報告2:ゆるやかな始動、そして巨大なる闇 「あんたなんかパパじゃない!死んじゃええっ!!」  幼い少女の悲痛な叫び声が、冷たく冷えきったコンクリートの空間に木霊する。  次の瞬間、少女は真っ赤な液体を浴びた顔で無表情に呟いた。 「汚らしい・・・」  手に持っていたナイフをゆっくりと手放す少女。ナイフは、ゆっくりと血溜まりの中を滑って行く。少女の左右違う色の瞳は、宙を見つめる。そして、その短く切られた金髪は、何かに気付いたかの様に風にそよいだ。同時に、少女は誰かに破り裂かれたシャツの裾と、かろうじて残っている下着を思いきり握り締めると、大声を出して泣き出した。 「パパ!パパ!早く帰ってきてよっ!なんで、なんで私を置いて行ったの!すぐに帰るって約束したのに・・・!!」  少女の脳裏に幸せだった頃の景色が映る。何処かの片田舎の真っ白な壁の家。少女は庭のブランコに父らしき若い男性に抱かれて座っている。 「ねえ、パパ。パパはママを好きだった?」 「ああ。もちろんだよ。パパはママを心から愛していた。そして、ママはパパとお前を同じ様に愛していたんだよ」パパと呼ばれたその男性は、少女の柔らかそうな金髪を撫でた。彼女のくりっとしたオッドアイが、彼を見つめる。 「ママがいなくて、淋しいかい?」 「ううん。だって、パパがいるし、ママはわたしの守護天使になったんでしょ?」 「そうだよ。ママは、いつまでも私達の側にいるんだ」 「うん・・・」  少女は眠そうに目を擦ると、父の腕の中で眠った。  少女は、このまま眠り続けたいと心から願った。しかし、現実は残酷だった。彼女は男のうめき声で、現実に呼び戻されたのだ。 「こ、殺さないでくれ・・・」下半身に何も付けていない男が、血にまみれた顔を少女に向けた。  少女は自分が夢から追い出された事に怒りを感じると、その男に唾を吐きかけ顔面を思いきり蹴り上げた。  鈍い音がし、その男は動かなくなった。  少女は血に汚れた頬を腕で拭うと、何かを決心したかの様にこう言った。 「男なんか嫌いだ。男なんて汚らしいだけだ。皆、嘘をつく・・・」 * 「おーい、ひっでひこー!もう、夕方の五時だぞう!早く起きろよっ!」  ドサッ  僕は、誰かが覆いかぶさる様な感覚に飛び起きた。が、身体は全然動かない。 「く、苦しいよ・・・だ、誰だ?」僕はうつぶせになったまま、身体をよじった。 「なに、4時間も昼寝をしてるんだ?ほらほら、夕食後に明日のブリーフィングがあるんだから、早く起きろよ!」  僕の耳もとで透明感のある声が響く。僕はその声の主から、ほのかに放たれる CK-1と煙草の香りで目が覚めた。  どうも頭がぼんやりしていて、周りの状況が掴めない。何か・・・、とても悲しくそして重要な夢を見ていた様な気がする・・・。 「ど、どいてくれ、アイシャ。お、重いよ・・・」僕は、背中の上に座り込んでいる女性に呟いた。 「おっ!そうだな。いつまで乗っていたって仕方が無い。でも、私は重くないぞ。ソフィアよりはな」 「ひっどーい!何言ってるのよっ!」  ソフィアがキッチンの方から、こちらに非難の声をあげる。きっといつもの様に、頬を丸く膨らませているに違いない。  僕は、やっと身体が自由になるとベッドから起きた。この家にはリビングを含め四つの部屋があるが、僕の部屋は最もキッチンに近い所にある。まあ、今まで一人暮らしで四部屋も使えたなんて幸運だったよな。 「ほら!英彦!さっき、お前が頼んでいたデジタルビデオカメラが届いたぞ。こーんなにちっちゃいヤツで、仕事なんかできるのか?」僕から降りたアイシャが、新品のディジタルハンディカムを持つと僕にレンズを向けた。彼女はジーンズを履き、御徒町で僕が買ってきた米軍のセーターを着ていた。 「だって、仕方ないだろ。明日が初任務だってのに、準備期間が無かったんだから。その機種はよく友人から触らせてもらってたヤツだからね。使い馴れているんだよ。でも、それで仕事をするビデオジャーナリストもいるんだよ」僕は寝癖でボサボサになった髪を、丹念に手で撫で付けた。 「へー?そうなのか。でもこれ、ちっちゃい割にはしっかりしているし、マニュアルでも操作出来るのな。ほらほら、英彦、こっち向いて」アイシャが手をヒラヒラさせながら、僕にレンズを向け続ける。 「おい!カメラを回しているのか?」僕はアイシャからカメラを取り上げようとする。 「お、おいおい!いいじゃないか!少しぐらい。減るもんじゃないし」アイシャは懸命に僕をよける。依然カメラは回ったままだ。 「冗談じゃない!こんな寝起きの格好悪い姿を残させるもんか!」僕はアイシャからカメラを取り上げようと立ち上がった瞬間、床の雑誌に足を引っかけアイシャの方に倒れ込んでしまった。 ドサッ 「う、うわわ」 「お、おい!大丈夫か!?」  僕はアイシャの胸の上に顔を押し付けてしまった。アイシャは身体を硬直させ、おろおろしている。  僕は身体全体で、アイシャの柔らかさを感じた。一見彼女は筋肉質に見えるが、やはり女性だ。そんな事を再認識すると、僕は顔を赤くした。  退かなければいけないとは分かっていても、身体が言う事を聞かない。まだ寝惚けているのか、はたまた別の原因かは分からないがとにかく動かないのだ。  それに呼応するかの様に、アイシャも身体を動かさないでいる。  そうこうしているうちに、ソフィアが僕の部屋に駆け込んできた。僕達の姿を見ると、頬を限界まで膨らませて顔を赤くした。 「何しているんですかっっっ!?英彦さん!さあ、早いですけど、もう夕食が出来てますよ!!ほら、行きましょ!!」と、ソフィアは怒鳴ると、僕の耳を思いきり引っ張った。 「いててて。分かったよソフィア。何怒ってるんだよ・・・」僕はソフィアに、ずるずると引っ張って行かれた。 「別に何も怒ってません!!」ソフィアはそう言うと、アイシャを物凄い形相で睨んだ。 *  僕は目を完全に覚ます為にキッチンで軽く顔を洗い、テーブルに向かおうとした。僕は水が滴る顔を拭こうとしたが、拭くものを持っていない事に気付いた。 「はい、英彦さん。タオル」ソフィアが、僕に洗ったばかりの真っ白なタオルを差し出す。 「お、ありがとう」僕がタオルで顔を拭き終えると、ソフィアはそれを受け取った。  最近、何だかソフィアは僕の世話ばかりをやいている気がする。 「今日の夕食は何?」僕はソフィアとテーブルに向かった。 「今日は、ポークソテーとサラダ、それにオニオンスープですよ」ソフィアは、僕が席につくのを見届けると、エプロンを外して自分も椅子にかけた。 「へ〜、いつの間にか料理ができる様になったんだ!」僕は驚いた。確か彼女は、二ヶ月ほど前に出会った時は、本当に不器用で何も作れなかったはずだ。 「ま、まあ、それぐらいは出来ないと」ソフィアは、照れくさそうに頭を掻いた。良く見ると彼女の左手の指全てに、絆創膏が貼られていた。 「知ってるか、英彦。こいつな、英彦が料理を作るのが上手いと知った時、結構ショックだったんだぜ?」アイシャがニヤニヤ笑いながら、ソフィアの頭を小突く。 「あううう・・・、もう、やめてよそんな話」ソフィアが俯く。 「ま、まあまあ。じゃ、折角だから暖かいうちにいただきますか」僕はぎこちなく笑いながら、二人にそう言った。 「そうだな。じゃあ、いただきます」アイシャが両手をあわせる。 「いただきまあ〜す」 「いただきます」僕とソフィアも、アイシャに続いて食事を始めた。  僕がポークソテーを口に運ぶと、アイシャとソフィアが僕を見つめる。 「ど、どうですか?英彦さん・・・」ソフィアが心配そうに、僕を見つめる。  僕はゆっくりと、ソテーを味わった。少し塩辛い気がするが、味付けは美味しい。 「あ、旨いよ。ソフィア」 「良かった〜」ソフィアは手を胸にあてると、大きく息を吐いた。 「そうか、毒は入っていないか」アイシャが、ソフィアをからかう。 「そんな訳ないでしょうがっ!!」ソフィアが怒りながら、アイシャの頬をつねる。 「ば、ばか!冗談だよ」アイシャは頬を引っ張られながら、情けない声を出す。  僕はそんな二人を見て、心の底から暖かくなるのを感じた。今、僕の目の前では、最近味わっていなかった家族の団らんがある。こんな当たり前の事が、こんなにも幸せな事だとは二人に出会うまでは気付かなかった。  それから僕らは、今日一日の出来事、芸能ニュースの事、新しく発売したCDの事などの話しながら食事をした。どれも他愛の無い話ではあったが、僕達は心から会話を楽しんだ。 「ところでさあ、二人って何処生まれなの?」僕は空になった皿を重ねると、そんな事を彼女達に聞いた。 「え?」ソフィアが、僕の突拍子もない問いに首を傾げる。アイシャも箸の動きを止めた。 「あ、いやさ。君達って、日本語を上手く話すけど、何処生まれなのかなって、気になったから」 「あ、はいはい。えっと、私はイスラエル生まれですよ」ソフィアが人さし指を口元にあて、思いだすかの様に言う。 「あ、私はドイツだ。まあ、もっともロシアにいた時期が長いけどな」  アイシャがそう言った瞬間、箸を置いてなんとなく気まずそうな、そして淋しそうな表情をしたのを、僕は見逃さなかった。 「・・・。悪い事、聞いたかな?」僕は、アイシャを気遣う様に見つめた。 「い、いや。そんな事ないぞ。ははは・・・」アイシャは何かを誤摩化すかの様に、茶碗に残った最後の御飯を頬張る。  僕は何となく気まずくなり、ソフィアに話を向ける事にした。 「じゃあさソフィア。ヘブライ語とか分かるの?それに、ずいぶん日本語が上手いけど」 「それがですねえ、全っ然分らないんですよー。と言うのも、五歳ごろに日本へ移住したんです」そう言うと、ソフィアも食事を終え皿を重ねた。 「あっ、そうなんだ!へえ」 「じゃあさ、以前にも会った可能性があるわけだ?」僕はソフィアに訊ねた。 「うーん、それはどうですかね?でも、わたしも人間社会で生活してたから、意外と何処かで会ってるかも」  僕は、まだソフィアと出会っていない昔に、彼女と街角ですれ違う光景を想像した。 「ごちそうさま。なあ、そろそろブリーフィングを始めないか?」  僕がぼんやりとそんな事を考えていると、アイシャが突然、食器全てを片付け始めた。  僕は折角の機会で、まだまだ二人の事を知りたいと思ったが、渋々と片付けに加わった。  もう僕らが共同生活を始めて二ヶ月を過ぎるが、こうして過去に触れたのは初めての様な気がする。アイシャの態度も気になるが、僕は二人との距離が近付いた様な気がして、嬉しくてたまらなかった。 *  僕らは、そのままリビングのテーブルで明日の事について話し合いを始めた。目の前には、アイシャが煎れてくれた紅茶が置いてある。ソフィアが、それにたっぷりジャムを入れようとすると、アイシャはいつもの様にからかっていた。 「以前にも説明したが、明日の任務はただの監視活動と記録だ。破壊工作や諜報活動は含まれない」アイシャが、クリップボード上の作戦要項を眺める。 「と言う事は、明日の任務は『テレビ番組の収録の監視及びその過程の記録』って訳か」僕はそう言いながら、テーブルの上にのせられたビデオカメラの説明書を手に取った。 「で、いったい何の番組なの?確か特集ものって聞いてた様な気が」ソフィアが紅茶を啜りながら訪ねる。 「『超能力特集―超能力者は実在した。今夜は科学的に徹底究明!』ってやつだ。ほら、よくあるだろ番組改変期とかにさ」アイシャはクリップボードをソフィアに差し出した。 「げげ、なんでこんなインチキ臭い番組の収録になんか、立ち会わなきゃいけないのよ。確かに私は実戦経験が無いし、英彦さんも戦闘訓練を受けて無いけど、こんな仕事はねえ。どうですか、英彦さん?」ソフィアはそう言うと、明らかに不満そうな顔をした。 「あ、ああ、うん?え?」  僕は手に取った説明書に見入っていた為、ソフィアの問い掛けに反応するのが遅れた。 「だから、この任務をどう思いますか、ってことです!もう、玩具を買ってもらった子供みたいに、ビデオカメラにうっとりしないでくだいっ!!」ソフィアが素早く僕から説明書を取り上げる。 『仕方ないじゃないか。僕はその手の機械が好きなんだから』と、僕は言いかけたが、ここは取り合えずソフィアの言う通りにした。 「うーん、まあ、そうだねえ。別に僕は構わないけど、何でこの番組を監視する必要があるのかな?」 「それがさ、どうも番組内容に問題があって、それを放送前にチェックするらしいんだ。いいか、ここに作戦目的として『該当番組での放送内容は公開規定に抵触する恐れがあり、その内容を本部にて審査するためにテープに監視内容を記録する』って書いてあるだろ。多分、まずかったら番組の放送を中止させるんじゃないか?」アイシャは僕にクリップボードを見せる。 「『公開規定』って?」僕は聞き慣れない言葉を聞いて、首を傾げた。 「ほら、昔も言ったけど『一般人に知られてはならない情報は公開しない』と言う規定なんだ。もしかしたら今回は、本当の超能力者が出演するのかもな」アイシャが腕を組み、僕らを見つめる。 「そうだね。超能力者の存在証明は『公開規定』で厳しく定められているから・・・」そう言うとソフィアも腕を組む。 「それでさ、他にも気になることがあるんだ」アイシャが神妙な面もちになる。 「気になること?」僕とソフィアは、アイシャをじっと見つめた。 「普通、この手の番組の出演者はタレントばかりだろ?だけど、今回は何か様子が変なんだ。ほら、見てみろ」アイシャが、僕達の前に出演者リストを差し出す。 「なになに・・・」僕はその顔ぶれを見て首を捻った。隣を見ると、ソフィアも同様に怪訝な顔をしている。 「なんだよ、ほとんど学識者、しかも大学教授じゃないかよ・・・」僕は、リストを順に見て行った。生物学、電子工学、情報工学、生命工学、哲学、心理学・・・、主要出演者は、全てそのような学問の大家であった。 「それに、この中心人物らしき男の肩書きを見ろ」アイシャが、ある男の名前にアンダーラインを引く。 『大沢健司。横浜工科大学生命工学研究室教授。専門は遺伝子マッピングによる、人類の始祖の探査』 「なんで、超能力番組にこんな人が?」ソフィアが眉をひそめ、唇をとがらす。  大沢健司。僕はこの名前を知っていた。確か、数カ月前に高速度の遺伝子マッピング法を開発したとかで、科学雑誌に記事が載っていたはずだ。 「で、あのさ英彦。『遺伝子マッピング』って、あれか?ほら『ヒトゲノム計画』とか言った」アイシャが、ペンでクリップボードを叩きながら、僕に訊ねる。 「確か、ほとんど同じだよ。ほら、人間の全部の遺伝子情報を読み出すのが『ヒトゲノム計画』で、それも含めて一部でも良いから遺伝子情報を読むのが『遺伝子マッピング』、ジーンマッピングだよ」僕は、あいまいな記憶の糸を辿りながら答えた。 「遺伝子を読む?何で?」ソフィアが首を傾げる。 「まあ、病気の診断だな。昔は遺伝病の診断のみを対象としていたけど、今じゃ将来発病する様な病気、例えば糖尿病とかも診断出来るらしいよ」僕はそう言いながらソフィアから取り上げられた説明書を取りかえそうとするが、彼女は素早くそれをテーブルの下に隠した。 「でも、将来の病気も分かるって嫌だな・・・」ソフィアはそう言ってため息をついた。 「だからアメリカとかじゃ、問題になっているんだよ。保険に入る時とか、それが原因で差別される可能性があるから。でさ、そのその説明書、返してくれない?」僕は両手をあわせた。 「もう!真面目な話をしてるのに」ソフィアは僕を睨むと、説明書を渡してくれた。 「あ、そうだ!ビデオと一緒に新しい制服が来てたぞ。一応、着替えてサイズをチェックしよう」今まで神妙な面もちだったアイシャが、僕とソフィアのやり取りを見ると微笑み、そう言った。 「そっか。制服出来たんだ。どのタイプが届いたの?」ソフィアがそう訊ねると、アイシャは大きな段ボール箱を三つ奥から運んできた。 「えーと、工作活動用と標準服か」アイシャが中身を次々と取り出す。 「ほら、二人とも。これがそうだ。着てみてくれ」アイシャは取り出した制服を、僕とソフィアに手渡した。僕らはその場で、『標準服』と言われた黒い戦闘服の様なものを身体にあてた。 「じゃなくて、着替えてくるんだよ!」アイシャが、ため息をついて僕らを見つめる。 「あ、そう。分かったよ」 「うん、分かった」僕とソフィアはそう答え、自室で着替えてくる事にした。  制服は身体にぴったりだった。下が乗馬ズボンの様な真っ黒なズボンで、上は白いシャツに赤いネクタイ。なんだか、どこかの軍隊の制服みたいだ。  僕は慣れない制服に戸惑いを感じながら、リビングへ向かった。 「あ、サイズはぴったりだった・・・よ?」  僕は、アイシャとソフィアの制服姿に見とれてしまった。上は僕と同じなのだが、下には二人とも真っ黒なロングのタイトスカートを履いている。 「よ、よう。似合ってるじゃないか、英彦」 「似合ってますよ」  二人とも恥ずかしそうに、僕を見る。僕もその視線を意識してしまい、顔が火照ってしまう。 「あ、あのさ、『標準服』ってこれでいいの?」僕は自分の胸を指差した。 「あ、ああ。これは正式なタイプで、他に迷彩の上着を着る場合もある。それに、このタイプの場合、上に黒いマントを羽織る事もあるんだ。あ、そうそう、腕章は付けてみたか?」アイシャが、僕の全身を隈無く見つめる。  「お、おい、そんなに見つめるなよ。腕章なんて、あったっけ?」僕は何だか恥ずかしくなり、横を向いた。 「あ、腕章は、こっちに略帽と一緒にありますよ」ソフィアはそう言うと、僕に腕章を付けてくれた。 「しっかし、天使の警察がこの制服とはねえ。まるで、ファシストの制服みたいじゃないか?」僕は、うっかり思ったままの事を口に出してしまった。 「それは、いいっこなしだ。私だって、そう思ってるんだからな!」アイシャがせき払いをしながら、そう言った。 「そうそう、英彦さん。これが、天界警察の手帳と身分証明書です。確認して下さいね」ソフィアはそう言うと、僕の手に真っ青な表紙の十字架と三角形のくみ合わさった模様が書いてある冊子を握らせた。  僕は、パラパラと中身をチェックする。 「ほうほう。最初の方は『天界警察憲章』か。あ、英語、ドイツ語、ロシア語、フランス語の後に日本語のページもある。・・・・!」  僕は分厚い手帳の最後にあった、何枚ものIDカードに度胆を抜かれた。 「お、おおお、おいいっ!??な、何これ?天界警察のヤツ以外に、国連、米軍、ロシア軍、NATO、CIA、SAS、防衛庁のカードもあるぞっ!??」  そう、確かにそこには数々の諜報、軍関係のIDカードがあり、全てに僕の写真が貼られていた。 「あ、これか?これは、活動中に身分をカモフラージュする為の物だ。下っ端の奴等はCP、天界警察の事を知らないからな。説明が面倒だろ?」アイシャも、パラパラと自分のカードを確認する。 「あ、他にも必要なIDがあったら作ってくれますよ、本部が」ソフィアも自分のカードを確認する。  僕は改めて、この組織の不気味さに唾を飲み込んだ。全ての軍事機関を超越する、この組織の潜在能力に。 「それで、英彦。カメラとかの機材も、追々お前の意見を聞いて新しくしてくれるそうだ。良かったな」アイシャはそう言うと、口を一文字に閉じてニイっと笑った。 「うん、うれしいっ!って、それどころじゃないよ!このCPってヤツは、本当に凄い組織なんだな!」 「ああ、そうだよ。その気になれば、新しい世界秩序を築く事なんてわけない。だから、私はこの組織を完全に信用していないんだ。お前も飲み込まれるなよ。力って怖いものだからな」アイシャは一瞬鋭い表情で宙を見つめると、いつもの笑顔で僕を見つめた。 *  次の日。僕らは装備をまとめると、番組の収録が行われるテレビ局へと向かった。 「あ、あのう」リュックを背負い、ジーンズにデニムのシャツを着た僕は、情けない声でアイシャに話し掛けた。 「何だ?」アイシャが不思議そうな顔をして、こちらを見つめる。 「あ、あの、何で僕らは普段着で、しかも地下鉄で移動しているのでしょうか?」  その通りなのである。僕ら三人はいつもと同じ様な服装をし、地下鉄でテレビ局へと向かっていたのだ。 「何だ、スーツでも着たかったのか?それに、タクシーの方が良かったとか」セーターの裾をまくり上げたアイシャが、僕をからかう様に言う。 「いや、そうではなく」僕はモジモジしながら、アイシャに自分の意志を伝えようとした。 「英彦さんは、もっと大袈裟な装備で、ワゴンでも使って乗り付けると思っていたんですよね」パーカーを着たソフィアが、僕の隣の席で口を挟んだ。 「そ、そうだよ。なんで、僕らが仕事で向かうのに、こんな学生グループみたいな格好をして、地下鉄の椅子に腰掛けて移動しなくちゃならないんだ!」  確かに、結構間抜けな光景である。仮にも、『警察』なのだから、こんなに普通の行動をしなくても・・・  地下鉄は、釈然としない僕を乗せたまま、どんどんと目的地に近付く。 「バカだなあ。制服なんて着て行ったら、目立ってしまうじゃないか!だいたい、今日は予備演習みたいなものなんだからな。本物のスパイなんかも、実際は映画と違って、地味な格好をしているんだぞ」アイシャはそう言うと、僕の頬を人さし指で押した。 「はあ、イメージ狂うなあ・・・」   僕はため息をつきつつ、何となくソフィア達が現れた日の事を思いだした。突然の銃撃戦、打ち抜かれた僕の肩、国連よりも強大な力を持つ天界警察と言う組織、記憶を操作すると言うデタラメの薬、宙に消えた契約書、それにソフィアが天使だって言う事。  僕はあの時、何故か無条件にも天界警察の事や、ソフィアが天使だと言う事を受け入れてしまった。確かに、あの銃撃戦やソフィアの能力、それに宙に消えた契約書はトリックでないと思う。しかし、こうして彼女たちと地下鉄に一緒に乗っていると、あの出来事は全て夢で、僕らはただの友人同士であるとさえ錯覚してしまう。  そう言えば、アイシャは天使ではないのだろうか?彼女の口振りからは、そうだと読み取れるが、実際の所は聞いていない。  この二ヶ月で、僕らの距離は縮まったと考えていたが、もしかしたら、まだまだ強大な壁があるのかも知れない。果てしなく高く、上の方が見えない程の壁が。 *  僕らは赤坂で降りると、そのままテレビ局へと向かった。案内版を見て、テレビ局のある出口へと向かう。 「アイシャ、テレビ局にはどうやって入るの?」ソフィアが、跳ねた髪を手で撫でながら訊ねる。 「ああ、裏口と言うか通用口から入るんだ。もう、内部協力者の斎藤さんとか言う人が待っているはずだ。ただ、警備をパスする為に社員証を手に入れたから、これを持っておけ」そう言うとアイシャは、僕とソフィアにバックステージパスの様なものを渡した。  エスカレータを昇りきり少し歩くと、そこはもうテレビ局だった。タレントを待っていると思われる女の子たちが玄関附近にたむろっている。  僕らは何事もないかの様に、警備員にパスを見せ中に入ろうとした。その時、 「そこの外人さん。見かけない人だな。タレントさんですか?」と警備員がしげしげとアイシャを見つめた。  アイシャは驚いた様な顔をして、僕を見つめている。僕は何とか、そこを取り持とうと作り笑いを浮かべた。 「警備員さん。知らないんですか?秋の新番組のキャスターですよ。ほら、深夜の海外ニュース番組の。彼女は通訳でもあるんです」僕がそう言って、アイシャを肘で突くと、 「あ、は、そうなんですよー。よろしくおねがいしまーす」と、いつもとは全く違った可愛らしい声を出した。 「なんだ、そうですか。はい、分かりました、失礼しました」警備員はそう言うと、何となく不気味に笑った。  僕らは急ぎ足で、スタジオの通用口へと向かった。しかし、さっきのアイシャの態度は、何となく笑える。いつも男っぽい喋り方なのに、さっきの彼女の態度は何だ? 「ぷ、うくくくく!」突然、ソフィアが吹き出す。彼女は長過ぎるパーカーの袖を口元にあて、必死に笑いを堪える。 「う、くくくく!」僕もついに笑い出してしまった。 「な、何だよ!二人とも!!」アイシャはそう言うと、顔を真っ赤にした。 「だって、いつもとあまりにも様子が違うんだもん。おかしくって、おかしくって。ぷはははははっ!」ソフィアがお腹をよじりながら笑い続ける。 「やめろって、アイシャが可哀相じゃないか、笑うなんて・・・うははははっ!」僕も口ではそんな事を言いながら、笑い続けた。  人気の無い通路を、僕達の笑い声が木霊する。 「う、うるさい!仕方ないだろ!あそこで、怪しまれたらどうするんだ!一応、スタンガンを携帯してきたんだぞ!私は」アイシャは顔を真っ赤にして、プイッと横を向いてしまった。 (スタンガン?何故、スタンガンなんか持ってきたんだ??)僕は漠然と、そんな事を考えた。今回の任務は、スタンガンを使う可能性がある程のものなのか? 「ねえ、アイシャ。何で、スタンガンなんて持ってきたの?」僕の疑問を代弁するかの様に、ソフィアが真顔で訊ねた。もう、先程までのなごやかな雰囲気は消え失せている。 「ん?護身用だよ。ほら、私にはお前達をガードする義務があるからな。それに、どうも今回の仕事は、何か裏がある気がするんだ・・・」もう、アイシャの顔にも笑みは無い。 「裏??」僕は唾を飲み込んだ。 「良く考えろ。出演者の異常さもさることながら、何か臭わないか?本当にただのバラエティー番組なら私達が関わる必要は無いだろ?それに・・・」アイシャが突然、声を低くする。 「それに?」僕は、じんわりと手のひらにかいてきた冷や汗をジーンズで拭った。 「それに、ここには何かあるって、私の動物的直感がそう告げているんだ」 「だからいいな!二人とも、絶対に私の側から離れるな!約束だぞ!」  僕とソフィアは、真剣な眼差しで僕らを見つめるアイシャの言葉に、無言で頷いた。 *  僕らはスタジオの通用口に着くと、痩せた若い男がこちらに近寄ってくるのに気付いた。男は、かなり痩せていて青白い顔をしている。 「レフ板は持ってきたか?」男が突然、緊張した声で僕たちに訊ねる。僕は訳が分らず、怪訝な顔をした。男は僕の表情に、若干顔を強ばらせた。 「ああ、金レフを持ってきた。それも三枚」アイシャが、首を捻る僕をよそに男にそう答えた。 「あんたたち、CPの人だな」ホッとした様に、男は声を和らげる。  その時僕は、やっと会話の意味が分かった。そう、この会話は一種の合い言葉だったのだ。 「そうだ、CP捜査官、ティアイエルにサハクィエル。それに予備隊員の中津だ」 「早く中に案内してくれ」アイシャは、あくまでも無表情に男に話し掛ける。  男は無言で頷くと、自分の後に着いてくる様に合図した。僕たちも無言で後に続く。  ケーブルが這い回った床の上を暫く歩くと、突然明るい場所に出た。そこには、もうかなりの人がいて、今まさに収録が始まろうとしていた。 「あと、五分で収録が始まる。ビデオカメラでの撮影は許可を受けておいたから、何かスタッフに言われた時は『ディレクターの池田に許可を貰っている』と言って、この腕章を見せてくれ」男はそう言って、僕に赤い「報道」と書かれた腕章を差し出した。 「私は仕事に戻るが、最後に注意を一つ。絶対に、舞台に上がったりして収録を中断する様な事はしないでくれ。目立ち過ぎると、あんたたちどころか、こちらの身もヤバくなる」  そう言うと男は、何事も無かったかの様に去って行った。 「うーん、あまり親切じゃないな」僕はビデオカメラと三脚を取り出しながら、そんな事を言った。 「いや、あれでも彼は精一杯やってくれてますよ。彼には本職があるわけだし。スパイが愛想良かったら変でしょ?」ソフィアが僕のリュックを受け取りながら、僕の独り言に答える。  僕は周りを見回した。どうも、今回の収録は一般観覧も受け付けたみたいだ。かなりの数の一般人が、席について収録の開始を今か今かと待っている。 「さあ、いいか。もう少しで始まるぞ!今回はあくまでも監視だ。何かが起きない限り絶対にここから動くなよ。と言っても、何か起きそうな予感がするが・・・」  アイシャは爪を噛みながら、じっと出演者の方を凝視した。僕はそんな彼女の様子を気にしながらも、カメラを回し始めた。 「1999年2月25日、1500時。記録開始。番組収録全てを記録すればいいんだよな?」 * 「さて、今回の番組では従来とは異なり、各分野の学識者の方々にコメンテーターとして、おいでいただきました」  10メートル程離れたところで、司会者が次々に出演者を紹介する。僕はその一人一人をテープに納めたが、例の人物がいない。あの、一番うさん臭いと思われた「大沢健司 教授」がいないのだ。 「おい、アイシャ」僕はファインダーを覗きながら、アイシャに話し掛けた。 「何だ?」 「大沢氏がいないけど、どうしたんだろう?」僕はファインダーを覗いていない方の目で、アイシャの方を見た。彼女は爪を噛みながらコメンテーター達を見つめる。 「どうだろう?もしかしたら、VTRでの参加か?」アイシャが僕の方を向く。 「あの、もしかしたら、後から出るんじゃないですか?」僕の後ろで収録風景を眺めていたソフィアが、僕の横に来て呟いた。 「そうかもな・・・」僕は何となく、嫌な予感を感じながらカメラを回し続けた。  それから暫くは、脳生理学者が出てきて超能力者の脳波を測ったり、電子工学の専門家が皮膚の微弱電流を測ったりと、一風変わってはいたがいつもと同じ様な内容が続いた。僕とソフィアは暇そうにその光景を見つめたが、アイシャだけはあいかわらず鋭い眼光を出演者の方へ投げ掛けていた。 「それじゃあ、二十分の休憩に入ります」ADらしき若い男が、大声で叫ぶ。それに反応するかの様に出演者達はグラスの中の不味そうな水を飲んだり、背伸びをしたりしている。  一般観覧客も、各々が勝手な話を始めた。何人かがスタジオから出て行く。僕は、ビデオカメラを一旦停止しテープを入れ替え、三脚がしっかり固定されている事を確認すると再び録画を開始した。 「おい、二人とも。ちょっといいか?」アイシャが低い声で言う。 「なに?」僕は、観客の全体図をカメラでとらえながら返事をした。 「いや、大事な話だから近くに来てくれ」アイシャは僕の肩を叩いた。 「いったい、どうしたの?アイシャ?」ソフィアが目を擦りながら訊ねる。どうも、彼女は収録に飽きたらしく、眠そうにしている。 「あのさ、私の勘だけど、観覧客に警察か軍人、いや自衛官がいないか?」アイシャはそう言うと、顎で軽くスタジオの端にいる男を指す。その男はスーツを着ていたが、どうも内ポケットに何かを入れている様で、耳にはイヤホンをしていた。そして、似た様な風貌の男が何人かいる。 「うーん。確かにそう見えなくもない。だけど、気のせいじゃないか?だいたい、何で警察がいるんだよ」僕はそう言うと、再びカメラのファインダーを覗いた。 「とにかく、あいつらをビデオに収めてくれ。何かの資料になるはずだ」  僕はアイシャの提案を聞き入れ、カメラをズームアップし、スタジオの端にいる人々の顔を撮影した。 「ん??」  僕は撮影を続けるうちに、妙な事に気付いた。顔を撮影された男のうち、こちらに気付いたもの数名がスタジオから出て行ったのだ。 「おい、やっぱりおかしいぞ」アイシャが僕に耳打ちをする。 「そうだね・・・」 「あ、もうそろそろ休憩が終わるみたい」ソフィアが時計を指差した。 「でもさ、この仕事、あと一時間もかからないで終わるんでしょ?簡単すぎない?やっぱり、何かあるのかなあ。アイシャ、作戦要項をもう一度見せてよ」ソフィアがそう言うと、アイシャは自分のショルダーバッグからクリップボードを取り出した。 「うーん、あのさあ。何で私達がビデオを撮る必要があるの?別に、内部協力者がいるんだったら、放送前のテープを持ち出してもらえばいいじゃない?」ソフィアが、ふとそんな事を口に出した。 「そうだよなあ。うーん・・・」僕が腕組みをした瞬間、アイシャが僕の腕を急に引っ張った。 「おい!分かったぞ!!やっぱり、大沢は『真実』を掴んでしまったんだ!!」そう言いながら、アイシャは収録が再開された舞台を指差した。そこには、大沢と白人の女の子がいた。 「『真実』って?」僕はアイシャに訊ねると、彼女の様子がおかしい事に気付いた。微かに肩が震え、手のひらに汗をかいている。 「本当に超能力者が存在するって言う証拠さ・・・」  舞台の中央の席に招かれた白人の女の子は、短い髪を掻き揚げ、鋭い表情をカメラに向けた。その娘の瞳は限り無く灰色に近いブルーで、左右の色が若干異なっていた。 * 「それで、大沢教授は今回、大発見をされたそうですね。何でも、超能力者の存在を科学的に確かめたとか・・・」中央の席に腰掛けた司会者が台本を読む。 「今までも、脳波測定などが試みられましたが、大沢教授はどう言った方法で存在を確認したのですか?」司会者は、なおも台本を丸読みしている。どうも、彼は超能力とやらには興味がなく、仕事だから仕方なく相手をしている様だった。 「ええ、今までの方法は不確定な要素が多すぎまして・・・」大沢のそんな言葉に、先程まで自分の理論を熱心に論じていた他の学者達は眉をひそめた。 「おっと、失礼。いや、今回の発見はそれほど斬新なものなんですよ」大沢は、やや興奮しながら話すと、テーブルの上のミネラルウオーターを口に含んだ。 「と言いますと?」あの退屈そうな司会者も、若干興味を持った様で身を乗り出した。 「今回私達は遺伝子マッピングによって、ある遺伝子配列を持った人に『異種能力』が現れる事を発見したのです」  大沢の言葉の意味が分からないのか、司会者は狐につままれた様な顔をするが、他の学識者である出演者達は身を乗り出さんばかりか、立ち上がる者までいた。 「な、何だって」「それは、どう言う遺伝子配列なんですか??」「それは、本当ですか??」  次々に出演者達が大声をあげる、その一種異様な光景に、観客達もざわめき始めた。 「お、おい英彦。しっかり撮っておけよ!これが、今回の任務の理由さ!本部は私達に、これを撮らせたかったんだ!」アイシャは緊張と動揺が入り交じった顔をすると、僕の腕を強く握り締めた。 「分かった!」僕はそう言うと三脚からカメラを外し、手に持った。 「ソフィア!僕の側に来い!そこにいては、危険だ!」僕はフラフラと観客席に近付くソフィアを、大声で呼んだ。それほど、観客の雰囲気は異様で何かが起きそうな気がした。 「うんっ」ソフィアは返事をすると、怯えた様な目つきで周囲を見ながら僕の袖を握り締めた。 「ですから、ある遺伝子を持っている人は、間違いなく超能力を保持していて、その遺伝子の有無を検査する方法を発見したのですよ」舞台の上では、大沢はやや上気した顔で、自分の発言に恍惚としていた。 「証拠はあるんですかっ!?」ただならぬ雰囲気に、司会者は声を裏返した。その事を合図とするかの様に、観客達も一斉に騒ぎ始めた。 「こりゃ、なんかヤバそうな雰囲気だな・・・。英彦、退却路は確保出来るか?」アイシャが僕に近付く。 「大丈夫。後ろに非常口があるよ」僕はビデオカメラを握る手が、じっとりと汗ばんでいる事に気付いた。 「証拠ですか?証拠なら、ここにありますよ。私が初めて遺伝子マッピングで、超能力を確認した少女をドイツから連れて来ましたから」 「ほら、皆さんにあいさつして」  スタジオにいる皆が、その少女に注目する。僕達は彼女の発する第一声を、唾を飲み込みながら待った。極端に時間の流れが遅くなるのが分かる。  ゆっくりと、か細い声で少女が自分の名前を告げる。僕達は、その様子にあっけを取られてしまった。 「わたしは、ダーシャ、ダーシャ・カフカと言います。よろしく」  彼女は自分の名をぎこちないながらも、はっきりとした日本語で話したのだ。  スタジオにいる全ての者が一瞬動きを止めた。その静寂を破ったのは、出演者のどことなく少女を馬鹿にした様な言葉だった。 「いつもの人たちと同じですな。いつも、ああ言うタイプの『超能力者』とやらは、奇抜な登場をするくせに、本番では能力を見せようとしない。いつもの通りだ」  そんな声に、会場の観客達も少女をいぶかし気に見始めた。当の少女は、そんな事を気にする様には見えず、逆に自身に満ちあふれている様に見えた。 「カ、カフカさんは日本語がお上手なのですね。少々、驚きました」目の前の金髪の少女の外見からは想像が出来ない程の流暢な日本語に、司会者は目を丸くしながら言った。 「いえ、あなたがた日本人は、自分達の言葉は難しいと考え過ぎなんですよ。まあ、私も以前日本にいましたから」ダーシャは、さもつまらなそうに答えた。 「・・・では、大沢教授にカフカさん。今回、見せていただける能力とはいったい?そして、それは本当に超能力なんですか?」 「今回、日本の皆様に御紹介するのは脳波による遠隔通信、まあテレパシーですね。それと、自然発火現象を起こしてもらいます」大沢は、ぎこちない作り笑いを浮かべた。 「自然発火現象と言うと?」司会者が首をかしげる。 「それは、手を触れずに勝手に物が燃え・・・」 「待って下さい。今日はもっと面白いものを御覧にいれましょう」大沢の話を遮る様にダーシャが突然立ち上がり、舞台の中央を凝視した。その途端、彼女の瞳は怪しく輝いた。 「ダーシャ!何をするんですか!」勝手な行動を取り始めたダーシャに向かって、大沢が大声を出す。しかし、その姿にはどことなく彼女に対する怯えが見える。 「教授、偶然にも、このスタジオに仲間がいるみたいです。だから、その人にも能力を見せてもらいましょう」  ダーシャはそう言うと、スタジオの端にいた僕らを見つめた。僕は彼女の眼差しに背筋が凍った。何故なら、その鋭い眼差しは僕の良く知っている人のものによく似ていたからだ。 「くそっ!やっぱり、あいつはただのエセ超能力者じゃない!私達に気付いている!」アイシャが唇を噛み締めながら、腕を組む。その腕は微かに震えていた。 「何が起きたんです?教授!?」司会者が台本とは違う進行に気付き、汗をかきながら慌てている。 「分かりません・・・。ダーシャ!止めて下さい!勝手な行動を取らないで下さい!あなたはゲストなんですよ!私が連れてきたゲストなんです!!!」大沢がダーシャの腕に掴み掛かり引っ張る。 「ゲスト?何言ってるの?私がわざわざあなたなんかに協力してここに来たのは、能力を自慢したい訳でもお金が欲しい訳でも、ましてやあなたの名前を売る為でもないわ。勘違いしないで。私が守秘義務を破って実社会に姿を表した理由は、行動を開始するため。これは『革命』なのよ!新しい秩序に至るね!!」 「革命・・・?」大沢は、ダーシャのそんな突拍子もない言葉を聞いて呆然とした。 「さあ、その汚らしい手を離しなさい!人間め!」  ダーシャがそう言うと、ニヤリと口元を歪め大沢の手を凝視した。 「うわああああああっっっっっ!!!!!!!!」その瞬間、大沢の右腕は炸裂し、大量の血と肉が飛び散った。  スタジオ内にいる者全てが何が起きているのか理解出来ず、静寂に包み込まれた。 「きゃあああああああああ!!!!!」  しかし、一人の観客が叫ぶとスタジオは恐怖に包まれ、パニック状態になった。 「ば、化物・・・!」司会者はそう呟くと、その場にへたり込んだ。 「中止だ!中止!!収録は中止だ!!誰か警察に連絡を!それに救急車だ!!」スタッフの誰かがそう叫ぶが、もう誰も聞いていない。皆、まっ先に出口を目指して走り出した。 「な、なあ。あれは、演出か?それとも?」僕はビデオカメラでパニック状態の群衆を撮りながら呟いた。 「いや、あれは現実だ!!」アイシャはそう叫ぶと、警棒タイプのスタンガンを腰から抜き僕とソフィアの前に立った。 「あらあら、何で皆さん逃げるの?これからが面白いのに」ダーシャが笑いながら、出入り口を見つめると何かを呟いた。 「おいっっっ!ドアが開かないぞ!!!!」観客の一人が絶叫する。  すると、ドアに集まった人々の錯乱はさらに度を増し、泣叫びながらドアを叩き付けるものが出始めた。観客の誰かが手を切ったのだろう。ドアがべったりと血に染まる。 「さあ、皆さん。これから大切なお知らせがあります。これは、現存社会の崩壊と新世界の始まりの瞬間なのです」ダーシャはカメラに視線を向けると、穏やかな表情で微笑んだ。 「この世界の真実は・・・」 「よしっ!そこまでだ!おとなしくしろっっ!!!」  ダーシャが何かを話し始めた瞬間、スタジオ内にいた自衛官や公安関係の者らしき人物達が銃を掲げ、彼女を狙った。 「・・・、何で、警官がいるの?もう人間は気付いているの?まさかね・・・」ダーシャは不思議そうな顔をすると、銃を向けた屈強な男達を睨んだ。 「うぎゃあああああ!!!!」ダーシャが睨むと同時に、男達が血飛沫を上げ炎に包まれながら倒れてゆく。 「なんだ、あれは・・・」僕は呆然としながらも、カメラを回し続けた。何故かファインダー越しに見るその光景に恐怖は一切感じられなかった。 「英彦さあん!」隣でソフィアが僕の腕を握り締めながら、不安そうな表情をしている。 「おい!確か非常口は開けたままだったよな!」アイシャが緊張した面もちで僕を見る。 「ああ!こっちだ!」僕はカメラを構えたまま、後方を指し示した。 「よしっ!撤退するぞ!!そして、本部に応援を頼むんだ!」 「分かった!」「うんっ!」僕とソフィアは大きく頷くと、後ろを向いた。確かに、このまま前方の暗闇を進めば、非常口があるはずだったが・・・ 「ねえ、待ってよ・・・。あなた達も仲間でしょう?さあ、こちらに・・・」  僕達の目の前には、いつのまにかダーシャが立ち尽くしていた。その瞳は僕達を映しているはずなのだが、その奥には虚無にも似た暗闇が存在していた。 「どけよ、化物!私達は関係無い!」アイシャが大声で怒鳴りながら、スタンガンのトリガーを引いてダーシャを威嚇する。スタンガンは一瞬にして青白い電光に包まれた。 「ふふふふ・・・。あなたには、そんなもの必要無いじゃない。アイシャお姉ちゃん」ダーシャは狂気混じりの笑みを浮かべると、僕達に一歩一歩近付いてきた。僕達はじりじりと後退し、スタジオの中央へと向かって行った。 「・・・!お前、何故私の名を??」  アイシャの瞳孔が、極端に拡大する。額から脂汗が滝の様に流れているのが分かる。 「だって、パパが言っていたもの。お姉ちゃんの事を」ダーシャがアイシャに手を触れた。 「パパ?」アイシャの顔が、段々と青ざめて行く。 「そうパパ。私のパパでもあるし、お姉ちゃんの・・・」 「やめろ!!やめろやめろやめろやめろ、やめろっっ!!!」アイシャは首を振りながら絶叫すると、ダーシャの襟首を掴み持ち上げた。 「お前!お前は!!!お前は、カフカ博士の事を知っているのか!!!」アイシャの顔が、先程とうって変わって真っ赤になる。 「当たり前じゃない。パパだもの。そう、お姉ちゃんの一番目のパパ」ダーシャは顔色を変えずに、アイシャに悪戯っぽい笑みを向けている。 「一番目のパパ・・・。そ、そんな・・・」アイシャはガタガタ肩を震わせながら、ダーシャを更に高く持ち上げる。ダーシャは、さすがに苦しいのか顔を歪める。  アイシャは震え、何かに怯えながら無気力な眼差しでダーシャを見つめた。 「やめろよ!アイシャ!そのままじゃ、殺してしまうぞ!」僕はアイシャの暴力的な行動に耐え切れなくなり、彼女を咎めた。 「ねえ、早く下ろしてよ。お姉ちゃん。そう言えば、お姉ちゃんは怒りっぽいから、二番目のパパが愛してくれなかったんでしょう?ううん、違ったわね。身体のすみからすみまで愛してくれたんだっけ」  ダーシャは苦悶の表情を浮かべながら、侮蔑の笑みをアイシャに送った。 「このやろおおおおおっっっ!!ぶっ殺してやる!!!!!」アイシャは激怒に震えると、右手を大きく振りかぶった。 「お、おいっ!!やめろアイシャ!!!相手は子供だぞ!!!」僕は急いでアイシャに飛びつき、彼女の右手を押さえた。しかし、アイシャの行動が一足早く、僕は彼女の人並みはずれた腕力に投げ飛ばされてしまった。 「うわっっ!」  ドサッ  背中に鈍い痛みが走る。僕は一瞬何が起きたのか分からなかった。 「おい、英彦!大丈夫か!!」アイシャが泣き出しそうな顔をして、僕を抱え上げる。 「いてててて。もうアイシャは馬鹿力だからなあ。うん、大丈夫だよ」僕は鈍痛に顔を歪めない様、賢明に笑顔を作った。 「けほ、っけほ。お姉ちゃん、今回はただの始まりだからね。これから、本当の世界が始るのよ!今度会う時は、お姉ちゃんにも協力してもらうからね。新しい秩序の為に!!」  僕とアイシャが見つめあっているうちに、ダーシャはアイシャから逃れると走り去って行った。 「待て!!」アイシャが追い掛けようとした、その時、 「公安調査庁の者だ!おとなしくしろ!!」と何人かの男が銃を構えてスタジオに入ってきた。  ダーシャはその混乱に乗じて、風の様に何処かへと消え去った。 「待て、待てよ!!お前、Vaterの事を知っているんだろ!?教えてくれよ!!」  アイシャの叫び声は、観客達の狂乱の声にかき消されて行った。 * 「じゃあ英彦さん。テープを本部に持って行きますね。今から行けば・・・あ、帰りは終電を過ぎちゃっているから、タクシーで帰ってくると・・・。うん、二時前には帰ってきます」    僕達は一旦公安に逮捕されそうになったが、例の身分証明書の束から国連職員のカードを見せる事によって、何とか帰って来れた。 「あの・・・」ソフィアは、ちらりと僕の背後を見ると声を小さくした。 「あの、アイシャ、落ち込んでいるみたいだから、私が何か言うよりも英彦さんが何か言ってあげた方が良いと思うから・・・」 「ああ、分かってるよ」僕はソフィアにそう言うと、彼女の肩をたたいた。 「じゃあ、行ってきます」ソフィアはドアを開けてからも、アイシャが一人で閉じこもっている部屋の方を見つめ続けた。 「ああ、行ってらっしゃい。気をつけるんだぞ。一応女の子なんだからな」僕がソフィアをからかう様に彼女の額を軽く小突く。 「もう!一応って何ですかあ!じゃ、行ってきますね!!」ソフィアは頬を膨らませると、静かに出て行った。  ソフィアがドアを閉めると、耳を圧迫する様な沈黙が訪れた。アイシャはダーシャと出会ってから、家に帰ってきてからも僕達と口を聞いていない。いや、正確に言うと口は聞いてくれるのだが、生返事ばかりで何故ダーシャともめたのか等は話してくれないのだ。  コン、コン・・・ 「アイシャ。入っても良いかな?」  沈黙は更に続く。僕は、アイシャの部屋の前で例えようもない焦りを感じていた。 「英彦か・・・。今は、あまり会いたくない・・・」部屋の中からか細いアイシャの声が聞こえる。 「そうか・・・。分かった、じゃあ・・・」僕はそう言いながらも、アイシャの部屋の前から立ち退く事が出来なかった。 「英彦・・・」部屋の前で立ち尽くす僕の前で、突然ドアが開いた。そこには目を真っ赤に腫らしたアイシャがいた。 「英彦、会いたくないって言うのは嘘なんだ。本当は誰かに側にいて欲しいんだ・・・」アイシャはそう言うと、大粒の涙をこぼし始めた。  アイシャの部屋の中から、何やら音楽が聞こえる。その曲はどことなく切なくて、どことなく・・・。 「Like a Bridge over the troubled water....I'll lay.....」  部屋から漏れるポール・サイモンの歌声は、遥か天まで昇って行く様な気がした。 「大丈夫かい?」僕はそう言うと、彼女の肩に手を触れた。 「ソフィアはいないよな・・・?いたら、恥ずかしいから・・・」 「ああ、今本部へテープを届けに行ったよ」  僕がそう言うと、アイシャは急に僕の肩に顔を押し付けてきた。彼女の両目から流れ落ちる無言の涙が、僕の肩を濡らす。 「ごめん、ごめん英彦。こんなの、私らしくないよな・・・。いつも強がっているくせに・・・」アイシャが何度も何度も、僕の肩に顔を押し付ける。 「そんな事ないよ。誰だって、悔しい時、辛い時には泣くもんだ。それが、人間ってものだろう??さあ、ここでは何だから、リビングにでも行かないか?」僕は自分より背が高いアイシャの肩を優しく撫でた。 「いいや、もう少しこのまま・・・」アイシャが僕のシャツを、ギュッと掴む。  それから暫くの間、僕達は無言で立っていた。僕はアイシャにダーシャの事、それに『パパ』と呼ばれていた人物の事を聞きたかったが、彼女の様子から判断し聞くのをやめた。人には触れて欲しくない事はあるものだから。 「あのな、英彦。私はな、昔のある事件以来、男の事が大っ嫌いになったんだ・・・」アイシャが真っ赤になった瞳をこちらに向ける。 「え?」僕は、アイシャが何を言おうとしているのか分からなかった。 「男なんて、皆、皆汚らしくて、女を食い物にする存在だと思っていたんだ」 「・・・、そうなのか。でもな、男全員がそうではないよ?」僕は子供をあやす様に、アイシャの柔らかそうな金髪に触れた。 「その仕種、パパと同じだ・・・」アイシャが僕の何気ない行動に対し、そんな事を言う。 「でな、今まで出会った男どもも『男は全員そんなやつではない』って言ってたけど、そんな事は嘘っぱちだった。皆、私を裏切った」 「・・・」僕は、アイシャがあまり過去を語らない理由の一部を垣間見た様な気がした。 「でもな、でも、お前は違うんだ。英彦、お前は本当に私の事を想ってくれている様な気がする・・・。もしかしたら、私の勘違いかも知れないけどな」 「そうか、そいつはうれしいな。もちろん、僕は君の事を最高の親友だと思っているよ」僕がそう言うと、アイシャは少し悲し気な顔をした。 「親友・・・か・・・」 「そう、親友。でも、もし君が例えようもなく辛くなった時には、僕は君の側にいてあげる。そして僕に出来る事ならば、僕は君の為にその事をするよ。もしかしたら、僕じゃ力不足かも知れないけどね・・・」僕は自分の言った言葉に、恥ずかしくなり顔を若干アイシャから背けた。 「ふふふ・・・、ば〜か。かっこつけるなよ。でもな、嬉しいよ。本当に嬉しい・・・」  アイシャは涙を拭いながら微笑むと、僕の頬に軽くキスをした。  全ての人の心の中には、他の人には知られたくない巨大な闇が存在する。そして、人はそれをひた隠しにする為に、自分を誤摩化す。何故なら、その闇は自分では乗り越えられない程大きいからだ。  でも僕は、いつか僕の中にも同じ様に存在する闇を、アイシャ達と解決出来る様な気がしてならない。何の確証もない、ただの妄想かも知れないけどね。  もし、そんな日が来たら、僕達はいったい何を見るのだろうか?  まあ、いいや。今は考えないでおこう。