報告3:「選ばれなかった子どもたち」 「えっ、えぐ、えぐっっ・・・」  周りに誰もいない空間で一人の少女が声を押し殺して泣いている。彼女は決して、声をあげて泣く事はしなかった。と言うよりも、彼女は声をあげて泣く事を知らなかったのだ。 「もう、わたしにはできないよお・・・」少女はその白い頬を真っ赤にしながら、泣きじゃくり続ける。 「出来ないはずはありません!あなたが怠けているだけでしょっ!!」少女の隣で、彼女の母親と思われる若い女性が怒鳴り付ける。しかし、その表情には感情がこもっていなかった。 「できないものは、できないもんっ!!」  この少女は生まれた頃から、この様に母親に束縛され続けていた。もちろん、彼女の母親は自分の子どもを束縛したつもりはない。だが、その母親の行動は少女の行動を抑制するには十分すぎた。そして、ますます彼女と母親の関係は、強力な閉じた世界を構築していった。  この閉じた世界が構築される中で、少女は何とかしてこの忌まわしい絆を断とうと努力した。しかし、絆を断ち切ろうとすればするほど、彼女の母親はその絆を強固なものへとさせようとした。 「ママ!わたしは、ママのおもちゃじゃないんだよっ!それなのになんで、いつもいつも『あれをしちゃいけない、これをしちゃいけない』っていうのっ!?」 「なんであなたは、すぐにそうやってママを悲しませるの!私はあなたが出来る子だから、他の子どもとは違うから心配しているんでしょう?そんな簡単な事がわからないの!?」少女の必死の訴えを聞き、母親は少々ヒステリックに叫んだ。 「じゃあ、わかったよ!べんきょうがんばるよっ!だから、おともだちとこうえんであそんでいいでしょ!?」少女は母親を睨み付けると、そう叫びかえした。 「ダメ!絶対にダメ!!あなたは選ばれた子どもなのよ!!他の汚らしい子どもと付き合ってはいけないのよ!」  友人とさえ遊ぶ事を許されなかった少女は、この母親との絆を断ち切る事を諦めた。そして、いつしか泣く事を止めた。いや、笑う事や怒る事、それに悲しむ事さえ止めた。それが、彼女が彼女自身を守る唯一の方法だった。 (いやな雨だな・・・)  少女が小学校に通い始めたころ、一つの転機が訪れた。彼女の母親が自殺したのだ。  最初は母親の異変に誰も気付かなかった。しかし、ある日を境にその母親の行動は明らかにおかしくなってきていたのだ。 「ねえパパ。最近のママ、なんかおかしいよ?」少女が普段は口を聞かない父親に話し掛ける。 「どこが?どこがおかしいんだ?」久しぶりに聞いた娘の声に、父親は少し表情を強ばらせた。 「あのね、とつぜん笑い出したかと思ったら、泣き出したりするんだよ。そして、わたしが聞いたこともないような言葉を話し出すの・・・」 「そうか、きっとママは疲れているんだよ」父親はそう言うと、何かを覚悟したかの様にゆっくりとうなずいた。  それから数日後、少女の母親は自室で首を吊ったのだった。そして、少女は吐瀉物と汚物に塗れた母親だったものを発見してしまった。 (いやな雨だな。はやくやまないかなあ・・・)  彼女の母の葬儀の日は朝から雨だった。雨は全てを洗い流すかの様に、しとしとと降っていた。  ゆっくりと土を被る母親の棺桶を見ながら、少女はつまらなそうに自分の髪の毛をいじる。その髪の毛は若干くせを帯びており、十分に水分を吸ったためか元気に跳ねていた。 「ほら、あの子でしょ。少しおかしい子って」 「そうそう。ほらあの子の母親って、気が触れて自殺したって話だから、そう言う血筋なのかしらね」  遠くで少女とその母親に対する陰口が聞こえる。その陰口を発していたのは、彼女の親戚たちであった。母親が生きていた時は、非常に親切にしてくれた人たちだったが、どうもそれは偽りだったらしい。  しかし、そんな陰口を聞いても、少女の表情は固く強ばったままだった。  数刻後、埋葬が終了すると、参列者は次々と帰途についた。そんな中、少女はまだ無表情に母親の墓前に立ち尽くしている。  雨は更に勢いを増し、少女の身体を打ちつけた。 「おい、もう帰るぞ。なにしてるんだ・・・」少女の父が遠くから彼女の事を呼ぶ。 「・・・、ねえ、パパ。もう、わたしは自由になったんだよね。これで、もう、解放されたんだよね?翼をおりたたみ続けなくてもいいんだよね・・・?」  少女はそう言うと、母親が死んでから初めて涙を流した。しかし、その涙には感情はこもっておらず、ただ静かに彼女の頬を滑り落ちるだけだった。  それから数カ月後。少女は父親の親戚に預けられる事になった。そのため彼女は、親戚の住む日本へと旅立った。 *  穏やかな平日の午後。僕は午後の講議が休講だったので、急いで家に帰ってきてのんびりとくつろいでいた。 「なあ英彦。もう、缶コーヒーは無かったっけ?」アイシャが冷蔵庫を開けながら、テレビを見ている僕に訊ねる。 「え、さっきソフィアが飲んでいたからなあ。それで最後だったんじゃない?」 「あいつ飲み過ぎだよ。いっつも、何か飲んでるか食ってるかしてるよな」アイシャがそう言いながらため息をつくと、 「どわわわあ〜〜コ、コーヒーがああ〜」と、僕の部屋からソフィアの叫び声が聞こえてきた。  僕はいやな予感がしたので、急いで部屋に向かった。そこには、泣きそうな顔でティッシュの箱を抱えているソフィアがいた。 「お、おい!どうした!?何かあったのか???」 「ご、ごめんなさ〜いっ!コ、コーヒーがMacの上に・・・」ソフィアはそう言うと、頭からコーヒーを被ったMacを指差した。 「う、うわわわわわわわわわ!は、早く電源を切れ!電源を!!」僕は慌てた。何故なら、Macの電源が入っていたからだ。 (ん?電源が入っているのに、モニタには何も映っていない??)僕がそう思った瞬間、Macから煙りがたち始めた。 「うっっわわわわわ!!燃えてるぞ〜〜〜。早くコンセントを抜かないと!!」僕はMacのある所まで走ると、急いでコンセントを抜いた。  僕は泣きそうな面もちで、奇妙な匂いを発するMacを見つめた。 「あ、あの。ごめんなさいっ!」ソフィアは俯きながら、泣きそうな声で謝る。 「・・・」僕はソフィアを睨み付けると、黙り込んだ。  そのまま暫く時間が流れる。ソフィアは、おどおどと僕を見つめる。 「あの、怒ってますよね・・・?」  僕は、そのソフィアの当たり前すぎる発言にカチンときた。 「当たり前だ!!何で、パソコンの近くで砂糖たっぷりの缶コーヒーなんて飲んだんだ!!バカっ!」僕はソフィアを頭上から怒鳴り付けた。 「は、はう〜。ご、ごめんなさい・・・」 「別にパソコンを使っちゃいけないとは言わないけど、飲み物を持ち込むなんて非常識だぞっ!」僕は更に怒鳴り続けた。 「ごめんなさい・・・。弁償しますから・・・」ソフィアは本当に申し訳なさそうにしていたが、僕はそんな彼女の態度を見て更に怒り狂った。 「バカっ!弁償してすむ問題じゃない!このMacのハードディスクには書きかけのレポートや、友だちからの電子メールが入っているんだぞ!!もし、ハードディスクまでぶっ壊れていたらどうするんだよ!バカバカ、おバカ!!」僕は血液が頭の中を逆流するのを感じながら、更に大きな声で怒鳴った。 「・・・、えっ、えっえぐっ・・・」突然、ソフィアが俯きながら目を擦り出す。どうやら、泣いてしまった様だ。  僕はその姿を見て、物凄く罪悪感を感じた。僕はいったい、何をしているんだろう。何故、たかがパソコンを壊したぐらいで、ソフィアを怒鳴ってしまったのだろうか?そう言えば、僕は最近、僕に付きまといつづけるソフィアに対して一種の拒絶感の様なものを抱く時がある。何と言うか、僕の事を心から信用しているソフィアを見て、何となくやるせない気持ちになってしまうのだ。 「ソフィア、泣かないでよ・・・」  僕がどう謝っていいかわからずにいる所に、アイシャが向こうからやってきた。 「ああっ!英彦がソフィアをいじめている!やめろよ、子どもをいじめるのはっ!」アイシャが僕を指差しながら、突然そんな事を言った。 「子どもじゃないもん・・・」ソフィアがそう言って頬を膨らませると、アイシャは何かを思い出したらしく慌てた様子で喋り始めた。 「ああそうだっ、こんな事に構っている場合じゃない!!英彦にソフィア!本部から緊急召集の連絡が、今あったんだ!!」 *  僕たちは緊急召集についてミーティングを行うため、リビングへ向かいソファーに腰を下ろしていた。 「で、緊急連絡って何だい?」    僕はわざとソフィアの方を向かない様にしながら、アイシャに真剣な顔で訊ねた。ちらちらとソフィアが僕の方を見つめるが、僕は敢えてそれを無視した。その時のソフィアの悲し気な表情は、僕の心を突き刺した。 「それがな、ある研究施設の調査を至急にしろって言ってきたんだ」アイシャが、今届いたばかりの指令書を机の上に広げる。 「どれどれ・・・」僕がそう言って指令書をのぞきこむと、ソフィアが遠慮がちに近寄ってきた。 「ソフィア。もう、怒ってないから、そんなにビクビクしないでよ」 「本当・・・?」ソフィアはそう言うと、すぐさま僕の側に寄ってきた。その仕種は、まるで子犬の様だった。僕は、そんなソフィアの行動を見て、深いため息をついた。 「でさ、今回の調査は、幕張にあるベンチャー企業の研究施設を調査してこいって訳なんだけど・・・」アイシャが腕を組みながら、僕とソフィアの方を見つめる。 「何を調査するんだ?」僕は首を捻りながら、アイシャに訊ねた。 「いやな、そこの研究員、えっと名前が『小金井 哲』って言うんだが、そいつがその研究施設を破壊しようとしているらしいんだ」アイシャが蛍光ペンで指令書のコピーにアンダーラインをひく。 「おい!そんな物騒な研究員なのに、今までマークしていなかったのか!?それに、そいつはいつ頃施設を破壊するんだ?」僕は突拍子もない指令に、不満の声をあげた。 「んー、それが変なんだ。確かこの任務は別のチームが担当していたんだ。それも、去年からずっと、その研究員、つまり小金井を見張っていたんだよ。それなのに、そのチームがつい先日解散させられたんだ」 「解散?」何とか元気を取り戻したソフィアが口を挿む。 「そう、解散。何でも、小金井に危険な兆候が消えたから解散したらしいんだが、チームが解散した途端に、小金井の行動がおかしくなったんだ」アイシャはそう言うと蛍光ペンの端を加え、眉間にしわを寄せた。 「で、もしかしたら、もう既に研究施設は灰になってるかも知れない・・・」 「なんだそりゃ!?まるっきり、素人の仕事だな!CPの仕事って。それで、その研究施設では何を研究しているんだ?それに小金井とか言うヤツは何をしているんだ?」僕自身も素人なのだからあまり大きな事は言えないが、それでもあまりにもの手際の悪さに驚いた。 「えーっと、この施設ではDNAチップの製造とDNA検査の応用技術を研究している。小金井はここの嘱託研究員で、三年半前から出生前診断、つまり胎児のDNA検査の研究をしているんだ」 「またDNAかよ!それで、何で小金井は施設を破壊しようとしているんだ!?」僕はぶっきらぼうに訊ねた。 「前に担当していたチームの報告書によると、彼の研究は内容に問題があり、研究所から煙たがられていたらしい。それで、彼は今月末で解雇される予定らしいんだ」アイシャが僕に資料の束を見せる。 「じゃあ、怨恨が動機って訳か・・・くだらないな!」僕はなおも腹を立て続けながら、資料に目を通した。 「あ、そうだ。これが小金井の写真な。よく見ておけよ」アイシャは僕とソフィアの前に、一枚のモノクロ写真を差し出した。 「あ、結構若いんだ・・・歳は・・・33歳か」ソフィアは感心した様に、その写真と指令書を見比べる。 「それでアイシャ。今回の調査は、その施設の現状を見てくればいいの?」  いらついている僕とは対照的に、ソフィアは冷静に今回の任務を理解しようとしていた。この辺は、やはり専門の訓練を受けただけあるなと感心してしまう。 「いや、現状調査だけでなく、小金井の身柄も確保するんだ。まあ、素人を一人確保するぐらいだから、私たちだけでも十分だろう。しかし、今回の任務は一応念のために武器を携行するからな」アイシャはそう言うと、鍵のかかったジュラルミン・ケースを三つ持ってきた。 「武器?」僕は首を傾げた。そんなにも今回の任務は危険なものなのだろうか? 「英彦、お前は正式な隊員じゃないから、このスタンガンかボウガンを使え。それに、ソフィアはいつもの様にショートソードだよな、それとも銃も使うか?」  アイシャはジュラルミン・ケースを開けると、そう言って僕らに武器を手渡した。 「へ?スタンガンって?それに、ソフィアのショートソードって何??」僕は呆然としながら、アイシャを見つめた。 「ああ、そうか。英彦はまだ慣れていないから、スタンガンだけでいいな。これなら、相手の首筋に押しあててスイッチを入れるだけだし。ほら、ここがトリガーで、ここが安全装置だ」アイシャは僕の手にスタンガンを持たせ、一緒にスタンガンを操作して使用方法を教えてくれた。 「いや、じゃなくって、何でソフィアは剣を持ってるんだ??」  僕がソフィアの方を向くと、彼女は真剣な顔でショートソードの輝きを確認していた。 「何でって言われても、あれがあいつの常用の武器だし」アイシャが困った様な顔をしながら、ソフィアの方を向く。 「あ、え?あ、このショートソードですか??いや、これはあんまり殺傷能力はないんですけど、魔法の触媒になるから・・・」ソフィアは顔を若干赤らめながら、ショートソードをしまう。 「魔法、触媒・・・??」僕は現実離れした言葉に、狼狽した。  その瞬間、始めてソフィアたちと出会った日の事を思い出した。あの、僕の肩の傷を直したソフィアの力。ここ暫く平和な日々が続き過ぎて、そんな事をすっかり忘れていた。 「で、私はこの銃を使うぞ。コルト・ガバメントのミリタリーだ。もちろん、サイレンサー付きだぞ」アイシャはそう言いながら、鈍く光る銃を得意そうに手に取った。 「お、おい、それ本物か?」僕は恐る恐るアイシャに訊ねる。 「当たり前だ。ニセモノで身を守られるか。で、ソフィアはいつもの通り、銃を使わないのか?」アイシャは銃をケースにおさめ直すと、ソフィアの方を向いた。 「うん・・・、私、銃苦手だし・・・」ソフィアはそう、悲し気に呟いた。 「そうか、そうだったよな・・・」アイシャが申し訳なさそうに作り笑いを浮かべる。 「じゃあ、もう一度詳しく今回の任務の事を説明してから、今晩22時の出発まで待機するか」アイシャは気を取り直してそう言うと、僕とソフィアに資料を配付した。 「えっと、22時って言うと、あと7時間もないのか・・・」僕は壁にかかった時計を見ると、大きくため息をついた。 *  紅い光が部屋を照らす。床も壁も机も、そして僕とソフィアも真紅に染まっている。  僕たちはブリーフィングの後、作戦開始の2時間前まで待機しておく事になっていた。任務に関する準備もいくらかはあったのだが、そのほとんどは本部の方で行われており、最終的な用意はアイシャが行っていた。多分、今頃本部への最終確認の連絡を取っているのだろう。  僕は、ぼーっとしながら研究所の内部図面を眺めていた。ついさっきまで、嫌と言うほど暗記をさせられたので、ほとんど内部の構造を記憶している。実際は自律型ナビゲーションシステムを携行するので、内部構造を暗記する必要はあまりないのだが、一応念のために暗記しておいたのだ。 「なあ、ソフィア。そう言えば本部からの連絡って、どうやって来るんだ?いつも、立派な資料とともに来るだろ?まさか郵便であるはずないし」  僕は隣で壁に凭れ掛かっているソフィアに話し掛けた。どうも、さっきのパソコンの件以来、気まずい雰囲気が流れており、そんな話題をふる事ぐらいしか出来ない。 「え、あ、あの、連絡員がアイシャにコンタクトするんですよ。例えば、どこどこで何時に会うとか言う事を、まず暗号化された無線で連絡してきて、アイシャがそこに向かうんです」ソフィアが何となくぎこちなく話す。 「そうか、本当にスパイと同じだな・・・」僕がゆっくりとソフィアの方に目をやると、ソフィアは僕の方をじっと見つめていた。僕の視線に気付いたソフィアは、恥ずかしそうに顔をそむける。  しばらくの間、二人の間に沈黙が流れる。その沈黙が、僕には痛かった。 「あの、英彦さん・・・、あの、あの、さっきはごめんなさい・・・」ソフィアは少し潤んだ瞳を僕に向ける。その姿は何かに怯える小動物の様だ。何が彼女をそこまで怯えさせるのか、僕にはわからなかった。いや、わかっていたのかも知れないが、敢えてわからない様にしたのかも知れない。 「もう怒ってないよ。それより、僕の方こそごめん・・・パソコンなんて、いくらでも壊れても替えはあるのに、ソフィアとの関係には替えは無いんだよな。そんな簡単な事なのに、気付かなくてごめん」僕は俯きながらソフィアに謝った。 「ううん、英彦さんは悪くないよ。でも良かった。嫌われてなくて」ソフィアがほっと胸を撫で下ろす。 「でも、何でパソコンなんていじったんだい?今まで、あんまり興味を示さなかったのに」僕はソフィアの顔を見つめた。 「あのね、英彦さんが使っているのを見て興味がわいたんです。そんなに面白いのかなって」ソフィアはそう言いながら、照れ笑いを浮かべた。 「なんだ、そっか・・・。じゃあ、この仕事が終わったら、一緒に店に見に行こうか?」 「うんっ!」  僕らはそれから夕食まで話を続けた。夕食と言っても、あまり多くとっては任務遂行に悪影響ががあるかも知れないとの事で、野菜や果物中心に軽くとっただけだ。ソフィアはその事に不満があったらしいが、夜食を食べれば良いとの提案によって納得した様だった。 「それじゃあ、夕食はとったし、時計も全員で合わせたし、そろそろ現場に向かうか。まあ、今回も大した仕事ではないから、落ち着いていこう。ただし、今回は制服に着替えるぞ。一応潜入活動をするんだから、ある程度動きやすい服でないとな」アイシャはそう言うと、上下が黒の戦闘服を机の上においた。よくSWAT等が着ている例の服である。 「それで、着替えは移動中の車の中で行う。あと二十分でここへ本部の車が迎えに来るから、それまでに荷物を玄関まで運ぼう。と言っても、大した荷物はないが・・・」アイシャがそう言いながら、武器の入ったジュラルミンケースの中身を一つのケースに移し替え、記録用のビデオカメラをケースごと僕に渡した。 「え?何でここで着替えていかないんだ?」僕はビデオカメラのケースを開くと中身を確認しながらアイシャに訊ねた。 「当たり前じゃないか?ここで着替えていって、駐車場に行く前に他の住人に出会ったらどうする。こんな時間に、若い男女が戦闘服を着て眼光鋭くエレベーターに乗っている姿なんて、おかしいと思わないか?」アイシャは呆れた様に言った。 「あ、そうか・・・」僕はアイシャと会話を続けながらも、新品のビデオテープを開封するとカメラの中に入れた。  念のためにカメラでソフィアの横顔を録画してみる。 「ほええ、何やってるんですか?」ソフィアが間の抜けた声を出しながら、僕の方を見つめる。 「ソフィアを撮影している」僕はカメラを止め、先ほど撮影した映像を再生する。ビューファインダーにソフィアのぼけっとした顔が映し出され、カメラは正常に動作している事を確認した。 「うえええ?勝手に撮らないで下さいー」 「別にいいじゃないか。減るもんじゃないし」僕はそう言うと、ソフィアの頬を指で突いた。 * 「なんか、雨が降りそうだな・・・」  アイシャが自宅マンションの駐車場で、空を見上げながら呟く。もう日が沈んでからかなり経つので、空の様子ははっきりと見えなかったが、どんよりと雲が立ち篭めている事ぐらいは雰囲気から想像が出来た。 「そうだね・・・、もう梅雨だもんね・・・」  ソフィアはそう言うと表情を曇らせた。 「もうそろそろ迎えが来るんじゃないか?だって、幕張までの時間を考えると、そうなるよな?」僕は腕時計を見ながら、リュックを背負い直した。 「お、来たぞ!」アイシャがそう言うと、遠くの方から真っ黒のワゴンと言うかバンの様な車が来た。 「うわ、怪しい!」僕は思わず、声をあげてしまった。何故なら、その車は真っ黒な上にガラスにスモークまでかかっていたからだった。  僕たちの前で停止する車。良く見ると、この車がただのバンでない事ははっきりしていた。何故なら、バンにしては作りが頑健であるし、何と言っても数々のアンテナが立っていたのだ。 ガタンッ  突然運転席のドアが開き、上下黒の戦闘服を着た人物が降りて来た。身長は僕よりも低かったが、ソフィアより十センチほど高い。彼女は銀髪に近い色の髪を持ち、瞳の色は綺麗なダークブルーだった。 「こんばんは。今回の任務であなた達のサポートをする事になった、エイダ・ガブリエルです。さあ、早く乗って下さい」その人物は簡単に自己紹介をすませると、再び運転席へと向かった。 「さあ乗るぞ。ほら!」アイシャは後部ドアを一気にあけると、僕たちをせかす様に乗り込ませた。  全員が乗り込みドアを閉めると、車は静かに走り出した。車内を見ると、ちょうど運転席と後部座席の間につい立てがあって、運転手の様子をうかがい知る事が出来なくなっている。 「なあ、誰が運転しているんだ?」僕はふとそんな疑問を口に出した。 「そりゃ、エイダだろ」アイシャが僕をからかう様に、クスッと笑う。 「んー、じゃあ、エイダってどんな人物なんだ?」 「ああ、なんだ、そんな事か。エイダはCPの職員でソフィアと同じ一族の出身だ。ほら、いつも指令書なんかを私に渡す人がいるって聞いただろ?彼女が、そいつだ。って言っても英彦は直接には知らないか」  アイシャはそう言うと、突然服を脱ぎ出した。 「お、おい!何、脱ぎ出しているんだよ!!」僕は慌てて顔を手で隠した。 「当たり前だろ。制服に着替えるんだから」アイシャは、なおも服を脱いでいる様だった。  この車は外見はバンに見えるが、実際は後部座席が縦に二列ついているだけなので、内部をよく見渡せる。そんな状況で脱ぎ始めたものだから、もろに見えてしまう。 「おい、なに顔を隠しているんだ。別にいいじゃないか、私と英彦の仲なんだから」  僕はアイシャの服を脱ぐ際の衣擦れの音を聞きながら、顔を赤くした。 「なによう!その『私と英彦の仲』って!!」僕の隣の方で、ソフィアの非難の声が聞こえる。多分、いつもの様に頬を限界まで膨らませているに違いない。  それから数分間。僕はずっと顔を隠していなければならなかった。何故なら、アイシャ以外にもソフィアが着替えを始めたからだ。 「おい、英彦。もう終わったぞ。顔を隠さなくてもいいぞ!」  アイシャの言葉を信じて、目を開いた僕がバカだった。何故なら、 「いやあああ!!まだ、着替え終わってません!!見ないで下さい!!」  と、この様にソフィアがまだ着替え中だったからだ。 「もう、英彦さんのバカ!」着替えを終わったソフィアが、僕の事を睨み付ける。  着替えが終了してからずいぶんと時間が経過したが、ソフィアはまだ怒っていた。怒っていたと言うよりも、かなり動揺している様に見える。 「し、仕方がないだろ!アイシャが着替えが終わったって言ったんだから!」僕はソフィアをなだめつつ、アイシャの方をちらりと見た。  すると、アイシャはわざとらしく口笛を拭きながら、僕とソフィアの方を見て見ぬ振りをしている。 「アイシャ!何とか言えよ!」僕はアイシャに向かって非難の声をあげた。 「ん?何の事だ?それよりも、あと三十分ほどで現場に着くぞ。二人とも携行品の最終チェックを行ったらどうだ?」アイシャはとぼけた調子で答えると、自分のタクティカルベストに色々なものを詰め始めた。 「何だよ・・・」僕は諦めた様な声を出し、渋々とカメラのチェックを開始した。 「はあ、まあ、アイシャって前からこうだもんね・・・」横ではソフィアも同様に、諦めた様子でため息を洩らした。 *  東京を離れるにつれ、だんだんと街の明かりが弱くなって来ていた。僕たちを乗せた車は、交通量の少ない湾岸線をただひたすらに走る。  遠くには造船所や化学工場が見える。しかし、時間帯のせいだろうか。それらの建物にはほとんど明かりが無く、死に絶えた様な静けさが辺りを覆い尽くす。 「人気の無い工業地帯って怖いですね・・・」ぽつりとソフィアが呟く。 「そうだよな。何だか、人類が文明を放棄してしまった後の風景に見えるよな・・・」僕はそう言いながら、辛うじてスモークガラス越しに見える風景を凝視した。 「うーん。私にはギブスンの小説に出てくる世界に見えるなあ」アイシャも僕の隣で、ぼうっと外の様子を見つめている。 「はは。アイシャってSFを読むんだ。まあね、ギブスンの小説にはチバ・シティーがよく出てくるから・・・」僕はアイシャの意外な一面を知り、少し嬉しくなった。 「ああ、読んだ事ぐらいあるぞ」アイシャはそう言いながら、ポケットから煙草を取り出すと口にくわえた。 「え?なに、そのギブスンって??」ソフィアが首を傾げながら訊ねる。 「お前が読まない様な作品を書いている作家だよ」アイシャは煙草に火をつけると、ゆっくりとその煙を吸い込んだ。 「う〜」ソフィアは拗ねて黙り込んでしまった。 「そう言えばアイシャ。アイシャって、あまり僕たちの前では煙草を吸わないよね?どうして?」僕はふとそんな疑問を口に出した。そう言えば、アイシャが煙草を吸っている所を見た事はあまりなかった。 「いや、もともと私はそんなに煙草を吸う方ではないんだが、どうしても大きな仕事の前には吸ってしまう事があるんだ。まあ、なんて言うか気付けみたいなもんだ。酒を飲んだら仕事は出来ないが、煙草なら吸っても仕事ができるからな」アイシャはそう言いながら、口元から紫煙を燻らす。 「それに、こいつが煙草の煙りに弱いから、家では吸えないんだ。な、ソフィア?」アイシャはソフィアをからかう様に、彼女に向かって煙草の煙りを吹き掛ける。 「けほっ、けほっ!やめてよアイシャ!そんなもの、身体に悪いよ〜」ソフィアは咳き込みながら、アイシャから離れて行く。 「英彦、お前も吸うか?ラッキーストライクだけど?」アイシャが僕に煙草の箱を差し出した。 「あ、煙草なんて久しぶりだな。じゃあ、一本もらうよ」僕は煙草を一本もらうと口にくわえ、アイシャに火をつけてもらった。  ゆっくりと確かめる様に煙りを肺の中に招き入れる。久しぶりに吸った煙草は驚くほど旨かった。 「あ〜英彦さんまで、そんな有毒物質を吸っているう!二人とも肺がんで死んじゃうよ?」ソフィアは僕とアイシャから離れようと、ますます車の端に移動していった。  僕とアイシャが煙草を吸い終わる頃、車が突然停止した。そして、自動的に車の後部ドアがゆっくりと開き始めた。  すると、その向こうには一つの人影が見えた。 「さあ、現場付近につきました。既に、あなた方のみでのブリーフィングは終了しているかも知れませんが、私とのブリーフィングは行っていないので、最終確認の意味を含めて情報を交換しましょう」その人影はそう言うと、後部座席に乗って来た。 「そうだなエイダ。じゃあ、最終チェックを行おう」アイシャは頷きながら、僕たちの荷物を開ける。 「じゃあ、まず無線機についてです。皆さん、無線機はお持ちですよね?」エイダが小形の無線機をベストから取り出すと、良く見える様に僕たちの前へ置いた。 「おっと、無線機はまだこっちだ」アイシャが三台の無線機をジュラルミンケースから取り出した。僕とソフィアはそれを受け取ると、しげしげと見つめた。 「それで、この無線機は皆さん同士での連絡の他に、ここで待機する私との連絡にも使用します。これらはCDMA方式の無線機なので、通話が途切れにくく、また高い秘話性を持っています」ガブリエルは光を吸い込んでいる様な深いダークブルーの瞳で、僕たちを交互に眺める。その表情にはあまり感情がこもっていない様に見えた。 (・・・このエイダって言う人は、冷たい人なのかな?)僕はエイダの第一印象から、勝手にそんな事を想像した。 「あ、CDMAって何だか売れない携帯みたい。ほら、テレビ電話にもなる・・・・」ソフィアがぼけっとした表情で、無線機をあらゆる角度から見ながら言う。そしてふと、手から無線機を滑り落としてしまった。 ボカッ 「早速壊してどうする!?」アイシャがソフィアの頭を軽く小突いた。 「痛い、痛〜い!別にいいじゃない!こんな事ぐらいで怒らないでよ!ただでさえ、アイシャはバカ力なんだから!頭が悪くなったらどうするのよ!!」ソフィアが下唇を噛み締めながら、涙を堪えアイシャを睨み付ける。 「大丈夫だよソフィア。それ以上悪くなりようが無い」僕はソフィアをからかいながら、頭を摩ってやる。 「う〜」ソフィアは、尚も非難の視線をアイシャに向けている。  その時、僕はエイダがわずかながらも微笑んでいる事に気付いた。そう、先程まで彼女は完全な無表情だったのに、今では生き生きとした表情が生まれつつある様に見える。 (何だ、エイダって言う人は本当はいい人なのかも知れない。ただ、緊張しているだけなのかもな)僕はエイダの表情を見て、そう思った。そして、何故かその事が妙なほどに嬉しく感じられた。 「それでいいですか?この無線機はチャンネルを設定すれば、後は自動的に最適な通信状態にしてくれます。そして、音声を聞く時はこのイヤホンを使って、話す時はこのマイクを使って下さい。このマイクは咽頭マイクですから、首に固定すれば後は囁くだけでOKですよ」エイダは僕たちに無線機の使い方を教えつつ、実際にイヤホンとマイクを付けてみせてくれた。僕たちもそれにならって、イヤホンとマイクを装着する。 「じゃあ、スイッチを入れてみて下さい。そして、何か喋ってみてくれませんか?」  僕たちはエイダにそう促されると、適当に喋り出した。無線機は上手く働いている様だった。 「無線機の方はOKですね。それで、任務内容の最終確認ですが・・・」  エイダが資料を広げると、僕たちはそれを取り囲む様にして座った。 「今回の任務は簡単に言うと、研究所の現状調査と研究員の小金井氏の身柄確保です。しかし、現状調査が最重要項目であり、小金井氏の身柄確保はあくまでも補助項目でしかありません。ですから、あまり無理をしないで下さい。また、銃火器の使用許可が降りていますので、いざと言う時にはためらわずに使用して下さい」エイダはそう言いながら、何かカードの様なものを僕たちの前に置いた。 「それで、これが研究所のカードキーです。これを使って入ってください」 「しかし、入れたとしても中の警備はどうなっているんですか?」僕はそのカードを確認しながら、エイダに訊ねた。 「その点は大丈夫です。この時間では警備員は帰宅しています。通常は自動警備システムが起動していますが、先ほど私が警備会社との回線をシャットダウンしておきました」エイダは僕の顔を見ると、嬉しそうに少し微笑んだ。 「へえ、エイダさんはそう言う方面のスペシャリストなんだ。どこかの誰かとは違うな。パソコンにコーヒーを飲ませる誰かとは」僕はソフィアの方をチラチラ見ながら、そう言った。 「もう、あの事は言わないでくださいよ〜」ソフィアは顔を伏せながら、小さな声で文句を言った。 「で、イマイチわからない事があるんだ」僕とソフィアのやり取りを眺めていたアイシャが、突然真剣な顔でエイダに訊ねた。 「今回の任務内容は了解した。だけど、何故こんな仕事でCPが出動するんだ?それに、この研究所では遺伝子関係の研究をしているんだろ?で、小金井の研究がヤバいって事は薄々わかる。だけどな、こいつがやっている研究について具体的な情報があまり無いんだ。エイダは知っているのか?」 「小金井氏の研究ですか?私も詳しくわかりませんが、どうも『出生前診断』の研究を主にやっていたと聞いています。ただ、何でその研究が問題になり、CPで調査しなければいけないのかは分かりません。私もこの任務を担当してから、まだ数時間ですから。作戦計画マネージャは、他にいますからね」  この時エイダは始めて不安そうな顔をした。僕はその表情を見て、何故か嬉しく思う反面、漠然とした不安を感じた。 「お、もう二十二時になるな。さあ、そろそろ行くぞ!」  その場に溢れ出した不安を払い除ける様に、アイシャは明るい声を出して僕たちの肩を軽く叩いた。 *  車の外に出ると、僕たちは身をかがめて研究所の通用口へと向かった。研究所と言っても、所詮ベンチャー企業の施設なので大きくはない。  ふと空を見上げると、今にも雨が降り出しそうな感じがした。ねっとりとした空気が、肌をなめる様に覆い尽くす。 「じゃあ、カードでドアを開けるぞ・・・」  そう言ったアイシャの顔は汗でびっしょりだった。緊張から出る汗かも知れないが、この湿気を帯びた空気も原因となっているのであろう。  ピピッ、ガタッ  ドアは小さな電子音を発すると、ほんの少し開いた。その瞬間、僕の緊張は極限に達し気分が悪くなった。 「うぐっ」僕は微かなうめき声を洩らした。 「どうした、英彦。気分が悪いのか?」アイシャが額の汗を手で拭いながら、小声で話し掛けてくる。 「ああ、少し」僕は、むりやり笑顔を作って答えた。 「だろうな。この私でさえも緊張しているんだから。人間は緊張すると、胃と横隔膜が触れて気分が悪くなるんだ。もし、我慢出来ない様だったら、私が胃を正常な位置に押し戻そうか?」  アイシャは真面目な顔で言っているが、本当にそんな事ができるのだろうか。 「え?それって、からかってるのか?」  僕が訊ねると、アイシャは少しムッとして答えた。 「いや、からかってない。普通、こういう時にはやるもんなんだよ」 「あ、そうなのか。ごめん・・・でもいいよ。我慢出来ないほどじゃないし」僕は申し訳ないと心から思った。アイシャは純粋に僕の事を心配してくれていたのに、僕はそれを疑ってしまったのだ。 「よし、じゃあ中に入るぞ!一番前に私、次に英彦、そして最後にソフィアと言う順番で行動するからな」  アイシャは銃の安全装置を外すと、ゆっくりとドアを開けた。 「でもアイシャ。ナビゲーションシステムは、私が持っていていいの?」ソフィアが腕に抱えたコンピューター端末の様なものを掲げた。 「大丈夫。道筋は憶えているから。もし間違えそうだったら、その時に指示してくれ」アイシャは微笑むと、銃のグリップを握り直した。  研究所の中は、意外と明るかった。確かに各々の部屋の電気は消えているのだが、廊下には通行に差支えが無い程度の明かりがついていたのだ。 「アイシャ。ずっと真直ぐに行って、突き当たりを右に曲がって。そうすれば、エレベーターホールがあるから」ソフィアが腰のショートソードを微かに鳴らしながら、僕の後ろを歩いている。 「わかっているって。それで、地下二階の遺伝子検査応用技術第三研究室に小金井がいるんだろ?」アイシャは前方に意識を集中させたまま、ソフィアに答えた。  と同時に、突然無線機のスケルチが開き、エイダの緊張した声が聞こえてきた。 『三人とも、この先のエレベータホールから人が近付いています!恐らく、この施設の研究員でしょう。あと、六分後には遭遇しますから、十メートル先の通路の右側の通風孔に隠れて下さい!』 「エイダ、了解した。それでは、これから通風孔に隠れる」アイシャはそう告げると、小走りで通風孔へ向かい、中の安全を確認すると僕とソフィアを手招きした。  僕たちは通風孔に入ると、蓋を元通りに閉め、息を殺した。 「うえ、くっさーい」ソフィアが僕の隣で涙声で訴える。 「仕方ないよ。かび臭いのは。通風孔の掃除なんてしないんだし」僕は鼻を押さえながら、吐き気を堪えた。 「し、静かに。そろそろ誰か来るはずだぞ!」アイシャが声を押し殺して、僕とソフィアを通風孔の奥へ押し込む。  この通風孔はわりと大きかったが、それでも奥へ押し入れられると僕たちの身体は密着してしまった。ソフィアが恥ずかしそうに、僕の胸に顔を押し付けている。  カツ、カツ、カツ・・・  僕たちの目と鼻の先をスーツ姿の男が通過した。その風貌から見て、どうもこの施設の研究員の様に見えた。 『今、あなた達の前を通った人物は研究員の一人の様です。どうも、今の時間まで残って作業をしていたみたいですね』無線機越しにエイダの澄んだ声が聞こえる。 「そうか。それで、他に人はいるのか?本当に警備員はいないんだろうな?」アイシャがくぐもった声を出す。その声は空中を伝わるのと同時に、僕の耳に入っているイヤホンからも聞こえてきた。 『はい。今、施設内のセキュリティーシステムをチェックしていますが、警備員はいない様です。また、小金井氏は作戦要項通りに遺伝子検査応用技術第三研究室にいます。ただ、いつ姿を消すかわからないので、至急向かって下さい』 「あ、エイダさん。何で小金井が確実にいるってわかるんですか?」僕は心に浮かんだ疑問を、そのまま聞いてみた。 『はい。何故なら、現在、遺伝子検査応用技術第三研究室の監視カメラの映像を、ここでチェックしているからですよ。どうも小金井氏は、何かの証拠を隠滅しようとしているみたいですね。一生懸命にシュレッダーを使用しています』事態は重要な局面を迎えつつある様だが、エイダの声はなおも冷静だった。 「何だって!?じゃあ、早く行かなければ!急ぐぞ!」アイシャはそう言うと、素早く通風孔から飛び出した。僕とソフィアもそれに続いて廊下へと出た。  僕は急いでカメラを構え直すと、アイシャの後を足音をたてない様にしてついて行った。僕の後ろをソフィアが音をたてない様にして歩くが、どうしてもショートソードの鞘が足にあたって音が出てしまう。 「早く!エレベーターが来ているぞ!」僕とソフィアの遥か前方で、アイシャがエレベーターのドアを足で押さえていた。そして、彼女の片手にはサイレンサーの付いた銃が握られていた。  僕たちはなるべく足音をたてない様にしながら、急いでエレベーターに乗り込んだ。  鋼鉄の扉が、世界を分断するかの様に重々しく閉まった。そして、世界は沈黙に包まれた。 *  僕たちは向かっていた。事件を解決するため、小金井の破壊活動を阻止するために研究室へ向かっていたのだ。  しかし、CPが捜査を行うほど重要な研究とは、いったい何なのだろう?その詳細、いや、目的さえ何一つ伝えられていない。あと数分もすれば出会うであろう小金井と言う人物は、いったい何をしようとしているのだろうか。僕は、ふと、そんな疑問に捕らわれた。 「アイシャ!この廊下の手前から三つ目の扉が目的の場所だよ!」ソフィアが端末を見ながらアイシャに告げた。 「わかった・・・」アイシャは身を屈めて、今まで以上に素早く移動する。  アイシャが銃を構えドアを狙ったところで、僕とソフィアはその研究室の前にたどり着いた。その研究室のドアは、とても重要な研究が行われているとは思えないほど安っぽく見える。 「じゃあいいか。私が銃を構えながら突入するから、もし相手が銃火器を持っている様だったら、私に構わずに逃げろ!いいな!」アイシャは、今まで見せた事のない様な鋭い視線を僕に向けた。その瞳は人間のものと言うより、狩りを開始した獣のものだった。僕は彼女の視線に足を竦ませた。 「あ、あと英彦。私がドアを蹴破ったら、これのピンを抜いてレバーを握り、中に放り込め。いいな」アイシャはそう言うと僕に手榴弾を手渡した。  僕はそれを受け取ると、神妙に頷いた。  カチャ  アイシャが銃のトリガーに手をかけ、ソフィアがショートソードをすらりと腰から抜く。僕は大きく息を吸うと、手榴弾のピンを抜いた。 「・・・3、2、1。行くぞ!!」  ドタンッ  アイシャは合図とともに片足でドアを蹴破ると、僕は手榴弾のレバーを握り中へ放り込んだ。 「よし伏せろ!そして目を隠すんだ!!」アイシャの怒声に、僕とソフィアは素早く反応した。  ボスン  くぐもった爆発音が聞こえると同時に、隠したはずの目から光が飛び込んでくる。 「ぐわあっ!」その時、中から男性の悲痛な叫び声が聞こえた。 「よし、もういいぞ!突入だ!」アイシャに肩を叩かれ、僕は目を開けた。ドアが開け放たれた研究室の中は、煙が若干立ちこめているとは言え、どこにも爆発の後は無かった。そう、先ほど放り込んだ手榴弾は非殺傷性の閃光弾だったのだ。 「目が、目が見えない!!」研究室の端の方で白衣姿の男が転がりながら呻いている。彼が小金井だろうか?  僕は、その一見異常とも滑稽とも取れる様子を、ただ淡々とカメラに記録し続けた。 「おい、お前!お前が『小金井 哲』に違いないな!」  アイシャは小金井を牽制する様に大声で怒鳴ると、腰から手錠を取り出した。手錠と言っても、ただのプラスティックのバンドである。しかし、このバンドは人間の力では断ち切る事ができず、また使い捨てのものなので鍵をかける必要が無い。 「だ、誰だっ・・・ま、まさか警察か、それとも・・・奴等の手下か?」小金井が焦点の定まらない目で、こちらを見上げる。 「奴等?奴等って誰だ?」アイシャは首を傾げながら小金井の上に乗り掛かると、腕を後ろに縛り上げた。 「いたっ!乱暴するな!それより、あんたは何者だっ!?」アイシャの下で、小金井が苦しそうに呻く。 「お前に知る権利は無い。命があるだけありがたいと思え」アイシャは感情のない声でそう告げると、小金井の上から降り、彼を無理矢理立たせた。 「わ、私には黙秘権がある。何も言わないぞ!」小金井が慌てた声を出す。 「いや別に、お前に不利な事は言わなくて構わない。そもそも黙秘権を行使しようとしているみたいだが、私たちにはそんなものは無関係だ。ただ、少々聞きたい事がある」アイシャは小金井の全身をまさぐっている。どうやらボディチェックを行っているらしい。 「何だ。いったい何を知りたい?」小金井が震える声で答えた。 「まず、さっきお前が言った『奴等』って誰だ?それに、お前の研究はどんなものなんだ?」アイシャはそう言うと、小金井を椅子の上に座らせた。そして、銃口を彼に向けた。 「なあ、アイシャ。別に小金井の身柄を拘束すればいいんだろ?何で尋問をするんだ?」僕はビデオカメラを一旦停止し、アイシャに訊ねた。 「そうだよ、アイシャ。もう帰ろうよ・・・」緊張のあまり汗をびっしょりかいたソフィアが、僕の隣で情けない声を出す。 「何だ、あんたたちは複数だったのか。あ、段々目が見えてきた・・・」小金井は懸命にまばたきをして、何とか焦点をあわせようとしている。それとともに、彼の瞳が徐々に周囲を映し出し始めた。 「ほら、答えろよ!あと、二分だけ待ってやる」アイシャはそう言いながら、銃口を小金井の頭に向ける。 「嫌だね!あんたたちは警察じゃないんだろ!」小金井は落ち着いてきたのか、僕たちの姿をバカにする様な目つきで睨み付けた。  僕たちの前にいる、この小金井と言う男。先ほどまでは気付かなかったが、年令は写真よりかなり若い様に見える。どう見えても30代には達していない。 「ああ、警察じゃ無いさ。ただ、さっき言った事を答えて欲しいんだよ。それとも、これを使わせてくれるのか?」アイシャは、にやりと笑うと銃口を小金井に近付けた。 「アイシャ、やめようよ〜。容疑者を殺したら始末書ものだよ?」ソフィアが平然とそんな事を言う。 「お、おい!始末書で済むのか?」僕は隣のソフィアに耳打ちをした。 「うん済むよ」ソフィアが笑いながら答える。僕はその光景に、背筋を凍らせた。もう二人との付き合いは長いが、未だに二人の性格をはかりかねる時がある。 「あと、一分ちょいだ。どうする、小金井」アイシャは更に顔をにやつかせ、小金井に迫る。 「わ、わかった言うよ。まず、『奴等』ってのは、以前上層部から聞いた噂に出てきた『超法規的組織』の事だ。その組織は何でも各国の政府よりも力があるらしい」小金井が、ぽつりぽつりと言葉を紡ぐ様に話し始めた。 「ほう、では、お前の研究については?『出生前診断』が専門と聞いているが」 「それに関しては、直接見てもらった方がいい。この奥の実験室で見せるから、連れて行ってくれ」小金井は落ち着いた様子で、僕たちに縛られた両手を見せつけた。 *  小金井に案内された部屋は、思ったよりも小さかった。一般的な大学の研究室よりも若干狭いと言った所か。生命工学の研究室だけあって、無菌ボックスや顕微鏡、それに大きな医療測定器の様なものが部屋の奥に格納されている。  ただ、一般の生命工学系研究室と違うのは、場違いなほど大きなワークステーションと大きなプロジェクターがあり、部屋の奥には頑丈そうな鋼鉄のドアがあると言う事だけだ。そして、その鋼鉄のドアには「避難用防火扉―焼却炉に事故が発生した場合、この扉を使って非常口まで避難して下さい。この扉は防火・防爆が可能です」と書いてあった。  また、部屋の隅にはネットワークプリンタにも使えるコピー機とシュレッダーがあり、その側には細切れになった書類の束があった。 「ほら、ここが私の実験室だ。と言っても、もう違うがね」小金井は背中に銃を突き付けられながら、ワークステーションへと近付く。 「奇妙な事はするなよ。まだ、死にたくはないだろう?」アイシャは小金井の背中を、銃身で小刻みに突く。 「それで、あなたは何の研究をしていたんですか?それに、この細切れにされた書類、いや実験結果かな、は、どうしてこうしたんですか?」僕は再びカメラを回し始めると、小金井に質問を始めた。 「それも、答える必要があるのか?」小金井は面倒臭そうに答える。 「いや、あなたは多分話してくれるだろう。じゃなきゃ、わざわざここまで案内するはずがない」僕はあくまでも平静を装い、小金井にレンズを向け続けた。 「ああ、そうだろうな。まあ、簡単に言えば、この研究は『バカな人間を生まれる前に抹殺して、人類を浄化する研究』だな。ん、この表現は少々低俗すぎるかな?」小金井はにやりと笑うと、自慢げに答えた。僕は彼の瞳を見て怯えた。何故ならそれは、狂人のものだったからだ。 「バカな人間を抹殺する??」僕の隣で黙り込んでいたソフィアが、震える声を出しながら聞き返した。 「そうだ、人類にとって意味の無い低能な人間どもを抹殺すれば、地球はもっと住み易くなるし、有能な人間がバカどもの世話をしなくて済むから充実した人生をおくる事ができる」 「・・・」  ソフィアは俯くと黙り込んでしまった。僕はファインダからいったん目を話すと、彼女の頭を撫でた。何故か、その姿がとても悲し気に見えたからだ。  ソフィアは僕のそんな仕種に反応し、片手で僕の上着の裾を掴む。 「ほお、随分と自分勝手な研究だな。反吐が出るぜ。それで、どうやって生まれる前に低能な人間とやらを抹殺するんだ?」アイシャは若干イライラした様子で、小金井の背中に更に強く銃身を押し当てる。 「反吐を出してくれても結構。所詮、あんたら凡人には理解出来ないだろう。で、どうやって実現するかだが、この映像をまず見てくれ」小金井がワークステーションを操作すると、前面のスクリーンに様々なグラフと共に、二十代の女性の全身像が三次元表示された。 「これは・・・??」  僕たちは、その画像を見て首を捻ると同時に漠然とした恐怖を感じた。 「まだ産まれていない子どもの将来だ」  小金井は両腕を縛られたまま、得意げな顔でスクリーンを僕たちに見せつけた。  そして、その銀色の粒子でコーティングされたスクリーンは、来るべき未来の姿をループさせている。 「何を言っているんだ?」僕はファインダーから視線を小金井へと向け、彼の言っている意味を理解しようと懸命になった。 「そうか、これだけではわからないか。それでは、こちらを見ればいい」そう言うと小金井は、密閉された大きな無菌ボックスへ向かった。僕たちもそちらへ向かう。 「ほら、何本かの試験官が見えるだろ?あれには、様々なカップリングによる受精卵が保存されている。そして、この受精卵が分裂を開始したら、その胚の一部を取り出し遺伝子マッピングを行うんだ。この遺伝子マッピングを行う装置は、ここではなく別の研究室にあるのだがな」  僕たちは無菌ボックスのガラス越しに、何本かの試験官を眺めた。それらには全てインデックスシールが貼られていて、詳しく中身を見る事が出来なかった。もっとも見る事が出来ても、内容物のチェックは出来そうにはなかったが。 「それで、その結果求められた遺伝子配列の情報をこのワークステーションに入力し、LANで結ばれている超並列処理コンピューターで、将来その受精卵がどう成長するかをシミュレーションする訳だ。そして、その結果をワークステーションで三次元グラフィックにモデリングする」小金井は机の上に腰をかけながら、僕たちに説明を続ける、彼の態度はどう見ても誇大妄想気味だった。 「そんな事が出来るの?」ソフィアが、か細い声で訊ねる。 「ああ、簡単だよ、お嬢ちゃん。『ヒトゲノム計画』は、人間の外見や才能を決める遺伝子さえ読み取ってしまったんだ。それらの情報があれば、後は簡単に将来を予想出来る」 「バカだな、あんた。人間ってのは、産まれてからの環境が大事なはずだ。いくらIQが高くっても優れた学者にはなれないし、絶対音感があっても優れた音楽家にはなれないんだよ」アイシャが鼻で笑いながら、小金井の顔に銃口を向ける。何故かその仕種は、とても楽しそうに見えた。  一瞬、小金井の表情が強ばる。しかし、すぐに彼の表情は自信に満ちたものへと変わった。 「いや、それらの能力があった方が、凡人よりも努力をしなくてもすむ。まあ、あんたみたいな凡人には理解出来ないだろうがな」 「そうだろうな。あんたは頭が良いらしい」アイシャは、クスッと笑いながら、銃を手のひらで弄んでいる。 「で、この検体だが、これは知的能力、運動能力ともに平均以下で価値がない。しかも、身長がやや低すぎる。これは使い物にならない」小金井がプロジェクターを見つめながら、そう呟いた。  小金井の言葉を聞いたソフィアは、顔を赤くして俯いてしまった。それは、無理もないだろう。彼女は自分の身長が低い事を気にしているのだから。  僕は、そんな小金井の自分勝手さに腹が立った。特に、ソフィアの落ち込む様子を見てから、殺意さえ感じ始めた。僕が銃を所持していなくて、本当に正解だったと思う。 「使い物にならなかったら、どうするんだ?殺すのか?」僕は憤りを隠そうと努力しながら、声を押し殺して言った。 「殺すなんて人聞きが悪い。処分するんだよ。いいか、こうするんだ」小金井はニヤリと笑うと、ワークステーションのキーを肘で叩いた。すると、どこからかモーターの動作音が聞こえ始めた。  アイシャはその音に警戒し、銃を構え直した。 「いや、ただ焼却炉を動作させただけだ。ほら、このモニターを見てみろ」小金井が顎で指した方向には、小さなブラウン管式のモニターがあった。  そのモニターには、試験官の一本が無菌ボックスからマニピュレーターで運ばれる映像が映っていた。  そして・・・  ガタン  その試験官は、扉の開かれた焼却炉の紅い紅い炎の向こうへと消え去った。  エッジのぼやけたモニターの画像が、僕の心を激しく痛め付けた。 「やっぱり人殺しだ、あんたは」僕は怒鳴りながら、腰のスタンガンを取り出した。 「おい、あんたは何か勘違いをしているな。あれは受精卵だ。人じゃない。それに、私は良い事をしているんだよ。能力の無い、欠陥ばかりの子どもなんて生まれてきたら、本人が可哀相じゃないか。あの子たちは一生、それで悩み苦しむのだから。それだから、素晴らしい人生をおくれるだろう受精卵だけを選んで母体に戻すんだ」 「ふざけないでよ・・・」  ずっと黙り込んでいたソフィアが、震える声で呟く。その声は、怒りだけでなく悲しみやその他の感情を爆発させるほどに含んでいた。 「ふざけないでよっ!何で、あなたなんかが子どもの生まれる権利を押さえ付ける事ができるの!!もしかしたら、もしかしたら、あなたが燃やしてしまった子どもたちが、この世界を変えるかも知れないのに。それに、もしかしたら、あの子たちは生まれたかったのかも知れないんだよ!子どもは大人の所有物じゃない!!!!!」  ソフィアは部屋を揺るがすほどの声で絶叫すると、膝から崩れ落ちた。 「おい、ソフィア。大丈夫か?」僕はカメラを無造作に床に置くと、ソフィアのもとへと向かった。彼女の小さな肩は震え、床には大きな涙のしみができていた。 「え、えぐっ、えぐっ・・・」ソフィアは子どもの様に泣きじゃくりつづける。 「お嬢ちゃんは、まだまだ子どもだな。そんな理想論、聞きたくもない!世の中には必要な人間と、不必要な人間、つまりゴミが存在するのだよ。私は、そのゴミを焼却処分しているだけだ。そして、本当はこの施設自体を燃やして、国外に逃げるつもりだったんだ」小金井は、やれやれと両手を広げ大袈裟に言った。 「国外に逃げてどうする?どこに行くんだ?それに、研究結果を燃やしてもいいのか?」アイシャは小金井をバカにする様な目つきで見つめると、銃を下ろした。 「私は選ばれた人間だ。だから、早くこの忌ま忌ましい国から出て行って、私に相応しい国で研究を続けるんだ」小金井はいらついた様子で貧乏揺すりを始めた。 「忌ま忌ましい国?何でそう思うんだ?」アイシャは、さらに小金井をバカにし続ける。 「この国の奴らは皆バカだ!大バカだ!バカのくせして、皆でこの私の事を蔑ろにする!それが許せないんだ!!」小金井は顔を赤くして、上半身をそらしながら怒鳴りつづける。僕はその様子を見て、恐怖と哀れみを感じた。 「くそっ!お前らも、俺の事をバカにするのか!!」小金井は泡をふきながら絶叫すると、突然、部屋の奥へ駆け出した。  パシュ  と同時に、乾いた破裂音が部屋の空気を切り裂いた。 「うおっ!」小金井がよろめいて、床に転がる。 「バカやろう。動けば撃つって言っただろ!初弾はスタン弾だが、二発目からは実弾だぞ!」アイシャは、ここに来て初めて表情を険しいものへと変えた。 『アイシャさん。小金井氏は恐らく爆発物を隠していると思われます。一応、探してくれますか?もし、それで危険がおよぶ様でしたら、すぐに小金井氏を連れて退却して下さい』  今まで沈黙を守ってきた無線機が、突然動作した。僕たちは、その通信によって、エイダの存在を思い出した。 「わかった。問いただしてみる。容疑者は、殺さない方がいいんだろう?」アイシャが興奮した様子で、エイダに意見を求めた。その会話を聞いて、小金井の身体が一瞬硬直した。 「おい、小金井さんよ。あんた、どこかに爆発物を隠していないか?」アイシャが、銃身で小金井の頭をコツコツ叩く。 「た、例えあったとしても言うものか!」小金井は冷や汗に塗れた顔で、アイシャを睨み返した。 「あ、そう。じゃ、ソフィア。探してみてくれ」  アイシャに促されたソフィアは、涙で濡れた瞳を閉じると、大きく息を吸った。 「うん、このロッカーの中の段ボールの中にパイプ爆弾があるね」ソフィアはそう言うと、僕の背後にあるロッカーを見つめた。 「そうか、じゃあ本部の爆発物処理班に頼もう。あとはこいつを連れて行けばいいのか」アイシャはそう言うと、エイダに連絡を取り始めた。 「おまえらなんかに、邪魔はさせない!」アイシャが一瞬目を離したすきに、小金井がロッカーへと走った。 「やばい!!このまま爆発させたら、英彦が吹っ飛ぶぞ!」アイシャが絶叫しながら、コンバットナイフを取り出し、小金井に飛び掛かかる。しかし、一歩の差で小金井に追いつけなかった。  僕は、その光景を見ながらも、そこから一歩も動けずにいた。 (早く逃げなきゃ!早く!)頭ではそう理解するのだが、身体が全く動かない!  そして、小金井が起爆装置に手を触れようとした、その時、 「いやああああ!!!!!」  ソフィアの絶叫が狭い研究室内を木霊し、周りにあったものが激しく振動を開始した。 「な、何だ!?」起爆装置を持ち出そうとした小金井が動転して、身体を大きく傾けた。  その瞬間、アイシャはソフィアを片手で抱え上げ、僕を鋼鉄製の防火扉の向こうへ突き飛ばした。僕が防火扉の向こうへ転がって行くと、アイシャとソフィアも僕の後から転がる様に潜り込んできた。  ドスンッ!  アイシャが防火扉を閉じると同時に、研究室からくぐもった爆発音が聞こえた。 「うぎゃあ!!」鋼鉄のドア越しに、小金井の悲痛な叫びが聞こえてきた。 「バカな奴だ。自分で作った爆発物の効果を自分で試すとはな」アイシャはため息をつくと、ゆっくりと防火扉を開けて研究室内を見渡した。 「おい、ソフィア。大丈夫か?」僕はさきほどからずっと肩を震わせ、何かに怯えているソフィアの肩を両手で抱いた。どうやら、身体の自由は若干取り戻せた様だ。 「・・・ひ、英彦さん。ひっく、ひっく、英彦さんが死んじゃうと思ったから、あんな力使っちゃいけないのに・・・」ソフィアが両手を目にあて、涙を拭う。 「いや、ソフィアがいなかったら、今頃僕は木っ端みじんだよ。ありがとう」僕はソフィアの頭を撫でながら、優しく話し掛けた。 「うん・・・」ソフィアはゆっくり頷くと涙を拭い、たおやかに微笑んだ。 「おい!英彦にソフィア!研究室に火が回ったぞ!早く逃げよう!!」研究室へ入り込み様子をうかがっていたアイシャが、血だらけの白衣を着た男性らしきものを肩に担ぎながら戻ってきた。 「それ、小金井か?」僕はおそるおそる、アイシャに訊ねた。 「ああ、こいつは運がいいぞ。爆弾が一本しか爆発しなくて、ちゃんと生きていたよ。って言っても、顔面が潰れているし手足も吹っ飛んでいるから、一生まともな人間の形には戻れないけどな。それにほら、これ、いるだろう?」アイシャはニイッと笑うと、僕に床へ投げ捨ててあったビデオカメラを手渡した。そのカメラはボロボロになっていたが、奇跡的にもテープは無傷だった。 「とにかく、早く逃げようぜ。火が焼却炉の燃料に引火したら大爆発するからな!」  アイシャが通ってきたドアの向こうを見ると、先ほどの爆発の影響からか、床に散らばっていた紙屑に火が燃え移っていた。 「わかった!」僕はソフィアの手を引っ張ると、小金井を肩に担いだアイシャと共に急いで非常口へ向かった。  僕たちが何とか非常口から外へ脱出し、数百メートル走ったところで、何かが押し潰れる様な音が聞こえた。  ズンッ  その瞬間、とてつもなく大きな爆発音が聞こえた。その爆発音と共に、地面を揺るがす様な振動と爆風が身体を打ちつける。僕は反射的にソフィアに覆いかぶさった。そして、その上に小金井を投げ捨てたアイシャが乗ってきた。  ズザザザ・・・  激しい爆風が身体を取り囲むと、一瞬息が出来なくなる。僕は胸の下にいるソフィアの激しい動悸と、首筋にかかるアイシャの辛そうな吐息を感じた。  それからどれだけの時間が経ったのだろう?爆風が収まってからゆっくり身体を起こすと、何も聞こえなくなっていた。耳が爆音でやられてしまったのだろうか? 「英彦。大丈夫、か・・・?」  隣でアイシャの辿々しい声が聞こえた。と言う事は、僕の耳が異常をきたした訳ではないらしい。 「何にも聞こえないね」ソフィアが自分の胸についた埃を払いながら、周りを見渡す。  パチパチ・・・  いや、唯一遠くの方から音が聞こえた。僕たちが音のする方に顔を向けると、そこには半壊した研究所があった。壁面は真っ黒に焦げ、たまに何かが爆発する小さな音が聞こえていた。   *  二度の爆発でボロ布の様になった小金井を本部の救急班に引き継ぐために、エイダがヘリで到着した救急隊員と打ち合わせをしている。 「こいつ、よくこれでも生きているな」アイシャは感心した様に、担架に括りつけられた小金井を見つめる。小金井は二度の爆発によって、瀕死の重傷を負っていた。手足はもげ、顔面さえ半分ほど爆風にもぎ取られており、原形をとどめていなかった。 「こ、殺してくれ・・・」あまりの苦痛によるものか、小金井がそう唸り声をあげた。 「ダメだ!ここで死んだら、楽すぎるからな。まあ、頑張って生きろ。そして、もう一度命について考えてみるんだな」アイシャは口を一文字にし、小金井から目を離した。 「それでは、これから救急病院へ搬送します」本部の隊員がそう言うと、小金井を乗せたヘリはローターの回転を徐々に速めた。  僕たちはヘリから素早く離れると、それが漆黒の空へと吸い込まれて行く様を見つめた。 「燃えちゃったね、何もかも・・・」僕の隣でソフィアが呟く。  僕がソフィアの方を向くと、彼女は再び燃え盛る研究所の方へ視線を向けていた。 「ああ、全てが終わったんだ」僕もソフィアと同じ様に研究所へと視線を向けた。  そして、アイシャとエイダも同じ様に研究所を見つめる。  研究所は何かを隠すかの様に、勢い良く燃え続けていた。 「さようなら、『選ばれなかった子どもたち』。君たちと、私はどこが違うんだろうね?何で私なんかがこうして生まれてきて、君たちは生まれて来られなかったのかな?」  顔を炎によって紅く照らされたソフィアが、涙を流しながら呟く。彼女はその涙を拭う事さえせずに、ただ燃え盛る研究所を見つめていた。 「そうだな。彼らとソフィアの違いなんて無いと思うよ・・・。ただ、ソフィアにはソフィアを望んでくれた親がいたって事だよ」僕は隣にいるソフィアの肩に手を触れた。 「ううん、それは違うよ。私を望んでくれた人なんていなかったもん・・・。私、バカだしトロいし弱いし・・・」ソフィアは尚も空高く立ち上る炎を見続けた。その表情には何の感情も見て取れなかったが、流れ落ちる涙の量はさらに増え続けていた。  ソフィアの涙に反応するかの様に、雲が低く立ちこめた空から一滴、また一滴と雨が振り落ちてきた。 「あ、雨だ。いやだな、雨って。いっつも悲しい時に降る・・・」ソフィアはそこまで言うと、顔をくしゃくしゃに歪ませ声を震わせながら泣き出してしまった。 「子どもは大人のおもちゃじゃないよね!?いくら出来が悪かったって、生まれてきちゃいけない事なんてないよね??私だって、生まれてきて良かったんだよね・・・?」  ソフィアは、涙と雨で完全に濡れた顔を僕の胸に押しあてながら、僕の制服を思いきり握り締めた。  僕は戸惑い、助けを求めようとアイシャの方を向いた。すると、彼女は僕の側によってきて、こう耳打ちをした。 「いいか、ここでソフィアを慰められるのはお前だけだ。頑張れよ」  アイシャはそう言うと、エイダとともに車の方へ向かって行った。  僕はどうして良いか分からず慌てたが、取り合えず自分が思った事をそのままソフィアに伝えた。 「あのさ、ソフィア。僕は、ソフィアが生まれてきて良かったって思うよ。ソフィアが生まれてきたから、こうして一緒にいられるんじゃないか?それにソフィアといると、何か新しいものが見えてきそうな気がするんだ。僕はソフィアが側にいて嬉しいし、ずっと一緒にいれたらなって思う。それじゃ、だめかな・・・?」 「ううん・・・。その言葉で十分です・・・」ソフィアはそう言うと、さらに顔を押し付けた。  先ほどから降り始めた雨は勢いを増している。僕とソフィアは、そのままずっと、その中で立ち尽くしていた。 * 「おい、ソフィア。そろそろ出かけよう。今から行けば、二十二分の電車に間に合うよ」 任務完了から三日後の午後。僕はソフィアと約束した通り、パソコンを見に秋葉原へ出かける事にした。 「ちょ、ちょっと、待ってくださいっ!え、えっと、カードは持ったよね?持たなかったら、店に行っても意味無いし」遥か向こうでソフィアの慌てた声が聞こえる。 「ほら!ソフィア!カード以前に財布が置きっぱなしだぞ!」同じ方向から、アイシャのバカにした様な大声が木霊する。 「あ、ありがとう!じゃ、行ってくるね。お土産何がいい、アイシャ?」 「そうだな。秋葉原デパートの『あきどら』のカボチャ餡のやつ」 「わかった。じゃあ、行ってくるね!」ソフィアはそう言いながら、転びそうな勢いで僕の方へ走ってきた。 「あ、待てよ。傘を持って行った方がいいぞ。二人とも」ソフィアの後を、傘を持ったアイシャが追い掛けてくる。 「えー!今日も雨降ってるの!?」靴を履きながら、ソフィアは残念そうに声をあげる。 「仕方ないよ。梅雨だからね」僕はちらりと時計に目をやったが、とっくに電車には間に合わない時刻となっていた。 「じゃあ、急いで行こう!時間ないんですよね?」ソフィアは慌てながらも、嬉しそうな表情で僕を見つめる。 「いや、もう急がなくていい。間に合わないから」僕は時計をソフィアに見せた。 「あ、ごめんなさい・・・」少し落ち込むソフィア。僕はそんな彼女の姿を見て、何故か胸が高鳴るのを感じた。 「まあ、いいよ。時間はあるし。じゃあ、行こうか」 「うん!」  僕とソフィアは土砂降りの雨の中、駅へと向かった。確かにうんざりする様な雨が降っていたが、ソフィアはいつにも増して上機嫌だった。 「ソフィア、機嫌がいいな?そんなにパソコンが欲しいのか?」 「えっと、それもあるけど、何だかとっても楽しいんです。私、雨の日って大嫌いだったけど、今日みたいな雨の日はいいかなって思うんですよ。雨の日が憂鬱って言うのは私の気持ちのせいで、雨の日でも楽しい日はあるんだなって気付いたんです」  楽しい雨の日―  そうだな、楽しい雨の日があってもいいのかも知れない。雨の日を楽しく過ごす事が出来る様になれば、きっと毎日が新鮮なものになるだろう。  いつも晴れの日とは限らないのだから、雨の日は雨の日の楽しみを見つけた方がいいに決まっている。  そうすれば、いつの日にか長かった梅雨は終わり、永遠の夏が訪れるに違いない。これはとても楽観的な見方だけど、僕はそう信じている。