第一話:そらいろの記憶  俺はほとんど日が差し込まない自室で、フォーカスが甘くなったキャラクタディスプレイに向かっていた。次々と画像ファイルのあるディレクトリを指定し、バッチ処理で時間貸しの並列演算コンピュータにデータを送り込む。今行っている処理では、俺が学生時代に開発したソフトを使って行っていて、画像相関計測によって複数画像からの特定人物の抽出をしている。今まで溜まりに溜まった写真データから、記事にしようとしている人物の写真を抜き出すためだ。  すでにコンピュータテクノロジは失われつつあり、今借りているコンピュータも故障したら修理ができるかどうかわからない代物だ。一般では、もうあまりコンピュータは使用されていないが、未だに利用者がいるため細々とデータセンタが運営されている。一方、俺が使っている端末はグリーンディスプレイに八ビットのシリアルコンソールと言う、えらくお粗末なものだった。もっとも、バッチファイルをメインコンピュータに転送しているだけで、写真データやプログラムはメインの方にあるため、処理を終えるのに三十年かかる、と言ったことはないが。 ヅー。  ふと画面の中央に警告が出る。何だ?プログラムにエラーでも発生したか?? 『ただいま、他のユーザに計算機のリソースを独占されました。ユーザliquidのプロセスは、サスペンドされます』  画面の中央で、緑色の文字がそう告げている。何なんだ?誰かがコンピュータの処理能力を全部独占したから、俺の仕事が休止状態に移されただって?おかしいな、学術目的のコンピュータだから、独占なんて出来ないはずなのに・・・・・  そう言えば、ここ数週間同じような事件が多発していると聞いていたが、いったい誰の仕業なんだろう?どこかの研究機関、それともどこかのハッカーの仕業?いや、研究機関がこんなことをしでかせば、即刻その機関は運営を停止させられる。今では綺麗な空気や水よりも貴重だと言われている計算機リソースを奪い取るなんて、考えられないほどの野蛮な行為だ。じゃあ、ハッカーなのだろうか・・・・・  俺はぼんやりと考えながら、椅子の背もたれに体重をかけた。軽いきしみが聞こえる。ふと、窓から空を見上げると、そこには羨むほどの美しい空が広がっていた。 (よし、仕事を中断して街へと行くか)  俺は壁にかけてあった上着を羽織ると、自転車の鍵と財布を手にとり、口笛を吹きながら部屋を出た。部屋を出ると、目の前には見なれた汚らしい廊下が広がっている。一瞬、廊下の薄闇の向こうから何か染みのようなものが空間を侵食して来ているような錯覚を起こし、俺は何度も袖で目を擦った。  ふたたび廊下の奥を見ると、そこには何もなく、あるのは目の前に舞う塵だけだった。俺は、俺以外誰も住んでいないフロアから逃げ出すように、階段を駆け降りた。 *  自転車で走る荒れ地。今、俺が走っているこの地は、かつて日本有数の新興産業地区だった。数多くのバイオ系、メディカル系、情報系の企業ビルや研究所が林立し、そこに勤める人々のための高層マンション群があったところだ。だが、文明の衰退が進むに連れ企業は次々と撤退し、この地はゴーストタウンと化した。さらに悪いことに、久しぶりに起きた戦争で核やら化学兵器が用いられ、この地は完全に廃虚と化したのだ。  しかし、人間は強い生き物である。地方へ避難した人々が、ぽつりぽつりとこの地に戻り、旧市街の中心部を再建してしまった。そして、俺は今、その再建された街へと向かっている。  もっとも俺は、そんな街を好いているものの住む気にはなれずに、郊外の打ち捨てられた再開発未決定地区で生活しているのだが。何で住む気になれないのかと言うと・・・・・  俺は、あの街の臭い。そう、何となくインチキくさい臭いが苦手なのだ。  俺はそんなことをボンヤリと考えながら、旧市街へと入って行く。今までの荒廃した光景とはうってかわって、街には活気があり人も大勢いる。自分の住んでいる郊外のマンションとは、比べようがないほどの生命力に満ちあふれている。街並みは何故か崩壊直前のそれではなく、かなり昔の、具体的には今から六十年ほど前の一九七〇年代から一九八〇年代のものとなっている。これは街の再建を決めた委員会が、『人類が最も輝いていた時代に戻ろう』と言うスローガンをもとに再建計画を進めたからだった。しかも、わざわざ日本各地から瓦礫を集め、それを再構築するなどと言った、ある意味悪い冗談にしか聞こえないような方法でだ。  俺は複雑な思いを心に抱きながら、商店街へと入って行った。人が多くなって来たので、若干スピードを落とす。その瞬間に俺の周りを包んでいた心地良い風は消え失せ、初夏のけだるい空気が漂って来た。汗が少しずつ吹き出すのを感じる。 (お、あれは??)  商店街の端の方に位置する駄菓子屋の前を通り過ぎようとした所、俺はふと見なれた姿を発見した。この辺りにある公立高校の制服を着て、風で飛ばされそうになる白いベレー帽を懸命に手で押さえる女の子。あれはきっと、優恵に違いない。 「おい、優恵!また買い食いか!?」俺は自転車のスピードを一気に落とし、優恵の側で急停車した。突然現れた俺に驚く優恵。驚きのあまりに、フサフサの尻尾は直角に立ち、耳もピンと張り詰めている、 「は、はわぁっぁ!?だ、だれ??」優恵はジタバタと手を動かしながら、慌てて振り向いた。その衝撃で、頭からベレー帽が落ちる。俺は慌ててそれを拾おうと、自転車に乗ったまま身をかがめた。 ごぢん 「いてぇ!!」 「いたいよぉ〜」  身をかがめた瞬間、強烈な衝撃を額に受け、視神経が過剰なパルスをキャッチした。つまり、目の前に星が飛び出したわけだ。 「うえぇ〜痛いよ〜」 「い、いたたた・・・・・ほら、立てるか・・・・・?」俺は鈍痛が襲う頭を擦りながら、そのヘッポコな声がする方に手を差し出した。 「だ、誰ですかっっ!!?い、痛かったんだから〜。頭が悪くなったら、どうするのよ〜」地面に座り込んだ優恵は、ベレー帽を拾いかぶり直すと、両手で涙を拭いながら尻尾を上下に振り抗議の声をあげていた。 「俺だよ、俺。ごめんな」 「あ、あぁぁ!拓人さんか〜。もう、拓人さんはイジメっ子だからなぁ」優恵は頬を膨らませながら、俺の手をとり立ち上がる。その瞬間、さらさらの紫がかった黒髪が俺の手をくすぐった。俺は何故だかその感触に、懐かしさのようなものを感じ取り、それと同時に何かの予感のような不思議な感覚にとらわれた。 「おいおい、イジメっ子って、俺も頭をぶつけているんだぞ?そんな身体をはったイジメは、ある意味普通のイジメより嫌だな。で、大丈夫か?自分が誰だかわかるか?」俺は優恵をからかうように笑うと、彼女の鞄を拾い手渡した。 「ん、だいじょうぶです。ありがとう・・・!」優恵は俺がからかっていることに気付かず、満面の笑みを浮かべた。俺はそんな表情を見て、少しだけ罪悪感を覚える。 「そ、それより!何を買っていたんだ?また、買い食いか??」俺が無理矢理に話題を変えると、視界の端で駄菓子屋のおばちゃんがニヤリと笑うのが見えた。このおばちゃん、確か俺と優恵の関係を完全に誤解しているんだよな。だいたい、歳が七つ離れているのに、そう言う仲なわけはないだろうに。 「か、買い食いじゃないもん!今日は新色が入ったから買いにきたんです!」優恵は再び頬を膨らませると、紙袋に入れられたあるものを俺に差し出した。 「スーパーボールか・・・・。って、こう言うのも新色が出たからって、買いに来るやつがいるんだろうか??」俺は、紙袋から取り出した淡い空色の透き通ったスーパーボールを、空に掲げて見た。ふと、スーパーボールが空に染込んで行くような錯覚を起こす。俺は自嘲気味に表情を歪めると、紙袋ごとスーパーボールを優恵に返した。 「そうねえ、新しい色のが入ったからって買いに来るのは、優恵ちゃんぐらいかしらねえ」ふと、駄菓子屋のおばちゃんが店の奥から身を乗り出して、声をかけて来る。 「だって〜。スーパーボール、好きなんだもの・・・・・」優恵はそう言うと、きゅっと紙袋を抱き締めた。 「まあ、今度は思いきり地面に投げ付けないようにな。今まで、いくつのスーパーボールを衛星軌道に送り込んだものやら・・・・」俺は目を伏せて唸っている優恵を横目に、駄菓子屋の店先をじっくりと眺めた。すると、あるチラシが貼られているのが見えた。その瞬間、全身に冷汗が流れ、俺の顔から笑みが消えた。そのチラシには、こう書かれていた。 『ロケットラジオが入りました』 「お、おば、おばちゃん!!このロケットラジオって、あの電池がいらないラジオのこと???」俺は、ずっと探していたものが、すぐに手の届く所にあるのかも知れないと言うことに興奮した。思えばここ数年、あのロケットラジオを手に入れるために人知れず苦労を積み重ねて来た。俺が子供の頃は簡単に買えたものなのに、今となっては中古を根気良く探さねばならない状況だ。 「あ、ああこれ?実は、昨日倉庫を掃除していたら、いくつか出て来たのよ。で、チラシも一緒にあったから貼ってみたの」おばちゃんはそう言うと、店の奥からごそごそと薄汚れたパッケージに包まれた宝物を持って来た。 「うわぁぁぁぁ!か、買います〜!これ、探していたんですよ!」俺は財布を探ると、すぐさま手の中に収めた。 「なによ、自分だってオモチャに夢中になっているじゃない・・・・・」  俺は文句を言う優恵を尻目に、おばちゃんが取り出してくれたラジオをしげしげと眺めた。赤と白のプラスチックで出来たロケット型のラジオ。こいつには、俺の子供時代の夢がつまっている。 「また、この手の物が人気なんだって?こう言う古い玩具が。このラジオだって、最初に売られたのはずいぶん昔だったけど、それから繰り返し何度も売られているらしいからね。これは、この前流行った時、そうねえ二十年ぐらい前かしら、その時の売れ残りなんだけど・・・・・・、まあ、当時の定価でいいわ」おばちゃんはそう言うと、信じられないぐらいの安さでラジオを譲ってくれた。 「あ、ありがとう!」俺は財布から小銭を出すと、おばちゃんに手渡した。おばちゃんはそれを受け取ると、にっこり笑う。俺の頭の中は、もうロケットラジオ一色に染まっていた。さて、アンテナはどこに張ろうか、アースはどうしようか、そんなことばかりが頭の中を駆け巡る。 「・・・・さん」 「・・・拓人さーーーーーーん!」 「おわっ!」俺は突然耳もとで大声を出され、飛び上がるほど驚いた。それでもしっかりロケットラジオを握りしめている。 「帰って来ましたか?もう行きますよ!!」ふと声のした方を見ると、かなり機嫌を悪くしている優恵がいた。目の前いっぱいに広がる優恵の顔は、怒りのためか真っ赤に染まっていて、それと同時に頬がこれでもかと言うぐらい膨らんでいる。  いかん、ついつい向こうの世界に行っていて、彼女がいることを忘れていたみたいだ。 「あ、えーと、帰るか」  俺が返事をしても、優恵はまだ怒っている。口調や頬の色からだけでなく、尻尾の縦振りの具合でその怒りの大きさが恐ろしいほどわかった。俺は優恵の機嫌を直すため、ある作戦に出た。 「あ、おばちゃん。このアイスキャンデーもね」俺は、冷凍ボックスからソーダ味のアイスキャンデーを二本取り出し、おばちゃんに小銭を渡した。  次の瞬間、優恵は尻尾を大きく左右に振っていた。うん良かった。機嫌が直ったらしい。 *  夕暮れに近付きつつある街を、二人で歩きながら舐めるアイスキャンデー。人工着色料を使っているためか、その色はハッとするような空色だった。 「それにしても暑いな」俺はアイスキャンデーをくわえ、片手で自転車のハンドルを押さえるとタオルで顔を拭った。 「ええ、暑さと湿気で身体が劣化します・・・・」優恵もアイスキャンデーを加えながら、ハンカチで顔を拭っていた。自慢の黒髪が、べったりと頬や額に張り付いている。 「じゃあ、あそこの公園で少し涼むか」俺は前方に見える公園を指差し、優恵にそう提案した。この公園は緑が多い。きっと、未だに強い日ざしを少しは和らげてくれるだろう。優恵は嬉しそうに微笑むと、アイスキャンデーをくわえたままパタパタと走り出した。そして、ものすごい勢いでベンチに腰をかけると、俺を手招く。俺は苦笑いしながら自転車をベンチの側にとめ、優恵の隣に座った。そして、ふと口の中のアイスキャンデーを空に掲げてみた。 「そらいろ、だな・・・・・」俺がそう呟くと、優恵も同じようにアイスキャンデーを掲げる。 「うん、そらいろ・・・・。空に溶けて行く・・・・」  柄にもなくそんな詩的な言葉を吐いていると、やはり神様が怒ったのか、溶けたアイスキャンデーが優恵の額に落ちて来た。 「うひゃ!」優恵は驚き、そのまま食べかけのアイスキャンデーを落としてしまう。 「ふみゅみゅ〜ん。落としてしまったぁ!うう、まだ半分以上あるのに・・・・」優恵は涙目になりながらアイスキャンデーを拾うと、しきりに何かを考え込む。ま、まさか? 「五秒経ってないよね・・・・」 「ああああああ!ちょ、ちょっとお待ち下さい、優恵さん!液物でそのルールを適用するのはいかがかと」俺は慌てて口を開く優恵の手を止めた。その瞬間、優恵は更に瞳を潤ませながら懇願するような視線を向ける。 「だめ?」 「うん、だめ。お腹壊すだろう?」俺は幼い子供を諭すように言った。だが、優恵は諦め切れないらしい。 「そんな顔しても、だめなものはだめ!」  おいおい、これじゃあまるで幼稚園児を叱っているみたいだな・・・・。 「じゃあ、えいっ!」優恵は突然上体を起こすと、パクっと俺の手に噛み付いて来た。その瞬間、彼女の鋭い八重歯が陽に煌めく。それは一瞬の出来事だった。 「あ、あああぁぁぁ!お、俺のアイスが!??」 「おいひぃ〜」  俺のアイスはもののコンマ何秒かで、優恵に横取りされてしまったのだ。 「なにするんだよぉ!」俺が文句を言いながら、アイスキャンデーを奪い返そうとした瞬間、ふと何者かが俺たちを照らし続ける陽光を遮った。一瞬、何も見えなくなるような錯覚を起こすほどの影。俺は恐る恐る、その影を見つめた。逆光で、輪郭に靄がかかっている。 「拓人くん、だよね・・・・・」その影はゆっくりと、そして震えるような声で俺の名を告げた。その響きは、どこか遠い世界から聞こえて来るような不思議な感じだった。まるで、遅延を含んだ電話回線を通したエコーのように。 「ど、どなたですか・・・?」俺は声の主を確認するように、椅子から立ち上がった。その声の主は、小柄の女性だった。俺はこの女性を知っている。いや、今まで忘れかけていたのだが、記憶のそこからしみ出すように、彼女の存在が現れ始めていた。 「五月ちゃん・・・・・」  俺は久しぶりに出会った五月を、半ば信じられないと言う思いとともに見つめた。彼女は、俺の旧い知り合いだった。  優恵は、そんな俺たちを不思議そうに眺めるといきなり表情を歪め、そのまま空へと視線を移している。 「うん、久しぶり・・・・・・」五月は泣き出しそうな微笑みを浮かべ、辿々しく言葉を紡ぐ。もう、彼女とは十年ほど会っていなかった。なのに、彼女の声は当時のままで、面影もそのまま残っていた。昔と同じ少し癖があるショートカット。俺は懐かしさとともに一種の違和感を覚えていた。あまりにも変化がない彼女の様子に、俺は少しばかり戸惑っていたのだ。 「あ、いや、五月ちゃん、変わってないな・・・・・」俺が言外の意味を含ませ、どことなくよそよそしく言うと、五月は少しだけ淋し気な表情をした。 「まあね、よく童顔だって言われるよ。拓人くんは、大人っぽくなったなあ・・・・」  俺と五月が再会を噛み締めあいながら、無言で見つめあっていると、優恵が二人の間に割り込んで来た。 「えーっと、私は神無月優恵と言います。拓人さんの友だちです。えっと、五月さんでしたっけ?はじめまして」優恵は微笑みながら優雅に頭を下げるが、その言葉の端々から異様なオーラが漂っているのがわかる。あー、突然、俺とアイスを食べると言う楽しい午後の一時を邪魔されたので、かなり怒っているな・・・・ 「あ、挨拶が遅れました。三枝五月と言います。よろしく・・・あっっ!!」五月も優恵に頭を下げようとしたが、突然何かに気付いたのか、大声をあげて自分の鞄を探り始めた。 「いけない、こんな時間!申し訳ないですけど、今日は帰ります!!」五月はそう言うと、鞄の中から携帯端末をだし何かをチェックし始めた。そんな五月を、俺と優恵はポカンと見つめる。 「それじゃ、また!」五月はそう言うと、慌てて鞄を背負い直し駆け出した。と言っても、ヨロヨロとかなりの遅さで情けない走りだったが。 「またって、連絡先も交換してないじゃん・・・・・」俺の独り言が聞こえたのかどうかわからないが、五月はくるっと振り向くと 「あ、ずっと前に借りたものを、今度返すからね!」と叫んだ。  ん?五月に何かを貸したままだっけか?俺は、何度も首を捻りながら、未だにポカンとしている優恵を連れベンチへと戻って行った。