・・」鈴木は、小刻みに震えながらも必死に黙秘を通した。  カチャ  僕は、サブマシンガンを鈴木のこめかみにあてた。彼の鼓動が早くなるのを、腕を通して感じた。 「さあ、言えよ。もっとも、言わなくても、言わせるけどな」  僕は、その鉄製の忌まわしい物体で、コツコツと鈴木の頭を叩いた。 「い、言うよ。たしかに、俺はミズホを売った。でも、もともとはあいつが悪いんだ!」 「何が悪いって?彼女に比べれば、貴様なぞ畜生以下だ!それで、どこへ売った!?」  僕は、さらに鈴木の首を絞め上げる。ギリギリと、彼の首は嫌な音をたてた。 「う、うぐぐ・・・。し、渋谷のブラックマーケットだ。でも、あいつが俺を受け入れれば、こんなことにはならずに済んだ」  僕は、鈴木を思いきり壁に叩き付けた。身長差が、ゆうに二十センチはあるので、彼は容易く吹っ飛んだ。 「貴様!何をした!それによく考えれば、何故、彼女が生体ロボットだと知っているんだ!?」  鈴木はゲホゲホと咳込んだが、落ち着くと全てを話しだした。僕は、彼が逃げないように身体で出口を塞いだ。 「初めは、純粋に彼女と仲良くなりたいだけだった。彼女は魅力的だものな。しかし、彼女の心は君のことで一杯だった。僕は、彼女から君のことを聞くうちに、嫉妬を感じ始めた。でもその時、俺はまだ正気で、彼女の気を引こうと必死だった。そんな時、ある噂を聞いちまった。彼女がロボットだとな」  鈴木は座り込むと、手を額にあてた。僕は取り合えず銃をしまい、彼の話しを聞くことにした。 「それで?それからどうした?」 「そのことを知ってから、俺の心には黒い欲望が沸き起こってきた。『機械なら構わねえ。犯しちまいな』ってな。それである晩、彼女の部屋に忍び込んだ。俺は軽い気持ちで、彼女を求めた。しかし、彼女は死ぬ気で反抗してきた。俺は驚いたよ。機械の癖に、人間様に逆らうんだからな。しまいには、俺の腕をナイフで切りつけやがった。その動きは、やはり人間のものじゃなかった。そして、俺を睨んで言ったんだ『あなたはこんな風だから、女性に相手にされないのよ』って。その時、俺の中で何かが崩れた。そして数日後、町のクズどもに金を払い、さらったわけさ」  鈴木は全てを話し終わると、その傷跡が生々しい左腕を見せながら、僕を挑戦的な目で睨んだ。その瞬間、僕は彼を殺してしまいそうになったが、それを止め思い切り彼の顔を蹴り上げた。  鈴木は床に倒れ込むと、呻き声を上げた。僕はそんな彼の髪を引っぱり、彼の血だらけになった顔に向かって怒鳴った。 「てめえっ!よくも!!この畜生めが!!」 「けっ、お前だって同じだろう?」そう言うと、鈴木は僕の顔に向かって唾を吐きかけた。その真っ赤な唾は、僕の心に怒りと不安を呼び起こした。 「お前だって、ロボットと寝たいんだろう?だったら、抱けよ。この畜生が!お前だって、奴を本物の女としては見ていない。代用品が欲しいだけなんだよ。ユダヤ教やキリスト教では、人間以外のものと交わると地獄の業火に焼かれるらしいが、ロボットはどうなんだろうな?傑作だぜ。あのおとなしい純粋なお坊ちゃんだったお前が、ロボットを抱くとはよ。さあ、抱けよ、犯せよ、気が済むまで!!そして、奴に女の幻想を見るがいい!!」  次の瞬間、景色が異形の物の様に、歪み出した。自分が何処にいるのか、何をしているのかが、全く認識できない。あるのは絶対的な恐怖と、心が潰れるほどの不安。その恐怖や不安は外部からもたらされた物ではなく、内的世界から沸き起こったものだ。そして、それらは徐々に膨張しつつある。 「おい、聞いてんのかよ?相田さんよっ?そうか、ショックで口もきけないか」鈴木が、ニタニタしながら、僕を嘲る。  くそっ!!鈴木を見ていると、へどが出そうだ。何故、ここまで気持ちが悪いのか?  ・・・。  そうだ、僕は奴に自分の嫌な部分を見てしまったのだ。どんなに善人面をしても、心の底には、肉による欲望があるんだっ!僕もミズホを心の奥底では、そういう風に見ていたんだ。きっと、そうなんだっ!! 「僕を見るな!!僕を見ないでくれっ!!」  僕はそう言うと、床に崩れ落ちた。僕はただ、頭を抱えて首を左右に振るしかなかった。 「違うっ!違う違う違う!!僕は、僕はそんな風にミズホを見ていない!!確かに、ミズホに受け入れて欲しい。だけど、だけど、彼女を代用品なんて思っていない!!彼女に代わりはいない!!彼女は人間なんだっ!!」  その叫んだ瞬間、光輝くミズホの姿が目の前に見えた。多分、幻覚だろう。  彼女は、この僕を見て微笑んでいた。僕は、こんなにも優しい彼女を裏切ったのか?それとも、現実での彼女の僕に対する仕草も、本当は今見えているような幻覚だったのか?    しかし、幻覚とは言え、彼女の姿を見ていると、僕の心はいくらか落ち着いた。彼女から発せられる光が、僕を癒すのだ。  とにかく今は、ミズホを救うことが先だ。それから悩み抜こう。僕は一人ではないのだから。   僕はゆっくりと立ち上がり鈴木を見下すと、銃の照準を彼にあてた。 「さあ、鈴木。僕はこれから、渋谷に行く。ブラックマーケットって言うと、あの道玄坂のだよな?」 「そ、そうです」鈴木は急におとなしくなり、命乞いをするような目で僕を見た。 「何だ、お前。死ぬのが怖いのか?ミズホも、お前と同じ様な恐怖を感じたんだぞ。分かるか?」僕は、あくまでも冷静に言うと、サブマシンガンの銃口を鈴木の胸に向ける。 「や、やめてくれ・・・。殺さないで・・・」 「ダメだ」  バララララ・・・  僕はトリガーを引いた。威勢良く弾が発射される。僕はまだ熱い銃のセーフティをロックするとベストに入れた。  鈴木はピクリともしない。 「何だ、気絶しちまったか。ただのゴム製スタン弾なのにな。まあ、もっとも当たれば痛いけど」僕は、ブーツで鈴木の頭を軽く蹴った。彼はかすかに呻き声をあげた。 「もし、ミズホに何かあったら、この次は実弾だからな」  僕はそう言うと、この汚らわしい家を駆け出た。 *  僕は、バイクタクシーを捕まえると、渋谷に行くように言った。ここ東京では車よりもバイクのほうが一般的である。 「お客さん。渋谷に行くってことは、何か面白い物を探しているんですね?」運転手が、僕に尋ねた。 「前を見て運転しろ」僕は、ただそれだけを言うと黙りこんだ。 「へえへえ。おっかない客だなあ」  小一時間バイクで走ると、そこはもう道玄坂だった。戦前とは違い、高い建物は無く、いかがわしい露店ばかりが並んでいる。 「お客さん。着きやしたぜ。お支払いは円ですかドルですか、それとも元ですかい?」  そう言われ僕はポケットを探った。しまった、現金が無い。 「クレジットはダメか?」 「え?クレジットっすか?お客さん、外の人だね。クレジットじゃ無理ですが、なにか現金の代わりになるものでいいですよ」  僕は鞄の中を探した。こんなことだったら、さっきのアシッドを拝借しておけば良かった。 「じゃあ、このメモリーチップではどうだ?一応、日本製だぞ」僕はそう言うと、鞄の底にへばりついていた三センチ四方のシリコンチップを見せた。 「あ、それでいいですよ」  僕はバイクから降りると、ロボットを扱っているショップを回った。しかし、どこもパーツしか置いておらず、完全な本体は無かった。 「お客さん。そんなに完全なヤツが欲しかったら、この先の佐々木って奴がやってるショップに行ってみな。あいつは、結構ヤバイ物も扱うし、もと軍人だからな。何か知っているかもよ」  四件目の店のオヤジが親切にも、その情報を教えてくれた。僕は地図を描いてもらうと、すぐさま向かった。  その店は近くにあった。店先に様々なジャンクが並ぶ。あ、これは戦車用の網膜投射ゴーグルではないか!こんな物、なんで流れるんだ? 「いらっしゃい。何をお探しか?」僕が雑多に並べられた商品を見ていると、五十代半ばの男性が声をかけてきた。 「あなたが、佐々木さん?」 「ああ、そうだ。それで、何を探しているのか?」  僕は意を決して尋ねた。 「あの、生体ロボット『メカニックエンジャル』の完全体を探しているんだ。最近入荷しなかったか?」  しばらく佐々木は考えこむと、こう言った。 「あんた、軍の人か?まあ、どちらにしろかなり事情通だな。ああ、あるよ。何体、欲しい?」 「あるって?良かった。で、シリアルナンバーSS2431はあるか?知り合いなんだ」 「ナンバーで指定するとはな。待ってな、今調べる」そう言うと、佐々木は端末を叩き始めた。  僕の心臓の鼓動は最高にまで達した。どうか、ミズホがいますように。  それから、一、二分経つと、佐々木は声をあげた。 「ああ、あったぞ。何もパーツは取られていない。ダメージも、特に無いな」 「ほ、本当ですかっ?やったあああー!!」僕は、両腕を振り上げて喜んだ。やった!良かった!ミズホが生きていたなんて!早く会いたい。早くこの腕で抱きしめ、彼女の暖かさを実感したい。僕の心は、そのことで一杯だった。 「ただ・・・」  僕の喜びようを見た佐々木は、表情を暗くした。 「ただ?」僕は不安に襲われた。徐々に、心の中の幸福感が冷めてくる。何か、不都合なことでもあるのだろうか? 「ただ、記憶や論理回路がリセットされてるな」 「ま、まさか・・・そんな。じゃあ、今会っても以前の彼女とは違うのか?」僕はめまいを覚えた。せっかく、せっかく再会できるのに!ミズホは、僕のことを忘れてしまっているのか!? 「まあ、そんなとこだな。でも、たしかこのタイプのロボットは設計自体、人間が把握しきれてないんだ。だから、もしかしたら記憶が残っているかも知れん。生体脳のどこかに」佐々木が自分の頭を、人さし指で指しながら、僕を上目づかいで見た。 「そうか!コンピュータのメモリーは簡単に消去できるけど、生体脳は薬物を使っても完全には出来ない!!」僕は、大声でそう言った。そう、もしミズホの僕に関する記憶が強いものだったら、残っている可能性がある。 「そうだ。だから、諦めるなよ。きっと、彼女は覚えていてくれるさ。しかし、あんたを見ていると、かつての俺の知り合いを思い出すよ」  佐々木は、僕の顔を見ながら、昔のことを思い出しているようだ。彼の目は僕を見ているようでいて、見ていない。 「え?誰ですか、その人は?。どこが、僕と似ているんですか?」 「いや、雰囲気から仕草まで、そっくりだ。声も顔も少し似ている」そう言うと、佐々木は僕をしげしげと見た。それから、昔を思い出すように宙を見つめると、静かに語り始めた。 「実はな、俺は『メカニックエンジェル』の開発にタッチしていたことがあるんだ。それで、試作機の製作も手伝ったが、その試作機はあらゆる意味で完璧だった。外見も心も。外見は知っているよな。あんたが、欲しがっている彼女とほとんど変わらない。まさに、天使のように愛らしい女性だ。そして、心もまた素晴しかった。完全な感情、そう、怒りや苦しみ、悲しみ、そして優しさ全てを備えていた。その完璧さの証拠に、ついには、人間と恋に落ちちまったぐらいだからな」  僕は驚いた。昔にも、僕たちと同じ様な人々がいたなんて。 「そ、その人たちはどうなった?」 「ああ、その女性は最後に愛した男の前で、銃に撃たれて死んじまったよ。そして、はかなく天に帰っちまった。あれは、むごい出来事だった。だいたい、誰が誰を好きになろうが、関係の無いことじゃないか。好きになっちまったものは、仕方が無い。あんたにも、その天使に愛された男の気持ちが、痛いほど分かるだろ?」  そう言うと、佐々木は静かに顔を伏せた。  そうか・・・、不幸な最後だったんだな。その女性が死ぬとき、彼女は何を見たのだろうか。そして、彼女を愛した男性は、何を感じたのだろうか。 「でもな、彼らは幸せだった。例え離れ離れになっても、彼らは一つだった」 「一つ?」 「そうだ、彼らの絆はそれほど強かったんだ」  一つ、か・・・。僕とミズホの絆も、それぐらい強いのだろうか?よく分からない・・・ 「じゃあ、そろそろ天使様を連れてくるか。ちょっと待ってな。保管場所から、車で運んでもらうから」  そう言うと、佐々木は携帯電話でどこかに連絡をした。 「お客さん。あと、十分ぐらいで来るよ。では、それまでにビジネスについて話し合おう」  あ、そうだった。商品だから、金がいるよなあ。うーん、いくらするんだろう。 「あ、いくらですか?」 「そーだな。えーっと、そうだお客さん。支払は何で?」 「クレジットだと助かりますが・・・」 「おっ、東京者じゃないね。そーだなー、三百万でどうだ?」 「・・・!?」  僕は、全身から冷や汗を噴き出した。三百万だって?家が二件買えるではないか! 「あ、あのう。手持ちで、そんなには」僕は、おずおずと言った。 「分かってるって。じゃあ、ローンでは?」 「あ、はい・・・」 「じゃあ、この書類にサインして」 「はあ」  その書類には、ローンに関する規定が書いてあった。これで僕は、二十年間ローンを払い続けねばならない。そしてその間、まともな生活は出来ないだろう。  しかし、ミズホを引き取るには・・・。仕方が無い。僕は渋々サインをした。   「はい」僕は、その紙切れを渡した。佐々木はそれを見ると突然、片手を額に当てて笑い出した。 「はーっはっはっは!」 「どうしました?」僕は不安になった、何か笑われる様なことでもしただろうか。 「そうか、お客さんの名前。くっくくく!どおりで、見たことがある顔だと思った。神様っ!あんたってやつは、洒落がきいてるじゃねーか」佐々木はそう言うと、天を見上げた。 「えっ?僕の名前がどうかしたんですか?」何故、彼は笑っているのか、僕には理解できなかった。 「いや、何でもない。それにしても、最高な気分だ。ふふ、はあーっはっはっは、親父さんは元気なんだろう?」 「父を知っているんですか?」 「まあな。そうだ、さっきのローンの契約を変えてやるよ。あんたは、月に一クレジットを払ってくれ。そして、返済期間中に俺が死んだら、そこでローンは終了だ!」 「えっ、えええええ!!!い、いいんですか?そうしたら、あなたが大損しますよ!!」  僕は驚いた。何故、急に気前がそんなにも良くなったんだ? 「いやなに、そもそも盗品だしな。気にするな」 「ありがとう!本当にありがとう!!」僕は何度も、頭を下げた。 「おっと、来たみたいだぜ」  佐々木が顎を向けた方を見ると、大型のバンが止まっていた。ゆっくりと、そのドアが開く。 「佐々木さーん。蘇生もすみましたよっ。はじめ、人工心臓がなかなか動かなくって焦りましたよ」バンの中から、背の高い男が怒鳴った。 「そうかー。ちゃんと、パルスは送っていたんだろ?」 「あっ!しまった」 「馬鹿めがっ!パルス送らなければ、起動しにくいに決まってるだろっ!そんなことも、分からないのかっ!!給料、引くからなっ!」 「す、すみません」  佐々木に怒られ、しゅんとなった男は、ミズホの寝たベッドを運んで来た。 「ミズホ!僕が分かるか!?」僕は、ベッドに駆け寄るとミズホを抱き上げた。 「ミズホだって!?つくづく、神様ってやつは、やってくれるな」佐々木は、そう言うとニヤっと笑った。その仕草は気になったが、それよりも今はミズホのことが先決だ。 「ミズホっ!ミズホ!僕だ、ヒロユキだっ!!」僕は、ガクガクとミズホの肩を揺らした。彼女はそれに反応してか、目をゆっくりと開けた。 「一般モードにて起動。システム、オールグリーン。起動レベル4。ユーザー登録完了。個体名、ミズホと設定。ご主人様、ご用はありませんか」  彼女の瞳には魂が宿っていなかった。ただの人形の様な目をしている。 「なに冗談言ってるんだよ!」僕は焦燥感にかられた。本当に、僕を忘れてしまったのか?これじゃ、ただの人形じゃないかっ!! 「冗談は申しておりません。さあ、ご主人様、命令をどうぞ」 *  ミズホを引き取ってから三日。彼女は相変わらず、あのままだ。僕のことや孤児院の皆を忘れていただけでなく、心というものがすっかり無くなっていた。はじめのうちは、なんとかなると信じて彼女に話し掛けたが、それらは全て無駄に終わった。以前の彼女は、どこに行ってしまったのだろうか? 「ミズホ。何か思い出さないか?」  僕はミズホと一緒に、あの初めて出会った場所へ来た。じゅりあと植えた朝顔は、奇蹟的にも芽を出していた。曇り空の下、何もかもが見えにくかったが、何故かその朝顔の芽はよく見えた。それは、光りを放つ程、生命力に溢れているからかも知れない。 「ほら、あそこに見えるだろう、朝顔の芽だ。僕と君とじゅりあで、植えたんだよ。覚えているだろう?」僕は、ボーっと立っている彼女向かって、話し続けた。 「存じません。あれは、朝顔という植物の芽です。それ以上のことでも、それ以下のことでもありません」ミズホは、こちらを向かずに口だけを動かす。 「はあ・・・」僕は、もう疲れてしまった。やはり、ミズホの心は死んでしまったのか。僕らの絆は、その程度の物でしかなかったのか。 「まあ、座れよ。もう少し、話そう」僕は軽いだるさを覚えつつ、腰を降ろした。 「分かりました」忠実に、命令を実行するミズホ。僕は悲しくなり、長い長いため息をついた。これで、何度目だろう。 「なあ、本当に覚えていないのか?以前、こうしていたことをさ。ほら、あの時、僕らは知り合って間もなかったけど、随分と仲良くなったよね。最初、少し怖かったけど、それ以上にとっても嬉しかった。なあミズホ、あの時の様に僕の肩に寄り添ってくれないか?」 僕は、この絶望感を打ち消すために、ミズホに話し続けた。 「分かりました」ミズホは、あくまでも機械的に僕に寄り添う。その姿を見て、僕はついに泣き出してしまった。もう、涙は止まらない。切なくて、悲しくて。僕の心は引き裂かれている。 「ミズホっ!!」僕は、涙目でミズホの肩を思いきり揺すった。 「何でしょう?」 「もう一度笑ってくれ!!もう一度僕を好きだって言ってくれ!!もう一度、一度だけでいいから、僕を見てくれっ!!」僕はそう言うと、嗚咽を洩して地面に伏せた。  僕がそう叫んでも、鉛色の雲によって弱まった陽光に照らされたミズホの顔は、尚も彫像の様に動かなかった。 「ひろゆきおにいちゃん。ないてるの?」  突然、頭上から可愛らしい声が聞こえた。そして、それはとても悲しげな声だった。 「あ、じゅりあちゃんか?ううん、なんでもない。で、今日はどうしたんだ?」僕は、涙を袖で拭うと、無理に笑顔を作った。笑顔を作ることで、何とか心が痛むのを防ごうとしたのだが、その行為が更に僕を傷つけた。 「そう?あ、そうだ。おにいちゃんがさがしてたもの、はいったって!さっき、おみせのひとがもってきたの!ほら、これ!!」そう言うと、じゅりあは花の苗木を僕に見せた。 「あ、ああ。入荷したんだ。カーネーションの苗木」  僕は苗木を受け取ると、目を細めてしげしげと、そのビニールの植木鉢に入れられたピンク色のカーネーションを見た。全部で三つ。これでも、かなり無理を言って探してもらった。 「ほら、ミズホ。約束通り、朝顔以外の花も用意したぞ。植えてみよう」そう言って僕はミズホに微笑みかけたが、彼女からは無機的な反応しかなかった。    僕はため息をつくと、じゅりあの方を見た。彼女の方は、早く植えてみたくてたまらないらしく、目を輝かせていた。   「じゃあ、植えようか」 「うんっ!」  じゅりあは、嬉しそうに頷くと、早速、畑の開いている場所へと走り出した。 「おいっ!危ないぞ!もう、だいぶ暗くなってるんだ!」 「へーき、へーき。あっ!」  ドタッ  じゅりあは、思い切り顔面を地面に打ちつけた。あまりにも痛いのだろう。彼女は顔面を地面に押し付けたまま、動かないでいる。 「ほらほら!!大丈夫か?」僕は、じゅりあを抱き上げると、怪我をしていないか確認した。良かった、どうやら顔に怪我はしていない。 「うえ〜ん!!ごめんなさああい」じゅりあは、両手で目をゴシゴシ擦った。 「大丈夫?」僕は、じゅりあをそっと降ろした。 「うん、だいじょうぶ。それより、おはな、おはな!」  立ち直りの早い子だなあ。まあ、そこが可愛らしいんだけどな。僕も、彼女の様な元気さがあったら・・・。    そんな何気ない光景の中、僕は突如大きな違和感を感じた。  そう、ミズホが全く反応を示さないのだ。つまり、じゅりあが転んでも、全くの無視。いや、良く見ると若干手を動かし、立ち上がろうとしたが、それ以上の行動はしなかった。以前の彼女なら、とてもじゃないが考えられない。 「おい!!ミズホ!何してんだよ!!早く来い!!」  僕は、ミズホから全く心が抜けてしまったことを見せつけられた腹いせか、つい怒鳴ってしまった。 「はい。ヒロユキ様」ミズホはそう返事をすると、ロボットの様に正確に手足を動かして歩いてきた。以前はポテポテと、やや間が抜けているが、とっても人間らしい歩き方をしていたのに。 「おにいちゃん、こわい・・・」  じゅりあが、僕を見上げながら怯えた声を出した。僕はその一言で、我に返った。  そうだ、僕は何をしているんだ。怒鳴ったからって、解決するものではない。もう、仕方が無いことなんだ・・・ 「いや、ごめんごめん。何でもないよ。じゃあ、苗木を植えようか。じゅりあちゃん、僕が穴を掘るから、苗木をその穴に入れてくれないかい?」僕は、心の中に渦巻く黒いものを取り去るため、わざとらしい程の笑顔を作った。まただ。いつも僕は、笑顔を作ることによって、全てを誤魔化す。 「うん!!」じゅりあは、ニコニコ笑いながら、スコップを僕に手渡した。  僕は、素早く三つの穴を掘った。 「さあ、じゅりあちゃん。苗木を入れてくれ。それからミズホ。君は、その上に土をかけてくれ」僕は作られた笑顔を浮かべながら、ミズホの方を見た。  ん?なんだか、様子が変だぞ???  ミズホが頬を震わせたかと思うと、突然しゃがみこみ、顔を伏せた。 「どうしたんだ、ミズホ?ほら、君が植えたがっていた花だよ。さあ、じゅりあちゃんが苗木を穴に入れてくれたんだから、土をかぶせてよ」  僕はミズホの隣まで行き、彼女の肩に手をかけた。その肩は、小刻みに震えていた。 「はい・・・。分かりました・・・。ヒロユキさん・・・」 「・・・!!」  今、確かに僕のことを『ヒロユキさん』って呼んだ!記憶が失われてから、僕のことをそう呼んだのは初めてだ。 「ミズホっ!もしかしたら、記憶が戻ったのか? 」僕は、心拍数を極限にまで増加させながら、ミズホにむかってつぶやいた。 「い、いえ・・・存じません。さあ、やって、しまいましょう・・・」ミズホは顔を伏せながら、そう言ったが、肩の震えはますます大きくなっている。 「おねえちゃん!どうしたの!?」じゅりあも心配そうにしている。 「なにかあったの!?」じゅりあは、そう言うとミズホの肩に手を乗せた。 「な、何でもありません・・・」そうは言っているが、とてもそんな風には見えない。 「おい、やっぱり・・・」僕もしゃがみこみ、ミズホの方に手をかけた瞬間、 「ごめんなさいっ!!ごめんなさいっ!!」  そうミズホは言うと、両手を顔にあて、泣き出してしまった。 「ごめんなさいって、何がだよ」僕は、ミズホのサラサラした髪を撫で、微笑みながら尋ねた。 「やっぱり、ヒロユキさんのことを忘れることなんて、出来ないよお!何度も、何度も忘れようとして、ずっと記憶が無いふりをしていたのにっ!」ミズホは手の甲で目を擦りながら、嗚咽を洩した。 「記憶が無いふりってっ・・・?」  僕の心には、言い様のない幸福感が、春風のように巻き起こった。もしかしたら、ミズホは以前のままのミズホなのかも知れない! 「本当は、再起動してからしばらく経つと、記憶が戻っていたの。はじめは世界がぼんやりとしか見えてなくて、自分のことが分からなかったけど、次第に以前の思い出が甦ってきた。はじめに思い出したのはヒロユキさんと出会った時のことだった。ヒロユキさんが笑顔で『この大地を花で埋めよう』って言ったこと・・・。そのことを思い出してから、次々と記憶が戻ったの。ヒロユキさんたちとの楽しい思い出、戦争中の辛い思い出、そして連れ去られる直前の悲しくて辛い思い出。全てが戻ったわ」  ミズホはまだ、涙を流している。僕はポケットから真っ白なハンカチを出すと、彼女に渡した。彼女は真っ赤な目で僕を見上げると、ハンカチを受け取り涙を拭いた。 「なんで記憶が戻ったのに、今まで戻っていないふりをしていたんだ?」僕は、ミズホの隣で囁いた。 「だって、記憶や感情が無いふりをしたら、ヒロユキさんが私を手放してくれるんじゃないか思ったの。誰かに売り払ってくれるんじゃないかと」ミズホは、僕の瞳を真直ぐに見つめている。まだ、その目には涙が潤んでいた。 「僕が君を手放す?そんなこと、なんで考えたんだ?僕の傍にいることが、嫌になったのかい?」  僕の心には、不安が起こりつつあった。もしそうならば、僕はミズホを知らないうちに傷つけていたことになる。そしてそのことは、僕の想いを一瞬にして破壊する。 「ううんっ!!そんなことないっ!!私だって、ヒロユキさんと一緒にいたい!私だって辛かったの。夜中、自分の部屋で、どうしようもなく淋しくなって、一晩中泣き明かしたこともあるの・・・。こんなに近くにいるのに、近づけないって」  実は、僕も前からミズホの様子がおかしいことを知っていた。僕が傍にいない時、彼女はため息をついたり、目を擦っていたりした。先ほど、じゅりあが転んだときも、そうだった。一瞬だが、じゅりあの方へ行こうとした。でも、そのようなことがある度に、僕はミズホに話しかけたが、今までは何の反応も示さなかったのだ。 「僕は、いつも『ミズホに記憶が残っている』と信じていたんだよ。でも、君は今の今まで、それを知らせてくれなかった。君をそこまでにさせたのは何なんだい?」  僕はミズホの背中に手をかけた。彼女の鼓動が伝わってくる。 「・・・。だって、私となんかいたら、絶対に不幸になるから・・・」  「不幸って?」 「私、ある男性に言われたの。『ロボットのくせに、人間と結ばれようと考えるな。相手を不幸にするぞ』って。ははは・・・、馬鹿だよね、私って。ヒロユキさんと付き合ううちに、自分がロボットだって言うことを忘れていたんだもん。彼の言うことは正しいよね。所詮、人間とロボットの関係は、マスターとスレイブの関係だもの。夢を見ていたんだ。いつか幸せになれるって」  ミズホは手を額にあてると、髪をかき上げながら自嘲気味に笑った。しかし、その頬には一筋の涙があった。  僕はどうして良いか分からなかった。何か話そうとしても、口が動くだけで声が出ない。  僕が敢えて避けてきた問題を、ミズホも避けてきたのだ。意識的にしろ、無意識的にしろ。そして今、そのことに気付いてしまった。僕らは以前の二人には、もう戻れない。  しかし、僕はミズホに自分の想いを伝えなくてはならない。いつまでも、逃げ続けることなんて出来ないのだ。  僕は力を振り絞り、声を出した。その声は小さな声だったが、ミズホの心に届くように全身全霊をこめた。 「言いたい奴には、言わせておけばいい。そいつはきっと、本当に人を愛したことが無い、哀れな奴なんだよ」    一言、言葉が発せられると、僕の心の呪縛は解かれ、全てのことを話し始めた。 「別に僕は構わない。ミズホと一緒にいて不幸になろうとも。そもそも、人を恋したから、結ばれたからって幸福だけが得られることは無いんだ。好きであれば、好きであるほど相手を傷つけてしまう。そして、そのことに気付きながらも、絶えず相手からの見返りを期待してしまう」  ミズホは涙を浮かべながら、僕をじっと見つめている。しかし、その顔からは先ほどの様な悲壮感は感じられない。  僕は、一気に自分の想いを話し続けた。 「人間なんて、そんなものさ。でもそうだから、相手を好きになって煩悶するから、人間は恋が出来るんじゃないかな?そして、自分を理解してくれる人がいるから、生きていけるんだよ。人間は心と言うものを得てから、ずっとこうやって悩んできた。『自分は他人にとって何なんだろう』って。でも、その答えは絶対に見つからない。だけど、僕たち、一緒にいれば何か分かるかもしれない。心の壁を壊してくれるかもしれない」 「僕には、君が必要だ。君がいなくなったら、僕は僕であることを辞める」  僕は、そう言い切ると、大きく息を吐いた。少し恥ずかしい気もするが、それ以上に自分の考え全てを言う事が出来たので、心に引っかかっていたものが外れた気がする。  ミズホの方を見ると、彼女はまたもうつむきながら、肩を震わせている。 「泣いているのか・・・?」  僕は不安になった。また、彼女を泣かせてしまった。そんな思いが僕の心を、冷たい矢となって貫いた。 「ううん、ごめんね。うれしくって・・・。でも、本当にいいの?ヒロユキさんと一緒にいてもいいの?今までの立場を失っちゃうかも知れないんだよ。皆が蔑むかも知れないんだよ。それでもいいの?」  ミズホが、僕の瞳を覗き込む。そして、彼女の顔は不安と希望の入り交じった、複雑な表情をしていた。 「ああ!もちろんさ!僕を信じてくれ。僕は、絶対に後悔しない。そして、絶対に君を幸せにするよ。一緒にいよう。一緒にいれば、なんとかなるさ」  ミズホの表情が、突然明るくなる。彼女は、輝かんばかりの笑みを浮かべ、僕に抱きついてきた。 「ありがとうっ!!これで、本当に私が私になれた。この瞬間を、ずっと待っていた・・・。本当に、ありがとう・・・」  僕はミズホを抱きしめた。いつもの様に彼女の芳香が、僕の鼻をくすぐる。 「私、信じていた。ヒロユキさんの事を!そして、これからも信じる!!」 「僕も、ミズホのことを信じるよ」  僕らは、そのまま春風に抱かれながら過ごした。なんて、心が落ち着くんだろう。僕はこの瞬間を感じる為に、生まれてきたのかもしれない。  しばらくすると、僕は重大なことに気付いた。そう、じゅりあのことを放っておいたのだ。 「あっ!じゅりあちゃん、ごめん!」僕は、じゅりあに謝った。何故か、顔が火照る。 「やっと、きづいてくれたのね。うーん、でもおにいちゃんたち、よかったねえ。このこのっ」   じゅりあは、そう言うと肘で僕をつついた。本当に、ませた子である。 「あははは・・・」  僕は、頭を掻きながら笑うしかなかった。隣を見ると、ミズホも心無しか恥ずかしそうにしている。 「じゃあ、カーネーションをきちんと植えてしまおう!」  僕がそう言うと、ミズホは丁寧に土を被せ始めた。彼女の顔には、ただ、穏やかな笑みがあるだけだった。 「なあ、ミズホ。このカーネーションを植え終わったら、次は何を植えようか」 「そうね、うーん、とにかくここが花で一杯になるまで、何か植えようよ。もちろん、私も手伝うから」 「そうだね、もう赤茶けた大地なんて見たくないからな」 「本当、そうだね・・・」  ミズホが、僕の肩に寄りかかってくる。僕は、ゆっくりと彼女の肩を抱き、二人でじっと空を見つめた。  今まで空を被っていた雲が、徐々に薄くなってきている。そして、そのすき間からは、眩いばかりの太陽が見えてきた。 「ねえ。ずっと、ずーっと、ここにいられるといいね。一緒に・・・」 「いられるさ。きっと」  僕は、ミズホの頬に光る、最後の涙を指で拭った。     人は、神様ごっこを進めるあまりに、魂を持つ存在を作り上げてしまった。そして、人は自分たちの想像を超えてしまった彼女たちを忌み嫌い始め、ついに捨てた。もしかしたら、神も僕らを忌み嫌い捨ててしまったのかも知れない。自分の真似をしようとして、何回も過ちを繰り返す僕らに、呆れ果てているのかも知れない。僕には、よく分からないけど。    ただ、僕に言えることは、ここに植えられた花たちは例え数が少なくとも、そのうち実をつけ着実に増えると言うことだ。そして、いつかきっと、その花たちは大地だけでなく、全ての人々の心にまで根を降ろし増え続けるだろう。その時こそ、人々の顔から少しは苦痛の表情が消えているに違いない。  僕はその花たちが、この赤茶けた大地全体に広がるまで、ミズホと花を植え続けようと思う。  そう、このもっとも荒んでいて、もっとも希望のある楽園に。