Ground Blank 第二話:透き通ったそら The Lucent Sky  俺は悩んでいた。人は、突然ありえない出来事に遭遇すると、一旦はパニックのあまりに頭が空になる。そして、それからゆっくりと染込んで来た疑問の数々が、どうしようもないほどの悩みの種になるものだ。  もうずいぶんと前に、出会うことがなくなっていた幼馴染みの少女、五月。五月には悪いが、俺は再会するまで彼女の事を忘れていた。だが、そんな彼女が現れて、忘れていたことに対する贖罪の意識と、それに何となく歯がゆいような感情が俺の心に浮かんでは消えている。  俺が椅子にぐっと身を沈め瞼を強く押さえていると、台所の方からゴソゴソと音が聞こえ始めた。ああ、優恵だな。さっき部屋に飛び込んで来たと思ったら、そのまま台所へ向かい、何をやっているのだろう。まったく、またもや時間貸しのコンピュータが誰かに乗っ取られたから、仕事が出来ないでいるって言うのに! 学生は気楽で良いよな。  そう言えば、最近、コンピュータが乗っ取られる時間が長くなって来た。おかげでこちらは仕事が遅れ、納期に怯える羽目になっている。 「できたーーーーー」何やら電子レンジのタイマー音とともに、優恵の歓喜の声が聞こえて来た。 「どしたー?」俺が呼び掛けると、優恵は湯気の上がる皿とバターのようなものを持って来る。 「じゃがバター完成ですわよ!さあさあ、暖かいうちに食べましょう!」優恵はパタパタと尾を振りながら、テーブルへと向かう。その途中で、皿の上で思い切り息を吸い込み、顔をだらしなく緩めながら耳をひくつかせていた。 「また、イモか。で、今日はどうしたんだ?」俺が苦笑しながら席につくと、優恵は早速皿にバターと塩を振り掛けた。 「学校帰りに安売りしていたのを発見しました〜。露地物ですよ〜。どこぞの合成食品じゃないですよぉ〜」優恵は嬉しそうにいながら、ジャガイモを口に運ぶ。あまりにもの食べっぷりの良さに、俺は微笑むことしか出来なかった。 「じゃあ、頂くかな。最近は、ずっと工場で作られた合成マッシュポテトだったからな」俺はそう言いながら、皿に手をのばした。ん?いったい、いくつのジャガイモを蒸かしたんだ? 俺はジャガイモにバターを塗りながら、その数をかぞえた。ひい、ふう、みい…。 「おい、優恵!一度に十個も蒸かすバカがいるか!!!」俺が椅子をガタンと鳴らし立ち上がると、優恵は不思議そうにこちらを見つめる。 「ほへへ?だって、拓人さん二つでしょ、で、私が八つ…」  マヂデスカ。この人、一気に八つも食べる気でいましたか。俺はどう反応して良いか解らず、腰を椅子から持ち上げたまま凍り付いた。  ピンポ〜ン  俺が化け物を見るような目で優恵を見ていると、ふとチャイムが鳴った。俺は優恵を驚愕の眼差しで見つめたまま、素早く玄関へと向かう。だが、彼女はそんなことはお構い無しに、一気にジャガイモを丸ごと口に放り込もうとしていた。 「ど、どちらさま?」俺は優恵の捕食行為に目を見張りながら、ドアチェーンを外す。 「あ、五月ですっ。今、大丈夫かな?連絡も無しに来ちゃったけど…」  確かにドアの向こうから聞こえて来たのは、五月の声だった。どうしたのだろう、突然訊ねてくるなんて。 「あ、今ドア開けるよ」俺がドアを開けると、小柄のショートカットの女性がこちらを見上げていた。五月だ。 「突然来ちゃって、ごめんね。あまり、時間がないから…。あれ、お客さん?」五月は足下に転がる優恵の学校指定の革靴を見て、首を傾げた。 「あ、ああ、先客がいるよ」俺はそう言いながら、優恵の方へ視線を送った。優恵はこちらの事を気にもせず、次々とジャガイモをバキュームカーのように吸い込んでいる。 「あ、ひらっしゃい〜」優恵は口にジャガイモをくわえたまま、手を振った。 「おい!行儀悪いぞ!」俺が怒鳴ると、優恵は顔を隠し俯いた。が、モショモショとジャガイモをはんでいる。 「優恵ちゃん、来てたの?」五月は靴を脱ぎながら、優恵をちらちらと見つめる。 「ああ、たまに来るんだよ。アイツは暇だから」 「暇、ねえ。暇なだけじゃ、来ないよきっと…。仲が良いんだね」五月はそう言うと、複雑な表情を浮かべた。微笑んではいるのだが、どことなく淋しそうでもあり、何かを非難するような感じもする。 「仲が良い、か…。でも、ありゃ色気も何もないな」俺が優恵に視線を送りため息をつくと、五月は微かに声をだして笑った。 *  ジャガイモを食べ終えた優恵は、目を細めながら尾をゆっくりと振っている。耳までダラリと下げていて、可愛らしいのだが何となくみっともない。 「ほら、お茶煎れて来たよ」俺はカップに注いだほうじ茶を、優恵と五月に差し出した。二人はそれを受け取ると、対照的な行動をとった。優恵はお茶に飛びつき、猫舌のクセしてすぐに口を突っ込んだのに対し、五月はそのまま少しだけ口を当てるとそのままカップを置いた。どうやら、飲んでいないらしい。俺は不思議に思いながら、自分のカップをテーブルに置くと、椅子に腰をかけた。 「それで五月ちゃん。今日は、どうしたの?」俺はほうじ茶をすすりながら訊ねた。すると、五月は俺の質問に答えずに、じっと優恵を見つめている。  優恵もその視線に気付いたのだろうか、カップを抱えたままビクっと耳を大きく動かした。 「わ、わわわわ!う、動いたよ、耳が!この耳、作り物じゃないの??」五月は両目を大きく見開いて、優恵に顔を近付けた。優恵は何やら恥ずかしいのか、耳を頭に押し付けるようにして俯いている。  俺はその光景に、ある違和感を覚えた。獣人の優恵に向かって、その耳が本物であるかどうかを訊ねると言うこと。これは、左派の人権主義者が聞いたら、糾弾の対象にさえなる。俺たちの住む街は、関東地方で初めて獣人の住民登録を行い、彼らのための解放運動が盛んな所だ。  あまりにも無邪気に訊ねる五月の姿を見て、ある事を思い出した。それは、今から十数年前に獣人の人権が国連によって保証され、それから数年間、獣人が生活する至る所で繰り返された日常の風景。  獣人解放当時、無知な人々は皆、獣人の耳を本物かと疑ったのだ。 「お、おい、五月ちゃん…。まさか、本気で言ってるのか?」俺は喉に大きなものがつまるような嫌な感触を覚えながら、辿々しく訊ねた。そんな俺の様子に合わせ、優恵は情けなさそうに舌を出しながら笑った。その笑みは、無理矢理作られたものであることが一瞬でわかるような、そんな儚いものだった。 「あ、えっと…。ごめんなさい、私、良く知らなくて…」五月は場の空気を読んだのか、何故、自分が咎められているのかわからないまま謝った。 「い、いえいえ〜。良いんですよ。ほら、獣人なんて、まだまだ珍しいし」優恵はつとめて明るく言った。その明るさが、俺には痛々しかった。 「本当にごめんなさい。私、生まれて初めて、優恵さんみたいな人を見たから…」  俺は五月の何気ない一言に、ひっかかりを感じた。未だに獣人の事を珍しく思う人がいるのは知っている。だが、『生まれて初めて獣人を見た』などと言う人はほとんどいない。なぜなら、よほどの田舎でない限り獣人はいるし、それに人権運動家が啓蒙活動のため獣人たちを社会の表舞台にたたせている。その一環として、俳優やタレントにも何人か獣人はいるのだ。 「初めて見たって、そんな事はないだろう?日本に住んでいる限り、どこかで見かけたはずだ」僕が五月の心を見透かすように彼女の瞳の奥を覗き込むと、五月はぷいっと顔をそらし呟いた。 「えっと、いや、ずっと海外に行ってたから…」  五月のちょっとした異変に対し、過剰に反応する俺と、そんな俺をさけるように顔を背ける五月。優恵はそんな俺たちを、おろおろしながら見ている。 「え、えっと、ほら、なぜかスイスやハンガリーでは私たちの仲間が発見されてないじゃないですか!きっと、五月さんはそう言う所にいたんですよね、ねっ?」優恵は凍りつつある空気を溶かそうと、懸命に俺たちに話し掛ける。本来ならば、優恵こそ落ち込まなければならないのにな。こいつは、本当に人が良いと言うか、なんと言うか… 「ま、そうだな。世界は広いから。この件は、ここで終わりにしよう。だけどな、五月ちゃん。他の獣人と会った時は、そんなことを言ってはダメだ。人権屋にエサを与えるような行為なんだよ、それは」俺が大きくため息をつき微笑むと、五月と優恵もため息をついてから同じように微笑んだ。 「うん、わかったよ。気をつけるね」 「ところで、そんなに尻尾と耳が気になります?」優恵は悪戯っぽく笑いながら、尾を五月の前に差し出す。すると、五月は何度も無言で頷いた。 「じゃあ、触っても良いですよ。フカフカですよ〜。毎日、お手入れしているから」優恵はそう言いながら、尾をヒクヒクと動かし五月を誘う。 「い、いいのっ!?」五月は、ごくりと生唾を飲み込んだ。  優恵の頷きを合図に、五月はこれでもかと言うぐらい尾をなでまくる。 「うわーフカフカだよ。気持ちいい!」 「あ、あぅ、ちょ、ちょっと、変なふうに揉まないで下さい。や、く、くすぐったい、あん…」優恵は妙なツボに入ったのか、色っぽい声を出して抗議をする。  うむ、ケモノ耳の少女が耳をくねらせながら色っぽい声を出すと言うのは、なかなか、いやかなり萌える光景ですな。などと感心しながら、俺はふと思い付いた疑問を五月に訊ねた。 「ところでさ、五月ちゃん。今日は、どうしたの?何か用があったのかな?」  五月は俺の質問にはっとし、慌てて優恵の尾から手を離した。優恵は余韻があるのか、まだ顔を上気させながら惚けている。 「あ、そうそう!借りていたものを返そうとしたんだけどね、あれ、実家に置いたままだったみたい。だから、返すのが遅れます。ごめんなさい。本当は、今日持ってこようとしたんだけどね」五月は両手の指先を突きあわせながら、俺の顔をチラチラと覗き込んだ。一瞬、俺はその仕種があまりにも可愛らしかったので見とれてしまったが、次の瞬間、先ほど感じたような違和感がむくむくと心に湧き出てくるのがわかった。 「あれ、じゃあ今は実家にいないんだ?」 「うん、ちょっと別の所にいるんだ…」五月はそう言うと、再び顔を曇らす。やっと正気にかえった優恵が、そんな五月と俺の様子を心配そうに交互に見つめた。 「でも実家って、ここからそんなに遠くないだろ?俺がここに越してくる前は隣の隣だったし、ここからでも徒歩で十分ぐらいの所じゃなかったっけ?それとも、五月の家族も引っ越したのか?」俺はそこまで言うと、自分自身で答えを見つけたので何度も頷いた。そりゃそうだ、海外に行っていたなら、一旦は家を引き払っている可能性が高い。それで、新しく家を買うなり借りたなりしたのかも知れない。と、思ったのだが… 「ううん、家はそのままだよ…」 「は?」 「ほへ?」  俺と優恵は想像と違う五月の返答に首を傾げた。優恵なんか、頭の上を『?』マークがいくつもくるくる回っている。その回っている様子も、まるで昔の実験アニメのように飛び跳ねたりしながらだ。 「いやー、何と言うか、帰れない、いや帰りづらい理由があるの」五月は目の焦点を合わせずに、宙をぼうっと見つめる。そして、どこか後ろめたいことがあるのか、俺の顔に視線を向けるとそのまま笑っているような、それでいて悲しんでいるような複雑な表情を見せた。 「一人で行きにくいんだったら、一緒に行こうか?」俺の問いかけに、五月ではなく優恵が何度も頷く。あー、しかも目まで輝かせている。きっと、一緒に五月の家へ行ってみたいんだろう。優恵は友達が少なく、他の人の家に言ったことがあまりないからな。 「えっと、うーん、いいや。自分で何とかするよ」五月は申し訳なさそうに鼻の頭を掻きながら、俺と優恵に謝る。優恵はガックリしたのか、耳を垂れ下げながら項垂れた。 「そうか?じゃあ、いつでも…」俺がそう言いかけた途端、何処からともなく携帯電話の呼び出し音が鳴った。 「あ、もしもし!」  どうやら、五月の携帯電話だったらしい。最近じゃめっきり珍しくなった、動画送受信機能のついたものだ。以前は全ての携帯で動画が扱えたが、今ではその技術を低価格で維持することが出来なくなって来ていて、俺のような貧乏人は電子メール機能さえない、通話のみのタイプしか持つことが出来ない。ちなみに、優恵に至っては携帯すら持っていない。  俺と優恵は、五月の携帯電話を羨ましそうに眺めた。そうか、五月はお金持ちなんだなー。 「でさ…」五月が電話を切ったのを確認すると、俺は話の続きをしようとした。が、またもや話は中断させられる。 「あの、本当にごめんなさい!私、すぐ帰らなきゃ!!!」五月はそれだけ言うと、慌ただしく帰る準備を始めた。 「あ、あの!そんなに急いで、どうしたんです???」今まで無口だった優恵が、素頓狂な声を出す。 「ごめんなさい、突然用事が出来て!あ、拓人くん、そんなわけで借りたものは、今度返すね!」五月はそう言うと、物凄いスピードで去って行った。 「いっちゃった、ね…」 「だな…」  俺と優恵は、玄関のドアから、走り去って行く五月の姿を見送った。  俺は、ふと五月との再会を思い出した。あの時も確か、五月は時間を気にするように、慌てて帰って行った。同じ理由かも知れないが… 「正直、わからない。五月の慌てる理由が」ふと、心の中で思ったことが口から出てしまった。 「そう、ですね。うーん、何かお仕事の関係なのかな?」優恵はそう言いながら、玄関のドアを閉めると、俺に部屋に入るように手招きする。俺は優恵と共に部屋に戻りながら、ある事を思いついた。 「今度、五月の実家を訪れてみるか」 「え?うん」優恵は俺の提案に頷きながら、またもやジャガイモを皿に載せ、ラップをかけていた。