The Angel in Blue Sky  「私、人殺しなんか出来ない」  こんな当り前の事を言った為に、彼女は処分されることになった。 *  20世紀末、局地戦闘用航空機は目覚ましい進歩をとげ、もはや人には乗りこなせなくなっていた。あまりにもGがかかりすぎるのである。  当初、自衛隊他、各国の軍隊は航空機の電波による遠隔操縦を試みた。しかし、結果はと言うと敵国のジャミングにより、ほとんど使い物にならなかった。それから重力波による制御も考案したが、あまりにもアンテナが巨大になるので実現は不可能に近かった。  そして21世紀に入り、自衛隊と米軍が画期的な制御法を考案したのだった。人工知能による自律飛行である。しかし、これにもまた欠点があった。ノイマン型コンピュータでは推論、連想において、多大な計算時間がかかってしまうのである。  そこで、2025年に第7世代バイオコンピュータ、しかも生体脳限定使用の装置を使った、何にでも使える人型の汎用兵器の開発に着手する事となったのである。8年後、まだ完成したばかりの理論を応用してなんとかプロトタイプを作り上げた。  その生体ロボット、バイオノイドは開発コードネームから「メカニック・エンジェル」と呼ばれた。 *  僕と彼女は、暗闇を選びながら夜の旧市街を走っていた。研究所から逃げ出して、もう二日がたつ。もちろんほとんど寝ていないし、食事もしていない。僕の体力は限界だった。 「なあ、少し休もう。このままのペースで走り続けたら死んでしまうよ」僕はとぎれとぎれの声で言った。 「中山さんの自宅まであと1・5236キロメートルです。もう少しですから、頑張りましょ」彼女は疲れを微塵とも感じさせないような声で言った。  彼女にそう促されて、僕はふらふらの足に何とか言うことを聞かせ、再び闇の中を走りだした。  振り返れば、彼女と出会ったのは今年の7月。まだ半年もたっていないのに、僕は彼女に好意に値する感情を抱いている。愛してしまっているのかもしれない。彼女は機械なのに。  2033年7月、今年は珍しく気温が30度を超えた。1999年以来、隕石衝突による気候変化により夏に30度を超したのは2、3回しかなかった。  あの日、僕は防衛庁の「航空電子研究所 サイバネティックス研究室」に向かっていた。大学の研究室からヘッドハンティングされたのだ。  その研究所は入間基地にあり、僕の任務は人工知能の保守と教育だった。人工知能は教育しないと使い物にならないのだ。 「やあ、久しぶりだね。相田君。何年振りかな」  目の前にいる初老の男は、僕の知り合いだった。かつての隣人であり、そして恩師である人物だった。   「5年ぶりです。森里先生」  僕は、その後どうやって話を切り出してよいか分からず、黙りこくってしまった。何故なら、以前彼がとてつもない悲しみに出会ったのを知っているからだ。  森里は、僕が黙ってしまった理由が分かったようで、笑みを浮かべて僕に言った。 「もう私も、ふっ切れたよ。いつまでも悲しんでいては、妻も娘も浮かばれまい」と森里は僕を思いやるように見つめた。   *  6年前の事だった。森里の妻とその娘、ミフユは彼女の父を迎えに車で大学の研究室に向かった。当時、大学教授をしていた森里の家と大学はそんなに離れていなかったが、その日はミフユの誕生日で家族一緒に食事をする予定だった為、車で迎えに来てもらったのだ。僕はその時大学4年生で、彼の研究室で卒論に取り組んでいた。彼等とは家が隣どうしだったので、以前から家族ぐるみでつきあっていた。ミフユはたしか僕より一つ年下だったと思う。  あの日、僕はミフユが誕生日を迎えたのを知っていたので、安物の指輪をプレゼントした。彼女にはその指輪がただの誕生日プレゼント以上に感じられたようで、とても喜んでいた。 「ナオトくん。ありがとう!!大切にするね!私、お返しを用意していなかったから、この十字架のネックレスあげる!」と彼女は自分のしていたネックレスを僕に差し出した。 「待ってよ!これ、ミフユちゃんが大切にしていたものじゃないか。なんでも、亡くなったおばあさんの形見なんだろ。受け取れないよ」僕はミフユが僕の首にかけようとしていたネックレスを返そうとした。 「ううん。いいの。持ってて、お願い。私の代わりと思って大切にしてね」 彼女は、僕の首にそれをかけると、そっとキスをした。頬にではあったが。  でも、まさかあれが、永遠の別れになるとは思ってもみなかった。僕と別れてから3時間後、彼女らを乗せた車は事故を起こしたのだ。森里は食事の後、大学に忘れた資料を取りに行き難を逃れたが、ミフユと彼女の母は二人とも即死だった。警察の発表によると事故の原因は、スピードの出し過ぎによるハンドル操作のミスとの事だった。しかし、いつも馬鹿なぐらい真面目に法定速度を厳守したミフユが、何故あの日に限って、一般道で150キロも出したのだろうか。  森里教授は数週間後、大学をやめて防衛庁の研究所に入り、引っ越して行った。  僕は今でもミフユの最後の言葉の通りに、あのネックレスをミフユだと思って大切にしている。 * 「では、先生。僕の任務はどう言ったものなのでしょうか」僕は沈黙を破るため、あえて仕事の話をした。 「聞いてなかったのかい。君の仕事は人工知能の保守と教育さ。君が、以前から人工知能教育に関して面白い論文を発表しているのは知っているよ。まあ、だから私はこのプロジェクトに君を推薦したのだがね」 「ですから、そのプロジェクトって、いったい・・・」僕は、再び尋ねた。 「生体脳を限定使用した汎用兵器の開発さ。主に航空機の操縦に使用する。コードネームは『メカニック・エンジェル』と言う」  僕はまだ、彼が何を言っているのか分からず、ぽかんとしていた。   「まあいい。一目見れば分かるだろう。いま、飛行訓練をしているから見に行こう」森里はそう言って僕を研究室の外に連れ出した。 *    僕と森里はジープに乗り込んだ。ジープは、なかなか景色の変わらない基地の中を進んだ。僕は何を話してよいか分からずに黙っていた。  しばらくすると、僕は沈黙に耐え切れなくなって森里に話しかけた。 「たしか、入間基地には鉄道が横切っているんですよね」 「よく知っているね。私なんか、ここに来て初めて知ったから驚いたよ」  彼は僕を横目に見ながら資料に目を通して、そう言った。 「いえ、以前、航空祭で来たことがありますから」 「そうだったな。君は戦闘機マニアだったものな。学生の時から」  僕が、その事に関して話をしようとしたら、 「もう滑走路に着くぞ。もうすぐ、着陸体制にはいるはずだ」と森里は言い、それからしばらくしてジープは滑走路の横(と言っても随分離れているが)に着いた。 「まだですかねえ」  僕は双眼鏡を覗きながら、なかなか見えてこない航空機に対して苛立ちを覚えていた。 「もうすぐだよ。もうすぐ・・・。あっ見えてきたぞ」  一機の灰色の巨大な物体が爆音と共に近づいてきた。だんだんとそれが近づいてくるにしたがって、僕は奇妙な感覚を覚えた。 「あれは・・・F/A18か?いや、違うFSXみたいだな。それも改造を施してある。なんで、入間にあるんだ?」  僕は何故、戦闘部隊の無いこの基地に戦闘機があるのか、全く分からずに考えこんだ。 「あれが、このプロジェクトの成果だよ。と言っても、あの航空機だけでなくパイロットもだがね」 「さあ、エプロンに行ってみよう」  僕は森里に連れられてエプロンに行った。  そこに着くと、戦闘機はエンジンを停止状態に移行しつつあり、パイロットが降りるところだった。  僕は、その機械仕掛けのパイロットがいるあたりを見つめた。どんな格好をしているのだろうか。多分、頑健な感じのメカなのだろう。  しかし、キャノピーの中に何やら液体が詰まっていたので、何処にいるのか全く分からなかった。  (液体?何の液体だろうか?)僕は首をかしげた。 「先生、あの液体は何ですか?」僕は尋ねた。 「あれかい?あれは、LCLだよ。一種の酸素溶液で、あの中では呼吸が出来る」 「そうですか・・・」僕はこれ以上聞くのをやめた。生命化学は僕の専門外だ。 「LCL、排出開始!終了後、第1次接続から順に解除!」  オペレーターの声がスピーカーから聞こえる。 「システム、オールグリーン。コネクト解除成功!作業終了!」  そうオペレーターが言ったとたん、キャノピーが開き始めた。  プシューッ  気密性のキャノピーが開き、中から一人の人間が現われた。身体の線から言って、女性だと思う。ピチっとした、変わったフライトスーツを着ている。  (オペレーターかな?)僕はそう思い、パイロットであるメカを探し続けた。 「何をしているのかね。相田君。君の担当する人工知能はここにあるよ。」  彼は笑いながらそう言うと、そのフライトスーツを来た身長160センチぐらいの女の子を指差した。髪は品の良いショートカットで、身体の線は細かった。とても、パイロットには見えないし、ましてや機械になんか絶対に見えない。ただし、奇妙な点が一つあった。表情が無いのだ。 「何、冗談を言っているのですか。ははっ、先生。まさかアンドロイドでも作りましたか?純国産の」  僕は、森里の言っていることが信じられず、そう切り返した。 「冗談ではないよ。我が自衛隊は、ついに生体素子を多用した24時間戦っても疲れない、命令には絶対服従の理想的な兵士を作り上げたのだよ。と言っても、米軍とNATO軍の協力はあったがね」 「えっ、まさかそんなことが・・・」、と僕が否定をしようとした時、森里は間髪を入れずに言った。 「あるのだよ。これも技術の勝利だ。これで戦争が起きても人が死なずにすむ。素晴しいじゃないか」  僕は目の前のかつての恩師である森里博士を、ただ、ただ見つめた。 「では、あらためて君に紹介しよう。彼女は最新科学の素晴しき成果、汎用人型兵器の『メカニック・エンジェル』の零号機、ミズホだ。自分で考え、判断し、また学習もする。生体脳をはじめ生体素子を多用しているので、人間と区別がつかない。ただ、違うのは感情というものが乏しい、と言うより無い事だけだ」 「さあ、ミズホ、相田君にあいさつなさい」 「はじめまして。相田技官。よろしくお願いします」  彼女は表情を変えずに、ただ口だけを動かしぼそぼそと言った。 「こっ、こちらこそ。よろしく」と僕はしどろもどろに答えた。何故なら、液体に濡れた彼女の姿が、妙に色っぽかったからだ。  そしてその姿は、何故か懐かしい感じがした。 「まあまあ。そんなに緊張しないで。これからは君が彼女の世話の大部分をするのだから」と森里は僕の肩を叩きながら言った。 *    それから、僕はミズホの教育に熱心に取り組んだ。ある時は、人間らしくふるまう術を身に付けさせるため、一緒に映画を観に行ったり、彼女の衣服を買いに行ったりした。    そのうちに、そうだな、教育を初めてから2〜3ヵ月後ぐらいだったと思うが、彼女に異変が起きはじめたのだ。    異変を感じた最初の日は、たしか土曜日で仕事が無かった。僕は、いつもの通り彼女を映画に誘った。もちろん仕事でだ。で、たしかその映画の内容は、地上に舞い降りた天使と平凡な青年が恋に落ち、そしてクリスマスイブに地上での使命を果たした天使が、神様に呼ばれ天界に帰ってしまう、と言う、一見稚拙だがとても悲しい恋愛物だった。    その異変とは映画を観ているうちに、ミズホが僕に身を寄せてきたのである。僕は不思議に思い、彼女の顔を見た。すると、彼女は大粒の涙を流しながら、泣いていたのだった。   (感情が、生まれつつあるのか?いや、そんなことはない。生体脳を使っているとしても、理論上、有りえないはずだ)  僕はそう思いつつ、ミズホに話しかけた。 「ミズホ、どうしたんだ。システムのエラーか。それとも回路の故障か」 「いいえ、違うと思います。エラーは出ていないし、自己診断ソフトも異常を認めていません。ただ、何だか胸が締め付けられるような、心が空っぽになるような、そんな感じがします」    ミズホは涙を拭きながら答えた。僕は、どきっとした。その仕草があまりにも人間的だったからだ。  僕は、すぐさま外に待機している研究所の所員を呼んで、急いで帰った。 「どこにも異常は見当たらないな。一体、どうしたのだろう。先生はどう思いますか」と、僕は森里に訊ねた。 「わっ、分からん・・・。まさか・・・」  そう言うと、森里はしきりに額に浮き出た脂汗を拭った。 「先生!どうしたんですかっ。こうなることは予想されてなかったんですかっ。まさか、本当に彼女に感情が生まれつつあるのでは」  僕には何故森里がここまで怯えるのか、不思議に思えた。 「私にも、分からんよ・・・」、と森里はつぶやき、それ以上話さなかった。  それからのミズホはますます人間らしくなった。僕が教育をはじめてから3ヵ月後には、泣きもしたし、笑うようにもなった。また、僕の事を相田技官ではなく、ナオトさんと呼ぶようにもなった。  防衛庁の上層部はこの事に、かなり危機感を抱いていたようだった。僕の方も、ミズホがどんどん人間らしくなっていくのがうれしいと同時に、言葉に表わせない不安を感じていた。    人は人を創り出してしまったのか、と。  そして、ある日、事件が起きた。    その日はミズホにとって何度目かの百里基地での訓練だった。僕は、彼女のデータをリアルタイムで測るため、後部座席にいた。  酸素マスクのマイクを通して彼女の声が聞こえる。 「パレルロールに入ります」 「分かった」僕は、計測機を見ながら答えた。  僕は、あまりもの巨大なGにめまいを覚えた。 「もう、もういいよ!ミズホ!僕に6Gはきつすぎる!」僕は顔面を引きつらせながら声を上げた。肺がつぶれる感じがする。 「ごっごめんなさい。気がつかなくて」ミズホが申し訳なさそうに言う。  今日のミズホはどこか変だ。訓練を始めてから、ずっと何かを考えている。 「ふぅ〜。ミズホ、何か心配事でもあるのか」 「いえ、ただ・・・」 「ただ?」  「ただこうして一所懸命に訓練をしても、この技術が人殺しにしか使われないなんて・・・」ミズホは物悲しそうに答えた。  彼女には、完璧な感情が宿っている!僕は、そう確信した。 「そんなことないさ。自衛隊は国土を、そして人々を守るもの。ただの人殺しでは・・・」僕がそう言いかけた時、無線が鳴り出した。 「メカニック・エンジェル、ホットスクランブル」    僕は我が耳を疑った。緊急発進だって! 「百里タワー、こちらメカニックエンジェル。これは、演習か?」 「これは、演習ではない。現在、我が国は何者かによりECM(電子対策)攻撃を繰り返し受けている。AWACSから、アンノウン発見の報告があった。バジャーと新型のスホーイだと思われる。まだ、未確認の機種のようだ。もうすでに、領空内に侵入しようとしている。このままでは、国土上の横断を認めることになる。今、一番近いのは君らだ」 「でも、この機はバルカンしか積んでないんですよ!」僕は叫んだ。   「間もなく救援の部隊が駆けつける。それまで、奴らを監視していてくれ」 「ラジャー」ミズホがそう言うと、無線は沈黙した。ジャミングがかかったらしい。 「くそっ!どうするんだよ、いったい。サイドワインダーも積んでないのに」僕は唸った。 「あと、6分で遭遇します」ミズホは淡々と答えた。 「ここで、死んでしまうのか・・・」  それからの、5分強、僕らはずっと黙っていた。やけに、窓越しに見る夕日が奇麗だった。 「ボギー、5時方向に視認、おそらく距離2000フィートほど!!旋回して近づいてきます!!」突然、ミズホは叫んだ。僕にはまだ確認できない。 「メカニック・エンジェル、こちら百里タワー。バラージ・ジャミングの影響を除去。地上レーダーサイトでも確認!統合幕僚会議議長の命令により、デフコン2に移行!また、1623時に総理より防衛出動が下令された」無線が突然騒ぎ出した。  僕は、ごくりと唾を飲み込んだ。とうとう、交戦許可がおりた。相手はどこだろう。旧ソ連製の航空機を持っていて、政治的に日本に対立するのは・・・北朝鮮と中国か。北朝鮮ではないな。あそこに、こんな兵器があるはずがない。とすると中国か、やっかいだぞ。新型スホーイには中性子爆弾が積めるからな・・・。 「レーダー回復!いよいよね。相手は攻撃を仕掛けるつもりだわ」 「ミズホっ」僕は、目を閉じた。 「バルカンで決着をつけてやる」ミズホのシステムは戦闘モードに切り替わった。途端に彼女の雰囲気が無機的になる。 「やばい!後ろにつけられたぞ!」残忍な空の殺し屋が僕らを狙った。  ミズホは、何とかロールシザースで相手の起動から逃げようとした。 「いかん!ミサイルだ!」僕は叫んだ。  全長3mの灰色の筒が二本、僕らの方へ向かってきた。 「大丈夫です。あのミサイルは電波誘導タイプですけど、この機には、電波吸収素材を使ってますから、よほどの事がない限りあたりません」  ミズホはさらっと言った。 「でもっ、よほどの事があったら!」 「その時は、その時です」  ちょうど、ミズホがそう言ったとき、横にミサイルが通過して行った。 「たっ、助かった」僕は大きく息をはいた。 「次は、こっちの番ですね!!」     そうミズホが言うと、突然、僕らの戦闘機の姿勢が縦になった。窓から見た景色が90度以上変わった。突然の重力の移動に僕は吐き気を覚えた。    「これは・・・、プガチョフコブラ!!!」  プガチョフコブラとは、進行方向に120度機体を倒して飛ぶという、離れ技である。あまりにも、困難な為、発案者の名前が付いたほどだ。    突然、姿勢を変えたので飛行速度が落ち、その結果スホーイが前に出た。すぐさま、僕らの機体は高G旋回に入り、 キャノピーを狙った。 「ううっ、グレイアウトに入りそうだ・・・」  僕は、遠のく意識のなか、そうつぶやいた。血管が音をたてる。 「頑張ってください!!あと少しです!!」    ミズホの撃ったバルカンは正確にスホーイのキャノピーを貫いた。敵のパイロットは危機一髪で脱出した。    そこに、今ごろになって、救援部隊が到着した。 「貴下は我が国の領空を侵犯している。直ちに退去されよ」僚機のパイロットが中国語とロシア語でそう言った。 「本当に、助かった・・・」僕は薄れ行く意識の中、安堵の息をもらした。そして、気絶した。  中国政府の見解は苛立つものだった。今回の事件は非常に残念で遺憾の意を表明する、としか言わなかったのだった。原因については、電子機器の故障の為、領空を侵犯している事が分からなかった、と言うことだった。  それ以上に僕がショックを受けたのは、帰還してから1時間後、基地での報告の最中にミズホがとんでもない事を言った事だった。 「今回は良くやってくれた。相田君」と空幕の石川空将は言った。  石川空将は、今回のプロジェクトの最高責任者である。さすが、空将クラスの人物だけあって威厳がある。   「いえ、今回の手柄はミズホのものです」 「彼女か?彼女は道具に過ぎんのだぞ。やはり、それを使いこなした君の業績だよ」 「いえ、空将・・・」  僕が言いかけたとたん、ミズホが震える声で言った。   「私、人殺しなんか出来ません。今回の事件で確信しました」 「何だって!」、と一佐と僕は驚きの声を上げた。 「今回、スホーイに弾丸を浴びせた瞬間、パイロットの命乞いをするような表情を見ました。彼にも、家族が、愛する人がいるのです。国家のエゴの為の人殺しなんて、私には出来ません」  ミズホはうつむき、両手を色が変わるまで握り締め、ポロポロと涙を流していた。  その場にいた人々、僕や森里博士、そして自衛官は何も言うことが出来ず、ただ立つくしていた。  窓の外には、ただ、ただ、闇が広がっていた。 *  それから、数週間後、ミズホに感情があることを認定せざるをえなくなった防衛庁は、零号機すなわちミズホを正式に処分、解体する事にした。なぜなら、感情を持つ機械を創ると言う事は、倫理的にもまずいし、もしこの事が民間人に知れたら、どうなるか分かったものでないからだ。絶対、民間人は僕らを追及し迫害するだろう。  はじめは、僕も処分に渋々賛成した。しかし、ある日の夜、考えが変わったのである。   *  うちの部隊「航空電子研究所 サイバネティックス研究室付 第606航空機制御実験飛行隊」は、その機密性から隊舎と研究室が一緒になり、滑走路の端に一般の隊舎とは別にあった。  こんこんっ、とノックをする音がした。もう夜の11時である。いったい、誰が何の用できたのか。と言っても、僕の自室を知っているのは606の連中だけだが。 「誰ですか?こんな時間に」僕はそう言いつつ、ドアを開けた。そこには、ミズホがパジャマ姿で立っていた。しかし、パジャマを着るとは数ヵ月前には考えられなかった事だ。 「ごめんなさい。こんな時間に。でも、話しておきたいことがあったの。ほら、私、2週間後に処分されるから・・・」  僕は言葉を発する事が出来なかった。  沈黙を破るために、ミズホが話しはじめた。 「しんみりしちゃったね。気にしないで、私は任務を果たせなくなった今、必要のないものだもんね・・・。こんなことになるのだったら、感情なんていらなかった、感情が無ければ、こんなに苦しまなくてすむもの」 「でも、結果的には、感情を持てて幸せだった。風のさわやかさを感じることが出来たし、前に、ナオトさんと見上げた星空の美しさを知ることも出来た。それに、人を愛するとはどういうことかも分かったもの・・・」  ミズホの声が、だんだん震えてきた。 「でも、この嬉しさも苦しみも味わえるのは、あと少しなのね・・・」  ミズホの声がだんだん涙声になってきた。 「でも、でも、やっぱり、ナオトさんと、みんなと分かれたくない!!このままずっと、生きていたい!!」  ミズホは泣きながら、僕に抱きついてきた。僕はそっと抱きしめた。  そして、僕は彼女とここを逃げ出すことを決意した。 * 「まだかい。アスカさんの家は」  僕らは、まだ夜の街を走っていた。 「あの角を、曲がってすぐです!」  間もなくすると、僕の大学時代の先輩、中山 アスカの住むワンルームマンションが見えてきた。 「アスカさん、いるかな?」僕は、ミズホに尋ねた。 「多分いるでしょう。だって、今は夜中の2時ですもん。しかも、平日です」  僕らは、そんなやり取りをしているうちに、マンションの玄関に着き、エレベーターに乗り込んだ。 「ええと。たしか18階だったよな」僕は18のボタンを押そうとした。 「いいえ。16階ですよ」そこに、ミズホが手を差し伸べて16のボタンを押した。 「なんで、知っているんだ?」僕は、不思議そうな顔をした。 「だって、たしか以前に中山さんと電話をしていたとき、わたしにメモっていてくれ、と頼んでたでしょ。私、ナオトさんに関することだったら、何でもおぼえているんですよ」  最後まで、言い切ったあとミズホは照れ笑いをした。  僕はドキドキした。ミズホはやっぱり魅力的だ。表情、仕草、どれをとっても本当の女の子にしか見えない。  僕は、胸の高鳴りを感じながら、同時にかすかな胸の痛みを感じた。 (でも、ミズホは機械なんだ)  そうこうしているうちに、エレベーターが16階についた。 「さあ。ミズホ。行くぞ!」 「うん!」  表札を順に見て回る。中山、中山と・・・。あった!1611だ。  僕は手作りの表札で「中山」と書かれている部屋のチャイムを押した。  ピンポーン。・・・。出ないな。ピンポーン ピンポーーン!!  僕は、しつこく押した。 「はあ〜い。どなたですか〜。今ごろ〜」  中から眠たそうな女性の声が聞こえた。 「あっ、相田です!夜分、申し訳ありません。車を貸してくれませんか」  ガタンッ。突然、ドアの中で物音がした。多分何かにぶつかったのだろう。 「痛たた!!ナオトくん!?あの、大学時代の後輩の!?」 「ええ、そうです」  中で、ドアチェーンをはずす音がし、ドアがいきなり開いた。 「あなた、いったいどうしたのよ!逃亡中じゃないの!!新聞やテレビで大騒ぎよ!!!」僕より歳が一つ上の、大学時代の先輩である女性、中山 アスカが、ボサボサの頭を廊下に出した。  その、ボサボサとした長い髪の頭が、廊下をぐるっと見渡した。僕ら以外には誰もいなかった。 「とにかく入って。話しは 後よ!」アスカはそう言うと、僕らを強引に部屋に入れた。  僕は、彼女が何故、慌てているのか検討もつかなかった。  僕らは、彼女の部屋の真ん中にあるテーブルの周りに座らされた。ちなみに、彼女の部屋はロフト付きのワンルームである。  良く見ると、コンポが曲がって置かれている。多分、さっきはこれにぶつかったのだろう。 「何で僕らが逃げ回っているって、知っているんですか。さっき、テレビがどうのこうの言ってましたけど」僕は、アスカに尋ねた。 「これを、見てみなよ!」アスカは、今日の夕刊を差し出した。  そこには、一面にこう書いてあった。 『スパイ容疑の防衛庁職員と自衛官、極秘資料を持ちだし逃走』 「何だこりゃ!」僕は素頓狂な声を上げた。 「記事の方を良く見なさいよ!」アスカはイライラした声で言った。  僕は、記事を音読した。 「なになに、『22日未明、航空自衛隊入間基地にて防衛庁技官 相田 ナオト(28)と一等空曹 森里 ミズホ(20)は同基地の極秘資料を持ち出した上、逃走した。彼らは逃亡の際、神経ガスをも持ち出した様子で厳重な警戒が必要である。現在、航空自衛隊と公安調査庁が共に捜索中。ある内部筋によると、彼らは中国のスパイである可能性が高いと言う。先日、領空侵犯で問題となった、最近の中国の軍事活動だが・・・」  僕は、新聞から目を離し、言った。 「なんだっ、こりゃあ!!!僕らがスパイ!?」 「はめられた!!」ミズホは厳しい表情で言った。 「事実を隠し、私たちを犯罪者にすることによって、身動きを取れなくするつもりだわ!!」  そこに、アスカがおろおろしながら言った。 「私も、ナオト君がこんな事をするなんて思ってないよ。でも、いったい、何故あなたたちは追われているの!」  僕と、ミズホは顔を曇らせた。ミズホの秘密を話した方が良いのだろうか。 「そっ、それは・・・」僕は言葉がつまった。 「ね!教えてよ!私と、ナオト君との仲でしょ。私、ナオト君を信じているけど、証拠がほしいの!!教えてくれたら協力するし、車も貸す!」アスカは僕に被いかぶさるようにして、言いよった。  僕は、ミズホと顔を見合わせた。 「今は、この人の協力が必要です。仕方ありません。話しましょう。いい人みたいだし」ミズホは言った。  アスカは興味津々という顔をしていた。 「仕方ないですね・・・」  僕は、一切の事を話した。アスカは、あまりにも予想からかけ離れた話しを聞いて、呆然としてい る。 「ねえ、これジョーク?ははは・・・」アスカは力なく笑った。 「いえ、大真面目です」僕はそう言い放った。 「待ってね、今、頭を整理するから・・・。えーっと、彼女はロボットで、感情を持っている。そして、それが原因で処分されそうで、彼女はまだ生きたいから、基地から逃げ出した。で、ナオト君が付き添っていると・・・」  しばらく、アスカは沈黙した。 「嘘みたいな話しだけど、本当なの・・・?」アスカは、まだ完全に信じていないようだ。 「アスカさんはご存じない思いますけど、生体脳を限定使用したバイオコンピュータは、そこまで精巧なんです。僕も信じられなかったけど」  アスカがミズホに近寄って行った。そしてミズホを触りまくったり、胸に耳をあてたりした。 「そりゃ、確かに、彼女は素晴らしいプロポーションだし、顔も女の私がくらっとするくらい可愛くて、作り物っぽい感じがするわよ。でも、肌は暖かいし、心臓の音はするし、女性特有の、ほのかに甘い香りがするし、それに感情もある。どう見ても人間よねえ。」アスカはまだ信じ切れないようだ。 「そりゃ、生体素子を使っているから、血液を送る心臓もあるし、代謝もあるから、香りもしますよ」  (そうだっ。このノートパソコンをミズホの繋いで見せれば・・・)  僕は、逃げ出すときに持ち出した端末のケーブルをミズホの首に接続しようとした。 「こうすれば、分かっていただけますか」僕が、ケーブルを接続する前に、ミズホはナイフを取り出して、人指し指の先に傷をつけた。 「っ痛・・・!」ミズホは顔をしかめた。  そして、指からは血が溢れ出してきた。しかし、その血は真っ白だった。 「これで、お分かりになったでしょう。私に流れる血は、ただの酸素溶液、人工血液です」ミズホはそう言うと、指をしゃぶった。  アスカの動きが止まった。 「アスカさんっ。アスカさんっ、大丈夫ですか。出来れば、絆創膏が欲しいんですけど」  なおも、ミズホは呆然とするアスカに言った。 「おーい。戻ってきてくださいよー」ミズホは、アスカの顔の前で手を振っている。 「はっ!一瞬、気を失っちゃったよ。いけね、いけね。あっ、絆創膏ね。はいはい」アスカは絆創膏を探した。 「アスカさん、本当に大丈夫ですか?」僕は言った。 「今や、火星にも植民をしようっていう時代だもんね。感情があるアンドロイドくらい、いてもおかしくないか・・・。いや、おかしい!」    アスカは絆創膏を差し出しながら言った。 「あなた、サイボーグでしょう。脳以外は機械って言う。だから、極秘なのねえ。以前、大事故にでも遭ったのかしら?」 「いや、違いますよ。彼女の生体脳は、遺伝子混合とクローニングで出来た物で、純粋な人間の物では・・・」  僕がそこまで言うと、ミズホがさえぎって言った。 「じゃあ、サイボーグでいいじゃないですか。アスカさんは、それで納得しているんですから」心無しか、ミズホはうれしそうだった。 「さあさあ、お二人さん。話しが解決したところで、シャワーでも浴びたら。あと、着替えた方が良いわね。ナオト君はまだしも、彼女、名前何だっけ。とにかく、あなたの方は服装が怪しいよ」アスカは言った。  そうなのである。急いで出てきたので、僕はチノパンにセーター、それに私物のフライトジャケットと言う格好だったが、ミズホは私服を取りに行く時間が無かったので、自衛隊の制服の上に、自衛隊のフライトジャケットと言う格好だったからだ。 「ミズホです。そうですよね。フライトジャケットはともかく、制服はちょっと」ミズホは自分の格好を見て言った。 「じゃあ、私の服を貸してあげる。何が良いかな」アスカはクローゼットをあけ、探しはじめた。 「そうだ、ナオト君もシャツぐらい洗ってあげるから、上だけ脱いで。それからシャワー、浴びなよ」 「わかりました。じゃあ、脱ぎますね」  僕は、上半身だけ裸になった。胸には、僕の宝物であるミフユの形見があった。  突然、ミズホが立ち上がって、僕の十字架のネックレスに触れた。 「どうしたんだい、ミズホ。」僕は尋ねた。 「これ・・・」ミズホは、ネックレスを握りながらうつむいた。 「ああ。これは友達の形見だよ。今までしまってあったから、初めて見せるね」  僕は驚いた。ミズホの肩が震えていたのである。泣いている!? 「あれ?なんで、私泣いているの?分からない・・・」ミズホは袖で涙を拭った。 「何故か、とても懐かしい感じがするの。遥か昔に失った、大切な何かを感じるの」ミズホは十字架を握っている手を、額にあてた。  十字架を見て涙するとは、いったいどうしたのだろうか。記憶回路の故障か?それとも、形而上的な何かか? 「いくら、身体が機械だって言っても、女の子だもんね。泣きもするわよ。昔、好きだった人にでも十字架のアクセサリーを贈ったことがあって、それを忘れちゃっているんじゃない?大事故にあって、記憶を失ったんだよ、きっと」  アスカはミズホが大事故にあって、身体が機械になったと信じ込んでいるみたいだ。 「私が、女の子?好きだった人に贈り物をした?」ミズホは真っ赤にした目をアスカに送った。 「そうよ。見れば分かるじゃない。あなた、女の子でしょ。そりゃあ、不幸にあって、身体は変わったけどさ。でも、今じゃ人工義肢も発達していて、使ってる人も多いもんね。心は生身なんだから、あなたはれっきとした女の子よ。しかも、魅力的なね。女の子が恋をしたことが無いなんて、おかしいわよ。どう考えても」  アスカはもうミズホを旧来の友人の様に扱っている。世の中の人々がみんなこの様に考えてくれれば、ミズホは処分されなくてすむのに。 「さあ、さあ!シャワー浴びてきなよ。ナオト君」突然アスカはそうせかした。 「いや、先にミズホが入ったほうがいいよ。風呂は落ち着くし」僕は、言った。 「それもそうね。じゃあ、ミズホちゃん、先に入ってよ。着替えは用意しておくわ」アスカは着替えを用意しはじめた。 「分かりました。では、お先に・・・」ミズホは、すっと立ち上がり、バスルームに行った。  僕はその姿を目で追った。 「ナオト君。覗こうとしてるでしょー。いやだなー。あっそれとも、もう、覗くなんて事はしなくても良い関係とか」アスカはニヤニヤいやらしい笑みを浮かべて言った。 「そっそ、そそそんなわけないでしょ!!」僕は、焦った。 「その焦りよう、怪しいなー。このこのっ」アスカは、僕を肘でつついた。 「やめてくださいっ。アスカさんっ!彼女はただの友達ですから・・・」  そうだ、友達の線を越えてはいけないのだ、と僕はあらためて思った。 「えーっ。そうかなああ。ただの友達の為に、逃亡者になるのお」  アスカは、なおもからかった。 「でも、いいよなあ。ミズホちゃんには、こんなにも想ってくれる人がいて」  僕は、アスカのその言葉に反発しようとした。その時、 「機械なのに・・・」  そう、アスカがつぶやいたのを聞いたような気がした。 * 「さて、着替えも終わったし、行くとしますか」アスカは、はりきって言った。 「あのお、アスカさん。行くとしますかって、どこに?」僕は、何を言っているのか分からず、彼女に訊ねた。 「あんた、バカねえ。あなたたち逃げ回ってる最中でしょ。逃げる宛があるから、車を借りに来たんでしょ?」アスカは当然のことを言っているように答えた。 「ええ。とりあえず、地方に一時隠れてから、偽造パスポートで台湾かロシアにでも逃げようかと」僕は、何気なく答えた。 「なにそれっ!まるで、本当のスパイみたいね!!偽造パスポートなんて手にはいるの?」アスカは、信じられない様子だ。 「簡単ですよ。主婦を使って正規のパスポートを入手し、それのデータを書き換えて売っている偽造団があるんですよ」 「そんな情報どこで手にいれたの!」アスカは尋ねた。 「ハッカーズBBSです」僕は、さらりと答えた。 「は?」  アスカは頭の上に?マークを浮かべた。どうやら、彼女にとっては、新出単語だったらしい。 「ハッカーズBBS。それは、ブランクと呼ばれる市民登録をしていないハッカー達がやっている、非合法なクローズドネットワークのことです」突然、ミズホが会話に割り込んだ。 「ナオト君。見かけによらず、すごいことやってるのねえ」  アスカは感心して言っているようだ。 「そんなことないっす。はは・・」僕は、頭を掻いた。 「で、パスポートを手にいれるまでの潜伏先は決まっているの?」アスカが尋ねた。 「いや。全然」  その瞬間、ずっこける音がした。しかも、二人分である。 「全然って、あなた、パスポートのことまで考えておいて、なんで一番大切なことを考えてないのよ!!!」 「そうですっ、今の言葉で、これからのことが、すごく不安になりました!!!」  僕は、アスカ、ミズホの二人につっこまれた。 「まあまあ、急いで逃げてきたんだし。ねっ」僕は、ごまかした。 「ねっ、じゃないわよ!本当にっ!こんなんで、一緒に逃げたとしたら確実に捕まるわねっ!!」アスカはそう言った。 「へっ?一緒って?」今度は僕の頭の上に?マークが浮かんだ。 「鈍いわねえ。私も一緒に行くって言っているのよ!こんな、面白い話しに首をつっこんだんだから、最後まで見なくちゃね」アスカはウキウキしながら言った。 「えーーーっ!!!アスカさんもっ!!!」僕とミズホは驚いた。 「良いじゃない。ねっ。ほら、私の家、北海道に別荘があるじゃない。だから、そこを貸してあげたいのよ。ちょうどいいでしょ」アスカは僕の顔をじっと見て言った。 「何故、そこまで・・・」僕は尋ねた。 「何故かしらねー」アスカはそう言って言葉を濁した。 「あなたたちだって、隠れ場所が欲しいでしょ?」 「ええ、そりゃまあ」僕は、目をそらしながら答えた。 「だったら、家の別荘を貸して上げるって言ってるんだから、良いじゃない」アスカは僕にせまった。 「本当に、良いんですか?」 「あったり前よー。私とナオト君の仲じゃない!」アスカは、さも当然と言うかのごとく、そう答えた。  (僕とアスカさんの仲ねえ)僕は、ぼんやりとそんな事を考える。 「どっちにするの!!うざったいわね。行くに決まりね!!それで良いわね、ミズホちゃん!!」 「ええ、まあ・・・」 「決定!じゃあ、今が・・・3時だから、6時に出発ね!!」    「はあ・・・分かりました・・・」  僕とミズホは、力なく返事した。 「どうしたのっ!あなたたちが主役なのよ!!」  アスカは、何故か張り切っている。 「本当に、良いんですか・・・?」僕はこれからの事が急に不安になり、アスカに訊ねた。 「えっ、なーに?」  アスカはもう身支度を始めていて、人の言うことなんか聞いてないようだ。 「はあ・・・」  僕と、ミズホは長いため息をした。 *  僕らは少し仮眠をとってから、マンションの駐車場に向かった。  ミズホはアスカから借りたジーパンとシャツを着て、その上にFBIと書かれたウインドブレーカーを着ていた。アスカは昔から僕と同じ様な格好をしていて、俗に言う女性らしい格好をしているところ見たことがない。  エレベーターに乗りつつ、僕は言った。 「ミズホ、アスカさんの服、小さくないか?」  どう見ても、ジーンズの裾が短いのである。 「うるさいわねえっ!なんで、身長が同じなのに、私のジーンズがあわないのよっ!!」アスカは、むっとしているようだ。 「いや、別にアスカさんの足が短いとか・・・」  キッ!。アスカが、僕をものすごい形相で睨んだ。 「アッ、アスカさん。車、なんでしたっけ」僕はアスカが車好きなのを思いだし、話を変えた。 「よくぞ、聞いてくれました!!あの、ランチア・デルタよ!!」 「えっ!エンジン車ですか!!しかも、20世紀の!!!」  僕は、心底驚いた。今どきエンジン車を購入するなんて、すごくマニアックなことだ。エンジン車は条例により走れない地域があるのだ。しかも20世紀の物であるから、そのマニア加減と言ったら・・・。 「よく、手に入りましたね!!すごいですよ!!」 「でしょ。苦労したんだー。値段は、意外と安かったけどね」  エレベーターが1階に着いた。 「ちょっと、待ってて。誰か見張ってないか、見てくるわ」  アスカは、ミズホと同じ様な格好(ウインドブレーカーがCIAだった)をして、駐車場まで走って行った。 「でも、良かったですね。車を貸してもらえて」  ミズホは、手のひらに息をかけながら言った。 「そうだよな。でも、別荘に行ってからどうしようか」 「その時は、その時ですよ。今は、北海道に行くことだけを考えましょ」 「ナオト君。ミズホちゃん。OKみたいよ」アスカが戻ってきて、小声で言った。 「じゃあ、行こうか」  僕らは、車に乗り込んだ。 「どう、行きましょうか」僕は、後部座席からアスカに言った。 「高速に乗るでしょ?」 「アスカさんだめですよ!高速には警察の目がありますよ!」僕は反論した。 「そうねー。とすると、国道もだめかな?」 「どうでしょうね?」僕は首をかしげた。 「とりあえず、国道に行ってみましょうよ」アスカが、言った。 「そうっすねえ」  アスカが車を発進させた。 「あのー」ミズホが話しに割り込んできた。 「どうした?」 「警察の無線を傍受すれば良いのではないかと・・・」 「そうよっ!頭良いー!ミズホちゃん!!」アスカは喜びの声をあげた。 「出来ませんよ。警察無線はディジタル変調ですから。受信しても内容が分かりませんよ」僕は首を横に振りながら言った。  アスカが残念そうに、えーっ、と声をあげる。 「大丈夫ですよ。私のシステムにはそれぐらい出来ます」 「えっ、そうだったっけ?」僕は、慌ててノートパソコンでミズホのスペックを調べた。 「あっ、本当だ!ディジタル解析が出来る!!すげー!!!」 「すげーって、今まで知らなかったんですか?」 「うんっ、全部の仕様は、まだ完全に把握してなかった。でも、受信機は?」 「はあー。それも付いてますよ」 「えっ、なになに、『無線通信は長波帯の10kHzから極超短波帯の120GHzまで受信可能』、おーっ、すごいすごい!」 「感心するのはいいから、傍受してもらいましょうよ」アスカが、ハンドルを握りながら言った。 「えーっと、分かりました。警察が使用しているバンドをスキャンします・・・」ミズホは、黙って無線をチェックしはじめた。  車の窓からは夜から昼に変わる時の、一日で夕焼けと同じぐらい素晴しい空が見えた。僕らの車以外に、走っている車は無い。 「スキャン完了しました。現在、この近辺の国道、及び首都高速には検問は無いようです」ミズホは、そう言ってから、窓の外を見た。彼女にも外の美しさが分かるらしい。 「じゃあ、15号線に乗りましょう。高速は、用心のため乗らないほうが良いかも知れないし」アスカは、そう提案した。 「そうですね。とりあえず、15号線に乗りましょう」  国道に乗ってから10分、車は多摩川をさしかかった。東京都に入るのである。  もう太陽はかなり昇っており、多摩川を照らしていた。水面に反射する光が、どこか幻想的だ。 「わあ!光が反射していて、とてもきれい!多摩川は東京湾につながっているんですよね」ミズホが目を輝かせて言った。   「そうだよ。そう言えばまだミズホは海を見たことがなかったね」 「うんっ。一度行ってみたいなあ。泳ぐのは無理だけど」  そう、ミズホの身体は体積の割に重量があるので、泳げないのだ。 「はは、じゃあ今度東京湾なんかじゃなく、きれいな海に連れて行ってあげるよ」 「わあ!楽しみだなあ!」ミズホが子供のようにはしゃぐ。 「ナオトく〜ん。確か前に私が海に誘ったときは断わったのにね〜」アスカがニヤニヤしながら言った。 「まっ、まあいいじゃないですか!ははは・・・」 「ところで、アスカさんと、ナオトさんは仲がよろしいようですけど、どんな関係なんですか?」ミズホが尋ねた。 「わたしとナオト君の仲?そうねー、大学時代の先輩、後輩って言う間柄だけど、よく飲みに行ったり、遊びに行ったりしたわねー。ほら、ナオト君って、結構シャイでしょ。だから、わたしが酔った勢いで抱きついた時なんか、反応が面白かったわよー」アスカはミラー越しに、ちらっと僕を見た。 「何言ってるんですか。あの時は抱きついただけでなく、僕の胸におもいっきり吐いたでしょっ!!あと、他にもアスカさんちで飲んだ時、アスカさんが酔って僕の貸したM16の電動エアガンを持って、同じアパートの、ええと、そうだっ佐々木さんだ。とにかく、彼の家に一緒に乗り込もうと言う事になって、二人で行ってみたら、他人の家で警察を呼ばれそうになったり、あと突然、飲みに行った帰りに路上で寝だして僕が家まで送っていったり、そんな思い出ばかりじゃないですか!!」 「昔のことは、忘れたわ〜」アスカはごまかした。 「へー。仲が良かったんですね。二人とも。なんかうらやましいなー」ミズホはそう言った後、切なそうな顔をした。 「そう言えば、ナオト君て頭が良くて、色々な事を知っていたし、やさしかったから、そこらにいるバカ男より何倍もカッコ良かったな。まあ、マニア君だったけどね」アスカがそう言うと、僕は何となく恥ずかしくなり、顔を赤くした。 「ほら、そう言うところが良いのよ」 「そうなんですよね〜」ミズホはアスカの言った事に同意した。 「二人して、すぐからかうんだからなあ」僕は頭を掻いた。  車の中には、外と同様に心地よい空気が流れていた。この瞬間が永遠に続けばいいのに、と僕は思った。 「いけないっ!!」ミズホが突然叫んだ。 「どうしたんだ!!」 「この先、1キロの所で、警察の検問があるみたいです!!さっきは県警の無線しか傍受してなかったから気が付かなかったんです!」  良く見ると、前方に不自然な渋滞が出来つつあった。 「どうする!ナオト君!!横道に入る!?」アスカはこちらを見て言った。 「いや、パトカーからは、もう見える範囲にいますし、突然曲がったら怪しまれるでしょう。何とか、ごまかしましょう」僕はごくりと唾を飲み込んだ。  あと、検問まで500m・・300m・・100m・・・。入った! 「どうしたんですか?」アスカは窓から警官に声をかけた。 「いやあ、すみませんね。こんな時間に止めちゃって。現在、なんでもスパイ容疑の容疑者が逃亡中なんで、検問を実施しているんですよ。免許証見せてもらえます?」警官は丁寧な応対をしていた。  僕とミズホは、後部座席で止まらない震えをどうにか止めようとしていた。 「早くしてくれませんか。これから、病院に行くんです!!」アスカは声を荒げて、警官に言った。  警官が走りよってきた。 「どこか具合が悪いのですか?」 「ええ、後ろの女性がね」 「どこが悪いんです?」警官は、なめるように僕らを見た。  僕とミズホは抱きあい、顔を伏せた。 「ええと・・・」アスカは困ってる様だ。 「う、産まれちゃう・・・」突然、ミズホは呻くように言った。  一瞬、僕とアスカは、へっ?、と言う顔をしたが、すぐにアスカは警官にこう言った。 「そ、そうよ!産婦人科に行くんだから!!」 「そっ、それは、とんだ失礼を!パトカーで病院まで先導しますっ!!」人の良さそうな警官はそう言うと、免許証を返しパトカーの方へ向かった。  まずいっ!これは非常にまずいっ!! 「あっ、おかまいなく!ちゃんと行けますから!!」  さっきの警官が、別の警官になにやら話しかけられている。その瞬間、二人の顔色が変わった。やばいっ、無線で応援を呼んでいるぞ!! 「どうも、免許証の照会で、アスカさんがナオトさんの知り合いだって分かったみたいです!で、後部座席に、指名手配犯に似た風体の二人が乗っていた訳だから、完全にばれましたね!!!」ミズホがそう言うまでもなく、アスカは急発進させて、パトカーと警官の横を猛スピードで逃げ去った。 「どうしようー!!アスカさん!!」僕とミズホは叫んだ。 「大丈夫!!!ランチア・デルタが、たかが電動のパトカーに負ける訳ないじゃない!!」アスカは得意満面に、そう言い、ギアをシフトしてアクセルをぐっと踏んだ。そして、あろう事かダッシュボードに付いた怪しげなスイッチを押そうとした。 「アスカさん!まさか!!」 「そう、そのまさかよ。ほれ、ポチッとな」アスカはスイッチを押した。  そうなのである!そのスイッチはニトロのスイッチだったのだ!ニトロはその性質上、燃焼室に噴射するとエンジンの回転数が激増する。  「うわあーーー」僕とミズホは叫んだ。  ものすごい加速力である、シートに身体が沈む。 「アスカさん!!スピード出しすぎ、出しすぎ!!170キロをオーバーしてますよ!!」僕は、脂汗をかきながら言った。 「こわいよー!!!」ミズホが叫んだ。 「何言ってるの、あなたたち!飛行機に乗ってる時はマッハを超すんでしょ!」 「そりゃまあ、そうですけど!!」僕は、そう大声で答えながら、後ろを見た。パトカーは追い付いてきてない。 「アスカさん!パトカーを振り切ったみたいだから、スピード落として下さい!!」 「分かった。分かったわよ。落とせばいいんでしょ、落とせば!」  何とか、車速は100キロを切り、僕ら二人は安堵の息を洩した。 「アスカさん、無茶するんだから!!」僕は、アスカを非難した。 「まあ、まあ、良いじゃない。パトカーを振り切ったんだから」 「あのお、良くない知らせなんですが」ミズホがおどおど言った。 「何だ?良くない知らせって?」 「今、警察無線を傍受したら、一台のパトカーが私たちの近くにいて、こちらに向かっているんですけど」 「どっちから!」 「反対車線です」  しまった!パトカーは一台だけではないのだ。 「あっ!ラッキー!もう少し行くと、住宅街に通じる道があるじゃない!そこに出ましょう!」アスカがカーナビを見ながら言った。 「ミズホ、そっちの道には警察はいるのか?」 「いえ、いないと思います。ただ・・・」ミズホが口ごもった。 「ただ?」 「その住宅街が、エンジン車禁止区域なんですよ。通常、禁止区域にエンジン車が入ると、強制的にエンジンが止められてしまうので・・・」 「なんだ、安全運転装置の事?あんな警察の思い通りになる、ダメ装置はずしちゃったわ」  アスカはそう言うが、安全装置を外すということは違法で、見つかると罰金を払わなくてはいけないのだ。そう言えば、警察はその安全装置をコントロールして逃走する車を強制的に止めることが出来るのだが、さっきは止められなかったしなあ。 「でも、アスカさん、やばいんじゃないですか?」僕は尋ねた。 「平気よお。今は外してるけど、いつもは、付けてるもん」 「どうやって?」僕は聞いた。 「安全装置の中のROMを書き換えたものを、載っけておいてプログラムで切り替えるのよ!!」アスカは得意そうに言った。 「すごい!!」僕とミズホはアスカを尊敬の眼差しで見つめた。するとアスカの鼻はますます高くなって行く。 「パトカーが前方458mまで近づいてきます!交差点まで、あと257m!!」ミズホが突然表情を険しくした。 「よっしゃあ!速度をあまり落とさずに曲がるわよ!!」アスカは目をギラつかせながら言った。 「どうやって、曲がるんです!無理ですよ!!」僕は、嫌な予感がした。 「ドリフトよー!!」 「やっぱりーーーー!」  昔に一度、アスカがドリフトをやりたいと言ったので、付き合ったら見事にスピンしてぶつかった、と言う苦い経験があるのだ。その時、僕は肋にひびが入った。  交差点まで、あと50mぐらいしかない。どんどん、パトカーが迫ってくる。どうか、成功しますように!!! 「いくわよー!!!」  アスカは、ハンドルを切りクラッチを切って、サイドブレーキを引いた!! 「アスカさんっ!!!テールが流れてる!!早く、カウンターをあてて!!」僕は叫んだ。 「分かってるわよ!!」  キュワワーーー!!キュルキュル!!  アスカは見事なアクセルワークで、なんとか成功させた。 「すっごーーい!!わたしって、天才ーーー!!!」アスカは歓喜の声をあげた。  後ろを見ると可哀想な事に、パトカーが横転していた。慌てて車内から抜け出す警官たち。彼らが呆然とする前で、パトカーはあっさりと炎上した。 「ふう。何とか、逃げ切りましたね」僕は、ため息をついた。なんだか、最近ため息をついてばかりいる気がする。 「ところで、今、私たちはどういう報道をされているんでしょうか?」ミズホが心配そうに僕を見つめる。それもそうだ、アスカさんの事も知られたし・・・。 「あと、40分ぐらいでニュースをやるから聞いてみよう」僕はミズホの不安を少しでも打ち消すよう、彼女の頬を軽く撫でた。 「そうですね」ミズホは嬉しそうに目を細めながら返事をした。 「あっアスカさん。この調子じゃ、大きな道路は封鎖されていると思うので、街中を走っていきましょう」僕はミズホから手を離し、運転席のアスカに向かって提案した。 「いやー、さっきの私ってば、すごかったでしょ」アスカは僕の話しを聞いてなかったようだ。 「ええ。すごいですよ、アスカさん。どこで、覚えたんですか?」 「ゲーセン」 「えっ」僕は、耳を疑った。 「だから、ゲームセンターよ」アスカは、さらりと言った。 「・・・(よく、死ななかったなー。僕たち)」 「どうしたの?」アスカは不思議そうな顔をして僕の方を、ミラー越しに見た。 「いえっ、別に。ところで、この様子では、大きな道が使えないのではないかと・・・」 「ええ。もちろん、そうだわ。だから、一般道を使っていきましょ。時間かかるけど」 「そうですね」僕とミズホは同意した。  それから、僕らは30分ほどカーナビを見ながら、ああでもない、こうでもない、と話し続けた。その結果、北海道へは日本海側を回り、時間をたっぷりかけて行くことになった。警察の目をある程度ごまかすためだ。 「そろそろ、ニュースの始まる時間ですね」ミズホは突然言った。彼女は、体内に時計を持っているので時計を見る必要がないのだ。 「そうね・・。ラジオ、つけて見ましょう」アスカはPCMチューナーの電源を入れた。 『・・・男子高校生が散弾銃を電子着火で使用し、ホームレス63人を射殺した事件について、裁判史上初の未成年に対する死刑執行の可能性ありとの報道に、法務省はコメントを控えていますが、早くも人権保護団体が・・・』 「いやですねえ、人権人権と騒いでいる場所で、本当の人権擁護ってのは見たことないですからね。被害者には人権が無いんですかね」僕は、馬鹿にするような口調で言った。 「しょうがないよ。盲目の正義に囚われてるんだから。あんな事言っていても、自分の家族が犠牲になったらきっと、あいつを死刑にしろ、って言うもん。きっと」アスカは、さも当り前かのように言った。  そう話している僕らを、ミズホはなんとなく寂しそうに見ていた。 「同じ人間なのに、何故殺し合うんでしょうか・・・」ミズホは言った。 「なんでだろう・・・」僕らには的確な答えが分からなかった。多分、この答えは永遠に出ないだろう。 『次のニュースをお伝えします・・・』アナウンサーのその声によって、僕らはラジオに意識を向けた。 『防衛庁職員と自衛官が逃亡している事件の続報をお伝えします。24日午前7時過ぎ、大田区でそれらしき二人組みを乗せた車を発見したと、警視庁は発表しました。詳細はまだ不明ですが、警視庁によりますと犯人らは、横浜市に住む女性会社員『中山 アスカ』さんを誘拐した上、中山さんの車を使用して逃亡しているとのことです。警察では、いっそうの・・・』 「あははっ。わたしが誘拐された?傑作だわ、こりゃ」アスカは呆れたように言った。 「また、罪が増えたな・・・」僕は、うつむいた。 「そうですね・・・」ミズホも、表情を暗くしている。  それから数時間、僕らは色々な話しをした。最近、凝っているものについてや、今やっている仕事について。また、昔を懐かしむかのように、各々の思い出話などをした。ただ少しかわいそうだったのは、ミズホの思い出話は、皆ここ1年間の物事だけであった事だ。  「そう言えば、ミズホちゃん。さっきは驚いたわ。突然、産まれそう、って言うんだもん」アスカはミズホに言った。 「いえ、前にそんなシーンをビデオでみたから・・・」 「ビデオって、何の?」僕は尋ねた。 「ほら、あれですよ。ナオトさんが借りてきた、SFの」 「あーっ、あの超B級なやつね。宇宙人が地球を占領するとかどうとか・・・」 「二人とも仲良いわねー。二人して、ビデオとかみてるの?でも、B級のSFをみせるところが、ナオト君らしいわね。わたしに初めて貸してくれた、お勧めのビデオも『未来世紀ブラジル』だったし」アスカは、懐かしそうに言った。 「それにしても、お腹空きません?」僕は、二人に言った。 「そうね、お昼回ってるし。レストランにでも行って、見つかったら大変だから、ちょうどあそこにあるマックで何か買ってくるわ。何がいい?」アスカは車を止め、僕らに聞いた。 「僕は、ビッグマックにコーヒー」 「私も」  ミズホは生体部品に栄養を補給するために消化器を持っているのだ。なので、人間と同じようなものを食べ、栄養とする事ができる。しかし、あくまでも簡易的な消化器であるので効率は悪く、あまりにも堅いものは食べられない。 「OK!」アスカは財布を手に取ると、車から降りて走って行った。 「そうか、今日はクリスマス・イブか・・・」僕は電球の飾られた街路樹を見て言った。今まで忘れていたが、今日はイブであった。去年のイブは、まさか自分が次のイブにこんな目にあっているとは、想像だにしなかった。 「あの、クリスマスってイエス・キリストの降誕祭ですか?」ミズホが闇のように深い黒色をした瞳を僕に向けて言った。 「ああ、そうさ。まあ、もっとも日本じゃ本来の意味より、恋人同士が一緒に過ごす日という感じがするけどね」 「へえー。そうなんですか・・・うらやましいなあー」ミズホが、街路樹を見ながら言った。  うっ、うらやましいっ!?まさか、恋人と一緒に過ごすという事がか!? 「いい一緒に過ごすとしたら、だっ、誰と過ごしたいの?・・・」 「それは・・・」ミズホは顔を赤くして、うつむいた。  ガタッ!  僕と、ミズホは物音がする方に顔を向けた。 「おっと、いけねえ」  そこには、ニタニタ笑っているアスカがいた。 「まあまあ、お二人さん。続けてよ。興味あるわー」 「からかわないで下さい!!アスカさん!!」僕とアスカはそろって言った。 「まあまあ。冷めないうちに食べよ!」 「あっ!」突然、ミズホが声を上げた。 「どうした?」 「思考・判断システムにエラーが発生しました!システム稼働率82・42%!」  ミズホのシステムは稼働率85パーセント以上が正常なので、少々まずいな・・・ 「今、端末を接続するから、ケーブルつなげて」僕は、ノートパソコンの電源を入れた。  ミズホが首の後ろと腰に光ケーブルをつなげ、僕に渡した。 「よし!コネクト!」  パソコンが起動し、ソフトを読み始めた。すると・・・   「ピー!内蔵バッテリーの電力が低下しています」パソコンが、そう無情にも告げた。 「あ、あれれ?しまった!充電しなきゃ!!と言っても、車には電源ないし・・・」僕は困った様に言った。 「シガープラグは?」アスカはシガープラグを指差した。 「ダメなんですよ。12ボルトではないんですよ、このパソコンの電源。コンバータも忘れたし」僕は両手を広げながら答える。 「じゃあ、まだ早いけど、今晩泊まるところを探す?」 「そうっすね、じゃ、ホテルでも探しますか」 「そうねえ。でも、今日、開いている部屋なんてあるかしら」アスカが腕を組みながら悩み込む。 「それも、そうっすねー」僕は、頭を掻きながら考えこんだ。 「あっ、あそこにホテルがありますよ」  ミズホが指した方には、派手な電飾の、見た瞬間に怪しいと分かるホテルがあった。 「あっ、あのねえ」僕は呆れたように言った。 「えっ、何でです?開き部屋ありって書いてありますよ?」ミズホは、きょとんとしている。 「いくらなんでも、あそこに3人で泊まる勇気はないわ」アスカも呆れている。 「そういうものなんですか?」 「そういうものなの!!」僕とアスカは声をあわせて言った。 「分かりました・・・」  ミズホは、あの手の場所を知らないのだろう。僕が教えた事はないし、教える奴もいないだろう。 「仕方ないから、大宮駅周辺のビジネスホテルを探しましょう」 「そうしましょう」僕は同意した。 「じゃ、わたしがインターネット上で探します。アスカさん、この車に回線はありますか?」ミズホは、首の後ろの光ケーブルを握りつつ言った。 「あるわよ。カーナビにつながっているはずよ。これは、確か端末内蔵だからOKだと思うわ」アスカは顎で、カーナビを指した。 「じゃ、失礼して・・・」ミズホは座席から腰を浮かせて、カーナビの端子盤を開けた。 「はっ、早くしてくれよ!」僕は顔を真っ赤にした。ミズホの腰のあたりが、ちょうど目の前にくるのだ。 「良いじゃないですか。わたしとナオトさんの仲でしょ」 「見せつけてくれるねえ。お二人さん」アスカがからかった。 「そんなんじゃないですよ。アスカさん!!ったく、ミズホもミズホだよ・・・」  僕が、ぶちぶち文句を言っていると、ミズホは突然声を上げた。 「あっ!困ったな・・・。ケーブルの形状が合わないや。ナオトさん、光ケーブルから同軸への変換器ありますか?」 「えーっと・・・。確かあったはず・・・」僕はノートパソコンの入ったリュックの中を、ごそごそ探した。 「あった!あったよ!光ケーブルから同軸に変える変換器!」僕は、その真っ黒な小箱を、ミズホに渡した。 「ありがとう!これで、つなぐ事が出来ます!」  ミズホは、変換器を受け取ると首から出ている光ケーブルをそれにつなぎ、変換器から出ているケーブルをカーナビにつなげた。 「通信システム、オールグリーン。接続を開始します。接続レベル1・5、通常回線です。通信速度は1Gbps」ミズホはネットワークダイビングを始めた。 「便利ねえ。初めて見たわ、ネットワークダイビングなんて。脳に回線をつなげるから、一般人には出来ないわよねえ」アスカが感心したように言った。 「いや、ヴァーチャルシステムを使えば、疑似的に出来ますよ。脳に回線をつなげるには厳しい試験があるから、やってる人は皆、学者やシステムオペレーターだけですけれど」 「いや、でも直接回線をつなげているって、すごくない?ネットワーク上の物事が完全に五感として感じるんでしょ」 「そんなに、直接つなぎたかったら、試験を受けるか、モグリのサイバネティック医師の所へ行けばどうですか?」僕はアスカをからかった。 「じょーだんじゃないわよ。モグリの医師の所になんかいったら、精神に異常をきたすわ!!」  そうなのである。脳に直接電極を埋めるのだから、ちゃんとした補助機器も埋め込まないと、外来ノイズで脳がおかしくなってしまうのだ。 「ナオトさん、アスカさん見つかりました!!場所は、大宮駅の近くで、料金は一泊2万5千円です。部屋はツイン一つしか開いてませんけど。しかし、なんで今日はこんなに混んでるんでしょうか?」ミズホは、僕らに言った。 「うーん。まあまあね。でも、本当に他に部屋開いてないの?」 「ええ、駅周辺では、そこだけですね」 「しょうがないな。そこにしましょう。僕は、床で寝ますから」 「大丈夫だと思うけど、健全な男女が同じ部屋で寝るというのもねえ・・・」アスカは僕の方を見た。 「そ、そそそそんなことは・・・」僕は焦った。 「ナオトさんは、そんな人じゃありません!!」ミズホが、プウっとふくれて言った。 「冗談よ!冗談!私だって、ナオト君が、そんな卑怯な事をするとは思ってないわ」 「では、そこに行きましょうか」僕は二人に提案した。 * 「まいったよなあ。一泊2万5千円ってのは、一人あたりだなんて」僕は、ぶつくさ言った。 「本当よねえ。でも、簡易ベッドを入れてもらえたから、良かったじゃない」 「まあ、そうですけどね」  僕らの部屋は、21階の2134号室だった。ボーイは僕らの荷物を運ぶと、チップを受け取り帰って行った。 「じゃあ、チェックしてみようか、ミズホ」僕は、ノートパソコンをコンセントにつなぐと、ミズホの脳からのコネクタに光ケーブルをつなげた。  パソコンはいつもの起動音を発し、しばらくすると見慣れた画面が現われた。 「えーっと。思考・判断システムのチェックと・・・」僕は、アイコンにポインタを合わせ、ダブルクリックした。 「なになに・・『記憶システムに、未知のニューラルネットワークが発生しつつあります。22時間以内に、システムをオールリセットしないと、現在の記憶が失われる可能性があります』だって。なんだこりゃ」 「どういうこと?チンプンカンプンだわ」アスカは頭の上に?マークを無数に浮かべた。 「要するに、ミズホの脳の中に、別の記憶が発生しつつあるって事です」 「それって、ミズホちゃんの記憶って事?それとも、他人の?」 「さあ、そこまでは・・・。どっちにしろ、システムをオールリセットしたら、今のミズホのパーソナリティが消滅してしまう!なんとか、除去しないと」    突然、ミズホが口をはさんだ。 「あの、最近わたし変な夢を見るんです。幼いわたしが、父や母らしき人と、草原で遊んでいるんです。他には、ナオトさんが出てくる夢もよく見るんですが、奇妙なことにナオトさんが若くて、学生の様なんです。これと、その別の記憶って関係あるんでしょうか?」 「それは奇妙だな。だいたい、ミズホが生まれてから1年だし、そもそも父や母なんて存在しない。僕がよく学生時代の事を話したり、家族の事を話したから、そんな夢を見るのかなあ。僕の学生時代の夢ってどんな内容の?」 「えーっと、たしか、自分のやってるバンドがどうとか・・・」 「・・・!!!」僕は心底驚いた。僕がバンドをやっていたなんて、一言も話していない! 「ナオト君は、ギターがうまかったのよねー」アスカがそう言ったが、僕のバンドはコンピューターによる打ち込み系のバンドだったから、ギターはいない。アスカは知っていて、わざとミズホにそう言ったのだ。 「おかしいですね・・・。夢の中でナオトさんは『ギターの練習なんて、面倒くさくてやってられない、だから打ち込み系のバンドをやってる』とか言ってましたけど」 「・・・!!」僕とアスカは呆然とした。何故、ミズホは生まれる前の記憶を持っているんだ? 「とっ、とりあえず、その問題の記憶の一部を取り出して、パソコン上で見てみよう」  パソコンは画面に、『データ受信中』と表示したまま沈黙してしまった。 「どうしたの!これ!」アスカが騒いだ。 「あまりにも、データ量が多いから時間がかかるんですよ。30分ぐらいかな」 「性能、悪いんじゃない?そのパソコン」アスカがパソコンのディスプレイを叩きながら言った。 「そんなことないですよ!CPUはバイオチップの超並列タイプだし、シリコンディスクも12テラバイト入ってます!」僕は反論した。 「じょ、冗談よー。まあまあ、怒らないで、ねっ」 「ところで、ミズホちゃん。何か他に変な事は無いの?」アスカはごまかす為、話を変えた。 「そうですねー・・・。最近、食べ物に対する好みが出てきましたし、他には、以前は興味が無かったのですが、ファッション雑誌なんかを読むようになりましたね」  おかしな話である。本来、ミズホは戦闘以外には適さないシステムを積んでいるのに、最近は普通の女の子が好むような事ばっかりしている。やはり、感情が生まれたということか・・・。 「あっそうだわ!!そうよ、きっと!!」アスカが突然、手を叩いて言った。 「なにがです?」 「ミズホちゃん、きっと事故の前の記憶を取り戻して来たのよ!そうに違いないわ!!」  まだ、アスカはミズホがまるっきりの作り物だと、信じていないようである。 「そうですかねえ」僕は、アスカにこれ以上言っても、仕方がないと考え、適当に相槌を打った。 「きっと、そうよ!!」アスカは目を輝かせていた。 「とにかく、システムがエラーを出しているのですから、取り合えずは原因を探ったほうがいいですね」ミズホは言った。 「もちろん、そうだよ」僕は、ディスプレイを見ながら言った。  それから、しばらく三人はパソコンの前で待っていたが、あまりにも時間がかかるので、アスカは飽きたらしくテレビをつけた。 「おっ、天気予報をやってるわ」 『12月24日、今夜の天気です。今夜は寒気団が南下しますので、関東全域で気温が下がるでしょう。また気圧の谷が通過するので、雪が降る可能性があります。明日の天気は・・・』 「今年は、ホワイトクリスマスか・・・」僕は独り言を 言った。  最近では、めっきり年間の平均気温が下がったが、やはり、ホワイトクリスマスは珍しい。 「データ受信を終了しました」突然、パソコンが告げた。  僕らは、急いでディスプレイの前に集まった。 「じゃ、ミズホの記憶の断片をムービーとして見ますよ・・」  ごくり、と僕らは唾を飲んだ。  画面には、僕の学生時代の姿が映った。シンセサイザーをいじっている。 「今度の学園祭のライブ、観に来いよ。いつにも増して、頑張ってるから」  そこで、一つ目のムービーは終わった。  僕とアスカは愕然とした。 「いっ、今の映像、想像じゃ作れないわよね・・だって、画面の中で持っていたシンセサイザー、たしかナオト君の手製のやつで、売っていない物だもんね・・・」アスカは、ハンカチで汗を拭った。 「ええ・・・」僕も、噴き出した冷や汗を手で拭った。そんなばかな・・・。何で、ミズホがそんなことを知っているんだ? 「次のムービーを見ましょうよ」アスカが促す。 「行きますよ・・」僕がキーを押そうとしたら、突然、ミズホが叫んだ。 「危険が近づいてきます!!このホテルの周囲に、銃を持った人が大勢います!!!」 「何だって!?」僕とアスカは、身体をこわばらせた。 「確かに計6人の銃を持った人物が、エレベーターに乗ろうとしているようです。さっきから、このホテルの監視システムに割り込んでいたのですが、はっきりと確認しました!」  僕とアスカは急いで、逃げ出す用意をした。なかなかパソコンがしまえない。 「ええい!くそっ!!」僕は、ケーブルを無造作にリュックに入れた。 「ミズホ!逃げるルートはあるのか!?」 「ええ、作業員用のエレベーターがあります!」 「アスカさん!準備は良いですか!?」 「いつでも!」アスカは、本当に大切なものだけをカバンに入れたようだ。 「じゃあ、逃げよう!!」 「うん!」アスカとミズホは頷いた。 「では、部屋を出て右に曲がり突き当たりまで進みましょう!そこの近くにエレベーターがあります!」  しかし、本当に助かった。ミズホがホテルのシステムに侵入してくれなかったら、捕まっていたところだ。こういうところは、やはり戦闘用にプログラムされただけある。  僕は、そっとドアを開けた。人影は見えない。 「よし、誰もいないようだ。行くぞ!」  先頭にミズホ、次にアスカ、最後に僕の順で廊下を歩き始めた。三人とも息を殺して、足音をたてない様に歩いた。 「・・・!あの角の向こうから人が近づいてきます!金属反応から銃を持っていると思われます!!」ミズホが小声で警告した。  僕は冷や汗を流しながら、脚をガクガク震わせた。まずい!捕まる!  前のアスカも僕と同じぐらい緊張している。 「皆さん!壁によって!」曲がり角まで来て、ミズホはそう言った。  僕らは従って壁に身を寄せた。いよいよだ!  その人物が現われるまでの時間が、永遠にも続くかと思われた。  その時!  ゴキッ!! ドスッ!!    ミズホは角の向こうから現われた、黒いスーツを来た大男の顔面とみぞおちに的確にパンチを決めた。  男は何が起こったのか分からないまま、鼻血を出しながら気絶した。  その時、僕は確信した。絶対にミズホと喧嘩をするのはやめようと。 「顔に似合わず、すごい事するのねー。ミズホちゃん!!」アスカは感心したように言った。 「まさか戦闘用のプログラムが、こんなところで役に立つとは、思いませんでした」そう言いながら、ミズホは男の持ち物を探り出した。    男は38口径のオートマティック式の拳銃を持っており、他にも身分証らしきものを持っていた。  僕はそれをミズホから受け取り、丹念に確認した。 「なになに、内閣情報調査室調査員だって!!」 「完全にわたしたちは、国家を敵にしましたね・・・」ミズホが悲しそうに言った。 「わたしって、いったい何なのだろう?ただの狂った殺人機械なのかな・・・」ミズホは目を潤ませている。  僕はミズホの事を不憫に思った。国家のために創られ、必要が無くなったら国家の敵にされたのだ。彼女の存在理由とは、国家にとってその程度のものだったのか? 「ねえ。せっかくだから、この銃、持ってきましょうよ。使うかもしれないし。ミズホちゃん使えるでしょ?」突然、アスカが銃を拾って言った。 「いやです!人殺しの道具なんて持ちたくありません!!」ミズホは涙を流していた。  僕は、アスカの方を厳しい表情で見た。 「ごめん・・・」アスカはうつむいた。 「いいんですよ・・・」ミズホは涙を拭うと、そう言った。 「先を急ぎましょう」  僕らは、再び隊列を組んで進んだ。もう、エレベーターは見えている。 「なあ、ミズホ。あのエレベーターは何処に行っているのか?」 「たしか、地下一階のクリーニングルームです。あとは、各階の端ですね」 「そうか・・・」  エレベータの前に着いた。僕はボタンを押した。 「なあ、ミズホ。さっき、自分は何なのか、って言っていたけど、僕はミズホはミズホだと思うよ。殺人機械なんかじゃ無いよ。だって、機械なら何で人のことを大切にしたり、涙を流すことが出来るんだい?もう二度と、あんな悲しい事は言うなよ」僕はそう言いながら、ミズホの髪をそっとなでた。いい香りがする。 「ありがとう・・・ナオトさん!」ミズホは僕に抱きつき、泣き出した。 「おいおい。泣くなよ。ミズホは笑顔のほうが似合ってるよ」 「うん」ミズホは涙を拭って、天使のような笑顔を見せた。絶対、彼女を奴らに渡すものか!! 「あっ。エレベーターが来たわよ」アスカが、何となく居心地が悪そうに言った。  僕は自分が言った台詞に対し、突然恥ずかしくなり、顔を赤くした。ミズホも赤くしている。 「さあ、乗りましょう」僕はごまかすかの様に言った。  エレベーターは順調に降りている。 「地下に着いたら、駐車場を抜けて出ましょう」ミズホが言った。 「でも、奴らがいるんじゃない?」アスカは尋ねた。 「大丈夫だと思います・・・。業者用の駐車場ですから」  ガタン!!     ミズホが話し終わった途端、エレベーターが止まり非常灯がついた。 「何だ!どうしたんだ!!」僕は、慌てた。 「どうも、制御室のほうで強制的に止めたようです!」ミズホは脱出経路を探しながら言った。 「じゃ、奴らに気付かれてるの?」アスカが尋ねた。 「ええ、そのようですね・・・」ミズホはまだ、出口を探している。 「見つかりそうか?ミズホ」僕も、天井のハッチを開けようとしたりして、出口を探している。 「どうも、今、わたしたちは3階の出口近辺で停止しているみたいです。ですから、このドアを開ければ・・・」  そのドアは、とても手では開きそうにない。 「無理かなあ・・・」僕がそう言うと、 「取り合えず、開けてみましょう」ミズホがドアに手をかけた。 「えっ・・」僕とアスカは聞き返した。    ガキッ!!ガゴゴゴ・・・  ドアがゆっくりと開き始めた!! 「すげー・・・」僕とアスカは、ミズホの行動に見とれた。  もう、ドアは7割がた開き、腰の辺りに3階の床が見えている。 「さあ!今のうちに!」ミズホがせかした。 「分かった!!」  最初に僕、次にアスカ、最後にミズホの順で僕らは脱出した。 「どうしようか?これから」僕は首を何度も捻りながら、二人に訊ねた。 「うーん・・・」  僕らは、数分間考えこんだ。こういう時の時間は長く感じるものである。 「そうだっ!非常口よ!!」アスカは手を叩いて言う。 「非常口なら、こっちに!!」ミズホが左の方を指した。 「そうだな、非常口か・・・。取り合えず急ごう!!」  僕らは、全速力で走った。突き当たりには、非常口、と書かれた緑のランプがあった。  ミズホが鋼鉄のドアに手をかけ、ゆっくりと開ける。  僕らは鉄製の階段をかけ降りた。やけに音が出る。 「待って下さい!!下から数人が昇ってきます!!」  ミズホがそう言ったので、僕らは階段を降りるのをやめた。たしかに、下から階段を昇る音がする!!それだけでない。上方からも、階段を降りる音がする!! 「はさまれた!!」今度こそダメか・・・。 「ナオトさん!アスカさん!しっかりつかまって下さいよ!!」 「えっ?」  ミズホは右手に僕、左手にアスカを抱えて、階段の手すりを越え、飛び降りた!! 「うわーー!!死ぬーー!!」 「きゃーー!!飛んでるーー!!」  僕らは、月光を浴びながら宙を舞った!  ドサッ! 「大丈夫ですか?二人とも」ミズホは何ごとも無かったかのように微笑む。 「ミズホこそ!!」僕とアスカは額に大量の汗をかきながら、同時にミズホを見つめた。  僕らは彼女に抱えられていたので、殆ど衝撃を受けなかったが、ミズホにはかなり衝撃があっただろう。 「大丈夫ですよー。これくらい。だてにセラミック人工骨を使ってませんよ」  ううむ。最近の科学技術はすごいなー。おっと、冗談はこれぐらいにして。 「本当に、損傷箇所は無いのか?」 「ええ、若干、関節の潤滑液が漏れてますが、自己修復可能です」 「そうか、良かった」  僕が胸をなで下ろしたのもつかの間、階段から大勢がかけ降りてくる音がした。 「まずい!逃げるわよっ!!」アスカが、僕とミズホの服を引っ張って言った。  僕らは全速力で走った。が、・・・おっかしいなあ。どんどん、僕と二人の距離が離れていく。 「ナオト君!!早く、早く!!」 「早くしてください!ナオトさん!」 「待ってくれよー」  僕は、情けない声を出した。仕方が無いではないか。僕は走るのが、苦手なのだ。ミズホは時速50キロで走れるし、アスカは運動神経が抜群なんだから。 「もうっ、大丈夫ですか?」  ミズホが、僕の方に走りよってきて同じペースで走ってくれた。 「いや、だんだん息が切れてきた・・・」  だんだん、僕の走る速度が遅くなってきた。そして10分ほどしてからか、ついに僕は歩き出してしまった。  僕は、肩で息をしている。 「ゼエゼエ・・・、ゲッホ、ゲッホ、うええ〜」僕は呼吸困難の為、気分が悪くなった。 「大丈夫ですか?」ミズホは、僕の背中をさすってくれた。やさしいなあ・・、ミズホは。 「大丈夫?ナオト君?」アスカが駆け寄ってきた。 「なんとか・・・」僕は呻くように言った。 「しょうがないわねえ。でも、ここで休む訳にはいかないし」 「ナオトさん、さあ」 「さあっ、て・・・」  ミズホはしゃがんで、背中を差し出した。まさか、おぶってくれると言うのか? 「さあ、早く!」 「格好悪いよ」僕は、モジモジ言った。 「でも、もう走れないんでしょ?」 「それは、そうだけど・・・」 「さっさと、おぶってもらいなさいよ!ナオト君!!」アスカが急かす。 「分かった・・・。じゃあ・・・」僕は申し訳なさそうに、ミズホにおぶさった。 「じゃあ、行きますよ!!」ミズホは僕をヒョイっとおぶり、走り出した。 「どこに行く?」僕はミズホの背中で訊ねた。何となく情けない。 「そうですねえ。取り合えず、車を手に入れましょう」 「うーん、どうやって?」 「それは・・、どうしましょうか?」 「青島君の所へ行って、車を借りましょうよ。彼、たしかこの近くに住んでるはずよ」僕とミズホを見つめながら、アスカが苦し紛れにそう提案する。 「え〜、奴ですか〜」僕はミズホの背中から降り、不服そうに言った。青島は、僕と大学時代に同じ学科に在籍しており、また同じサークルだったが、なんとなく僕は好きではなかった。いや、嫌いだった、と言った方が適切だろう。 「たしかに、彼はいやな奴だけど、手段を選んでられないでしょ。わたしたちが、もしレンタカーでも借りたら、その時点で御用よ」 「仕方無いか・・・」僕は、仕方無くその考えに賛成した。 「そんなに、青島さんって、いやな人なんですか?」ミズホが訊ねた。 「そりゃもう!いちいち、僕に張り合っていた、いいとこのぼんぼんなんだよ!!僕がパソコンを買えば、さらに高いヤツを買うし、車を買えば、僕が欲しくても買えなかった車を選んで買うし!!」  僕は、吐き捨てるように言った。 「そうそう、いつも対抗意識を燃やしていたわよね。彼」アスカが、加えて言った。 「へえ〜。ナオトさん、誰にでも優しくするタイプかと思っていましたが、結構人の好き嫌いが激しいんですね」ミズホが僕の一面を、新たに発見し嬉しそうに言った。 「そりゃ、僕が優しくするのは、気に入った人だけだよ」 「じゃあ、私もその内の一人かな?」ミズホは、誰ともなしに言った。 「あったりまえじゃなーい!きっと、それ以上よ!」アスカがニヤニヤ笑いながら茶化す。でも、憎めないんだよなあ。あんなに、にこにこしながら言われちゃ。    しかし数秒後、僕の心の中に複雑な思い沸き起こった。なぜなら、アスカは僕とミズホが仲良くしているのを、からかったあと必ず表情を曇らせるのだ。一瞬の出来事だが、とても気になる。と言っても、本人には聞けないし。   「どうしたの?ナオト君?」ぼーっとしている僕の顔を、アスカが覗き込んだ。 「なっ、なんでもないです。ところで、青島の家はどこら辺でしたっけ?」僕は、慌てて話を変えた。  アスカは首を少しかしげ僕の方を見ると、なにかを否定するように首を左右に振り、それから思い直したように、 「たしかこの辺の高級マンションよ」と言った。 「高級マンション?つくづくムカつくやつだなー。全然昔と変わって無い!ところで、なんでアスカさんが、奴の今の住所を知っているんです?」 「何言ってるの!数週間前に、サークルの同窓会を開いたじゃない!わたしが幹事だったから、大体はおぼえているのよ。あっそうか、ナオト君来なかったもんね、同窓会」 「ええ、急な仕事が入りまして・・・」ミズホと買い物に行っていたなんて、口が裂けても言えない。 「で、詳しい住所は分かるんですか?」 「じゃ〜ん!これを見よ!」アスカはそう言うと、誇らしげに厚さ1ミリの携帯端末を掲げた。 「あっすごーい。最新型じゃないですか、アスカさん!あの、折り畳んで持ち運べるヤツ!!」僕は、心から羨ましいと思った。 「じゃあ、調べるわね」アスカはそのプラスティックの小片を広げると、タッチディスプレイの上を指でなぞった。 「えーっと。2ブロック先よ。あら、本当に近くだわ」 「じゃあ、急ぎましょう」ミズホが言った。 「そうね、行きましょ」  僕らは、それからまた走り出した。 「辛いなあ〜」僕は情けない声を出した。 「また、ミズホちゃんにおぶってもらえばあ〜」アスカが言った。もちろん、からかって言ったのだったが、  ミズホは真剣に、 「おぶりましょうか?」と、僕の方を見て言った。 「いや、いいよ。ありがとう」僕は、息を切らせながら答えた。 「あっ。見えてきたわよ!!」アスカが声を上げた。 「でも、青島の奴、車貸してくれますかねー」僕には、彼が車を貸してくれるなど、太陽が西から昇ってもありえない、と思った。 「大丈夫よ、秘密の作戦があるから・・・」アスカは不気味な含み笑いをした。  ああっ、なんかすっごく不安!僕はそう感じた。 *    僕らはマンションの玄関に来た。このマンションは防犯のため、居住者がインターホンで確認をしないと、外部の者が入れないようになっている。  僕は片手に拾った鉄パイプを持ち、それをジャケットに隠し、ミズホは僕のコンバットナイフを片手に持った。なんでもアスカの言う秘密の作戦に使うと言うのだ。   アスカは青島の部屋番号のインターホンを押した。  ピンポーン・・・ 「おかしいわね。もう夜の9時だから、家にいると思うんだけど。仕事かなあ」アスカは首をひねった。 「今日は、クリスマスイブだから・・・」ミズホがおずおずと言った。 「でも、奴にそんな相手いるのかなあ?性格悪いし」僕がそう言うと、 「あら、世の中には金持ちってだけでついていく馬鹿女が、たくさんいるわよ」  アスカがそう言った途端、 「はーい。誰ですか」青島がヨレヨレのワイシャツの上から胸をポリポリ掻きながら、インターホンの画面に出た。  しかし、あいかわらず情けないなー。家に帰ったら、着替えろよっ!僕は心から思った。 「助けてっ!青島君!!」アスカが突然そう言う。秘密作戦が始まったのだ。 「中山先輩!どうしたんですか!今、誘拐されて・・・」 「そう、俺たちにな・・・」僕とミズホは出来るだけ凶悪な顔つきをして、インターホンの画面に入った。  すぐに、ミズホはアスカをはがいじめにし、喉元にナイフを当てる。 「・・・!」青島の顔が真っ青になった。 「なあ、青島。車貸してくれねーか。こいつの車はぶっ壊しちまって」 「相田!貴様という奴は、昔から何かしでかすんじゃないかと思っていた!今すぐ、中山先輩を放せ!!」  僕は、一瞬ずっこけそうになった。そんな目で僕を見ていたのか、青島・・・。 「だから、てめーはアホなんだよ!どっちにイニシアティブがあると思ってるんだ!」  僕は、鉄パイプを強調するように、ジャケットの下からそれを持ち上げた。 「何だ!それは!」  僕は、インターホンの画面からはずれるようにして、鉄パイプを取りだし、ミズホに目で合図を送ってから、それを一回上下に振った。  カシャコッ!! 「まさか・・・、銃か?」青島の顔がますます青ざめてくる。 「ご名答。ショットガンだ、大変だったんだ、薬莢がなくて旋盤で自作したんだよ」  僕はそう言ったが、完全なはったりである。さっきのポンプ音は、ミズホがDSPで合成したものだ。 「早く開けなさいよ。わたしはショットガンで吹っ飛ばすより、ナイフでじわじわ切りつけるほうが好きなんだからさ」そう言って、ミズホはナイフの刃を舐めた。おお、怖い!目つきも、いつものおとなしくやさしい感じでなく、冷徹な殺し屋のものだ。 「わ、分かった。開けるよ・・・」もう、青島はめまいを覚えているようで、ふらふらしている。  ガタンッ!1階の玄関のドアが音をたてて開いた。僕らは、中に入るとエレベーターに乗った。青島は6階に住んでいる。  青島の部屋はエレベーターから降りて、まっすぐ行った所にあった。  ドン、ドン、ドンッ!僕は、いささか乱暴にドアをノックした。  ガチャ。  ドアの向こうから、不安そうな青島の顔が飛び出してきた。 「早く入れよ・・・」青島は、冷や汗をダラダラ流し、脚をガタガタ震わせていた。  ミズホがアスカを突き出す様にして入った後、僕は神妙な面持ちで部屋に入った。  しばらく、沈黙が流れた。 「ぷっ、ぷははは!」アスカが突然吹き出した。  青島は何が起きたのか分からない様子で、ただ呆然としていた。  「青島君、久しぶり!いやあねえ。そんなに、ビビらないでよ。芝居なんだからさ」アスカがそう言うと、 「しっ、芝居?」青島が、両目を見開き声を上げた。 「そう、芝居。し・ば・い、よ。こうでもしなければ、絶対に部屋に入れてくれないもん」 「じゃ、じゃあ、さっきのショットガンは?」 「これさ」僕はそう言うと、ジャケットの下の鉄パイプを投げた。 「へ?」青島は目をパチクリさせた。 「でさー、お願いがあるんだけど。自慢の愛車を貸してくれない?」アスカが青島にすがるように言う。 「な、なぜ貸す必要があるんですか!僕に!」 「いやな、青島。今、僕たちは、とある事情で逃亡中なのだよ。だけど、車を失ったから代わりがないと逃げられないんだ」僕は言った。 「知ってるぞ!この、スパイめが!どこに、神経ガスを隠しているんだ!アスカさんまで誘拐して!!」青島が顔を真っ赤にして怒鳴ったが、その姿は全く滑稽に見えた。 「ぷはははは!!!」僕らは、そろって笑った。 「あなた、警察発表なんて信じているの?あんなのは、みんな嘘っぱちよ」アスカがお腹を抱えながら言った。 「そんな事、信じられるかっ!!」青島が、更に怒鳴った。 「いや、信じてもらわなくて結構。それより、車を貸してくれよ」僕は、無表情に言った。 「いやだ!犯罪者に協力なんて出来るか!!」  僕は犯罪者と言う言葉に、とてつもない不快感を感じた。身体中の血液が逆流する。 「僕らは、犯罪者じゃない!!しかし、おまえが車を貸してくれなかったら、本当の犯罪者になるかもしれんぞ!!僕らは、もう国家を敵に回しているのだから、それぐらい何でもない!!」僕は、青島にすごんだ。  こいつに、車を借りることが出来なかったら、事実上これ以上逃げられない。そうなったら、おしまいだ。何としてでも、借りてやる!!いや、ミズホを救うためだったら、奪ってもいい!  青島はかなりビビっている。顔色が真っ青だ。 「それぐらいにしなさいよ、ナオト君」アスカはそう言うと、僕の肩に手をかけ、たしなめた。 「すみません。アスカさん。つい、ミズホを救おうとして・・・」 「うん、分かってるわ。ところで、青島君、お願いだから車を貸してくれないかなあ?」 「それは、いくら中山先輩のお願いでも、ちょっと・・・」そう言って、青島はチラッと僕の方を見た。 「・・・!何してるんだ!!」青島が、血相を変えた。 「へっ?」僕は何もしてない。よく見ると、青島の視線が僕の後ろに向けられていた。  僕は、振り返ってみる。  ミズホ・・・?ミズホは何やら、青島の端末に自分のケーブルをつなげていた。 「ミズホ、おとなしいと思ったら、何をしているんだ?」僕は尋ねた。 「青島さんに関するデータを集めていたんですよ。いやあ、人は見かけによりませんねえ・・」そう言うと、ミズホはニヤニヤ笑った。 「何かあったのか?」 「青島さんは、何度も電子商取り引きで不正を行っているんですよ。ええと、1月に1回、3月に4回・・・」 「やめてくれえ!!車でも何でも貸すから!この事は黙っててくれ!!!」青島は、土下座をして懇願した。 「まっ!青島君!そんな事をしていたの!電子マネーの偽造は重罪よ。下手すれば数年は、ぶちこまれるわよ!」アスカは、目を見開いて言った。 「出来心だったんだ〜」青島は、顔を涙と鼻水でグシャグシャにしていた。 「いいこと聞いちゃったなー。青島、おまえにそんな技術あったっけ」僕は不敵な笑みを浮かべた。 「知り合いの、クラッカーからソフトを買ったんだよ〜」  情けない奴だ。ここまで情けないと、かえってかわいそうに思えてくる。 「じゃあ、青島君。車を貸してね」  アスカがそう言うと、青島はすごすごと、車のキーを貸してくれた。 「じゃ、借りていくぞ!多分返すから!」僕は、そう言って立ち去ろうとしたとき、青島が僕に言った。 「なあ、あんなに巧妙に隠したのに、バレるなんてあの娘は一体何者だ?」 「さあな。僕にも分からんよ。さしずめ、地上に降りた天使ってところかな」 「はあ?」青島は、ポカンとしたまま僕らを見送った。 *  僕らは、駐車場へ走った。もう夜の10時になるところだ。 「しかし、言うわねー。地上に降りた天使だって。このこのっ!」アスカは僕をからかった。ミズホが、顔を真っ赤にしている。 「格好つけただけですよ!いちいち、そのぐらいの事で、つっこまないでください!」僕も、顔を真っ赤にした。 「なに、二人で照れてるのよー!しっかし、寒いわねー。雪が降るって本当みたいね」  アスカが、そう言うまで気がつかなかったが、確かに寒い。空もどんよりしているし。 「現在、気温は1℃です。これは雪が降りますね。低気圧も接近していますし」ミズホは体内の測定器で測った結果を言った。 「あっ!見て!雪だわ!!!」アスカが声を上げたので、僕とミズホは空を見上げた。  空には白い、ふわふわした粉雪が舞っていた。月光に照らされて、驚くほど神秘的に光っている。 「本当だ・・・!雪だ!ホワイトクリスマスか、今年は・・・」僕は感動した。こんなに、雪が奇麗なものだったなんて・・・。 「これが、雪、と言うものなんですね・・・」ミズホが目を少し潤ませながら雪を見つめ、そして彼女は両手を広げ雪にさらし、その手に乗った純白の結晶を、溶け切るまで眺めていた。  僕は、その姿をみて驚いた。ミズホの透き通るような白い肌と、雪の舞い降りる様子が、共鳴しあっている様に見えたからだ。  あながち、先ほどミズホは地上に降りた天使だ、と言った事が嘘でなく感じられた。彼女は本当に天使なのかもしれない。 「そうか・・・、ミズホは雪を見るのが初めてだったものな・・・」  それから僕たちは数分間、ずっと空を見ていた。 「さあ。もうそろそろ、行きましょう」アスカに促され、僕らは車に向かった。  駐車場の一番端に、青島の車はあった。AMGの電気自動車である。 「やっぱり、良い車に乗ってるなー。あいかわらず」僕はそう言いながら、運転席に座った。 「いいわよ、私が運転するから。ナオト君はミズホちゃんと後部座席に座ってよ」 「いいんですよ、アスカさん。運転しっぱなしで疲れているでしょう。今度は僕が運転しますよ」 「そう・・・。じゃ、お願いするわ」  僕はスイッチキーを回し、ブレーキを踏みながらギアを入れた。  ブレーキを徐々に離す、すると車が走り始めた。 「オートマは慣れてないから、変な感じがするなー」僕は、そうつぶやきながら駐車場から出ようとした。やけに街が静かに感じられる。漆黒の闇が、全ての物音と明りを食いつぶしているような気がした。  パァン!!!  突然、強烈な光りが僕らを照らした!!! 「・・・!」僕は目を凝らし、必死に閃光の向こう側を見つめようとする。  明りの向こうに、大型の車と何人かの人影が見えた。 「まさか!!」  スピーカーを通した大きな声が、こう告げた。 「容疑者、森里 ミズホと相田 ナオトに告ぐ!今すぐ、人質を解放し武器を捨てろ!5分間だけ待つ。抵抗すれば直ちに発砲する!!」 「くそっ!」僕は、急いでUターンした。 「君らは完全に包囲されている!無駄な抵抗はやめ、直ちに投降せよ!!」  僕らは、自衛隊と警察の両方に包囲されていた。逃げ道はない。もう、おしまいだ!! 「アスカさん!降りてください!!」僕は叫んだ。 「何、馬鹿言ってるのよ!!わたしが降りたら、発砲するに決まってるわ!!!」アスカが反論した。 「いえ、彼らはアスカさんが降りなくても、じきに発砲してきます。アスカさん、お願いですから降りてください!」ミズホも説得する。 「でも、でも、そうしたら、二人が殺されちゃう・・・」アスカが涙声で言った。 「降りるんだ!!早く!大丈夫、きっと生きて再会できますよ!!」僕は、アスカの瞳を見つめて言った。 「・・・、でも・・・」アスカは泣いていた。 「いいから、降りてください!」僕は、思いきり怒鳴った。 「分かったわ・・・。でも、絶対に生きるのよ!!」アスカはそう言うと、僕の頬に自らの唇を重ねた。 「約束よっ!死んだりしたら、絶対承知しないんだから!」目を真っ赤にしたアスカを見て、僕は切なくなった。 「約束しますよ、アスカさん。さあ、早く・・・」  アスカはゆっくりとドアを開けた。その瞬間、ガチャガチャと、銃が向けられる音が、無数に聞こえた。  アスカが、両手を挙げたまま数十m歩いたところで、毛布を持った警官が彼女を保護した。 「人質を保護!中山 アスカ氏と確認しました!」若い警官の叫ぶ声が聞こえた。 「いよいよだな・・・」 「いよいよですね・・・」  僕とミズホは意を決したように、大きく頷いた。  車の中は、重苦しく、冷たい空気が流れている。 * 「よし!よく人質を解放した!次は、君らが武器を捨てて出てこい!」スピーカーの向こうで、中年の警官が怒鳴る。 「しかたがない・・・」 「ええ・・・」 「でも、ごめんなさいっ!!わたしのために、ナオトさんまでこんな・・・」ミズホがうつむいて言った。ジーンズをギュッと握り締めている。 「そんな事、言うなよ。僕だって、ミズホがただの友達だったらここまでしないよ」 「えっ?」ミズホは聞き返した。 「さあ、出よう」僕は、ごまかすため話を変えた。  カチャン。僕らは車のドアを開けた。  たくさんの銃口が向けられている感じがする。 「武器は持ってない!だから、撃たないでくれ!」僕は叫んだ。 「よーし、いいぞっ!」中年の警官は、もうすぐ自分が手柄をたてられると、期待の声で怒鳴った。 「ミズホ、さっきの話な・・・」 「なに?」ミズホが、僕の顔を見つめた。そして、彼女の瞳は心無しか、潤んでいた。 「僕は・・僕は、君に好意を抱いている。ええいっ!まどろっこしい!愛しているよ!ミズホ!」僕は顔を真っ赤にして言った。 「え?え?本当にいいんですか・・・。わたしは人間ではないんですよ・・・」ミズホも顔を真っ赤にしていた。そして、彼女の瞳は潤みが更に増してきている。もう少しで、涙がこぼれそうだ。 「人間でない?そんなことないよ!君は、笑いもするし泣きもする。人のことを思いやることも出来るじゃないか!君のほうが、あそこで銃を構えている奴より、数十倍も人間らしいよ!!」 「ありがとう・・・」  僕はそう、うつむきながら言ったミズホの顔を手で触れると、彼女の唇にキスした。  ミズホは両目を閉じ、大粒の涙を流した。 「このまま、永遠にこうしていたい・・・」ミズホはキスを終えると、僕を抱きしめながら言った。 「さあ、行こう」僕は、ミズホの両目を指で拭ってやった。 「はい・・・」  僕とミズホは手をつなぎながら、ゆっくりと歩き出した。ふと、上空を見ると、まだ雪は降り続いていた。  スポットライトが眩しすぎて、前方が殆ど見えなかったが、一人の男が立っているのがかろうじて見えた。  カッシャン。男まであと、数メートルの所で突然ライトの光量が減った。 「相田君・・・、ミズホ・・・」男が喋った。  聞いたことのある声だった。そう、森里博士のものだ。 「先生・・・」僕は、それ以上何も言えなかった。 「相田君、ミズホは処分される運命なんだ。こちらに渡したまえ」 「断わる、と言ったら?」 「君を撃ち殺してでも渡してもらう!」そう言って、森里は手に持っていた棒状の物を構えた。それはライフルだった。 「ミズホは、誤って作り出してしまった化け物だ。だから、創造者の私が処分せねばならん!」 「何を自分勝手な事を!ミズホは機械なんかじゃない!人間だ!戦争のため神の意思に背いた、あんたたちの方が化け物じゃないか!」  僕は、そう言ってミズホの前に両手を広げ立ちはだかった。 「ナオトさん・・・」 「くっ・・・!」森里はライフルを構えながら、冷や汗をダラダラ流していた。 「撃つぞ!これは脅しじゃない!!!」 「撃ちたければ、撃て!僕は武力に決して屈しない!!」  それから、10分近く僕と森里はにらみ合った。先ほどから降っている雪が、だんだん激しくなってきた。もう、その場にいた人々の肩が、うっすらと白くなっている。 「ええいっ!くそっ!!」  パンッ!乾いた破裂音がビルの間を響き渡った。森里が、緊張に耐え切れずに、発砲したのだ。  弾は、僕の左腕を貫通した。 「うっ!」僕は顔をしかめて、左腕を押さえた。 「ナオトさん!ナオトさん!」ミズホが僕の横に駆け寄った。 「こんなに血が・・・、ひどい怪我だわ!」  ミズホはそう言うと僕の腕の怪我をした部分をきつく押さえ、自分の着ていたシャツを破ると腕に巻いてくれた。 「早く病院にいかなきゃ!」 「大丈夫だ」僕はミズホの顔に手をあて、そう言った。 「森里博士!もう、やめてください!あなたには、大変感謝してます。あなたは、私にとって、言わば父の様な方ですが・・・」僕は悲痛な叫びを上げつつ、森里を見つめる。  そう言った途端、ミズホは話すのをやめた。 「父・・・、父親?父さん?パパ・・・?どうしたのかしら、頭が割れそうに痛い!」 「どうしたんだ!ミズホ!」 「何か、自分とは違う誰かが、頭の中で話しかけてくる・・・」    ミズホは頭を抱え、座り込んでしまった。突然の出来事に、その場にいた人々はミズホの方を凝視した。 「ミズホ・・・、そう、それはわたしの名前・・・。もう一人は別の名前・・・。分からない。わたしは、汎用バイオノイド兵器・・・。もう一人は、そう、人間・・・人間の女の子・・・。十字架、わたしにとっては、ただのキリスト教のシンボル。もう一人にとっては・・・絆。好きな人との絆。そして指輪、あの人がくれた指輪・・・。とても、とても、大切なもの。かけがえのないもの。ナオトさん、わたしの保守要員、わたしを好きと言ってくれた。とても、うれしかった。たしか、この瞬間をずっと前から望んでいた・・・。そう、わたしが生まれる前から・・・」  ミズホは、そう、何かを思い出すかのようにブツブツ話し出した。  まずい、ミズホの思考回路に別のパターンが紛れ込んできている!  そう思うと同時に、彼女の話すことの中に、僕は驚愕の事実を発見しつつあった。嫌な予感がする。  森里の様子が変だ。両手、両足をガクガク震わせている。  ガチャンッ!森里が、ライフルを落とした。あまりにも、手足の震えが大きくなりすぎたため、落としたのだ。 「許してくれ!この私を、どうか許してくれ!!私は、どうかしていた!正気ではなかったんだ!許してくれ、ミフユ・・・」森里は、そう言うと嗚咽を洩しながら、よろよろとへたりこんだ。 「ミフユ!!!!!!あの、ミフユ!!そんな・・・!」僕は、さっきから感じていた予感が当たっているかもしれないと知り、愕然とした。 「ミフユ・・・?どこかで聞いた名前。ずっと昔に・・・。とても懐かしい名前・・・。わたしの中の、もう一人の名前・・・?」 「森里先生!!あんた、一体何したんだ!!ミズホとミフユは関係があるのか!!!」僕は、喉から血がでるほど怒鳴った。 「今から7年前、生体脳使用のコンピュータを作る際、どうしても完成させる事が出来なかった私は、悪魔にそそのかされ口に出すのもおぞましいことを行ったのだ・・・」そう森里が話し始めると、周りの人々はみな唾を飲み込んだ。 「そう!ミフユ!もう一人のわたし!オリジナルのわたし!わたしの魂の一部!」突然、ミズホが叫んだ。 「おぼえている!ナオトくん!そう、指輪をくれたナオトくん!幼馴染みで、隣に住んでいたナオトくん!とっても、とっても大好きなナオトくん!!やっと会えた・・・」そう言うと、ミズホの両目から大粒の涙がとめどなく流れた。 「ミフユ・・・!ミフユなのか!」僕も、そう言うと涙を一筋流した。 「ナオトくんっ!!」ミズホが抱きついてきた。 「ずっと、ずっとこの瞬間を待っていた・・・」ミズホは僕の胸にしがみつきながら、震える声で言った。  カシャン・・・カシャン・・・、自衛官や、警官が銃を下ろし始めた。 「ミズホ・・・ミフユに一体何をしたのか、詳しく教えて下さい!まさか、ミフユの脳を・・・」僕はミズホを抱きつつ、森里の方を睨んだ。 「そんな!いくらなんでも、そこまではしていない!!」森里は慌てて否定した。 「じゃあ、なんでミズホがミフユの記憶を共有しているのですか!?」僕はなおも、厳しい表情で睨みつける。 「君も知っていると思うが、ニューロコンピュータにはある程度の教育が必要なのだよ。要するに基礎が無いと、全く使い物にならない。そこで、最初からある簡単なパターンを移植しておく『基礎マトリックス移植法(Basic Matrix Transplant Method B.M.T.M.)』と言う手法が考案された・・・」 「ええ、知ってますよ。たしか、20世紀末に考案されたもので、コンピューター上の簡単なパターンで活動する人工生命を使って、マトリックスの基礎の部分を作成する方法ですね。それと、いったい何の関係が!」  僕はいら立ちを覚えた。全く話が見えてこない。  周りの警官たちも、怪訝な顔をしている。 「まあ、続きがあるのだよ・・・。それで、私達『メカニック・エンジェル』研究班は、スーパーコンピューター上で何度もミズホの基礎マトリックスを作った。しかし、ろくなものが出来なかった。せいぜい、ねずみ程度の知能しか出現しなかったのだ。これでは、実戦に使用出来る頭脳を作るためには、何十年も教育せねばならん。そこで、実在の人間の思考マトリックスの一部をコピーして使う事となったのだ。そうすれば簡単な教育ですむし、何といっても確実だった」森里は、しきりに汗を拭いている。 「それでミフユを実験台にしたのか!!きさまっ!それでも人間か!!!」僕は顔を怒りのあまり真っ赤にさせた。もう少しで理性がふっとび、奴を殴り殺すところだ。 「ああ・・・。ミフユが事故で死んだ夜、私はその死を悲しむと共に、すぐに研究所に連絡をし、ミフユの遺体を冷凍保存した。今考えて見ると、私の精神状態はおかしかったと思う。ミフユたちの死を直視できなかったのだ・・・そして、私が防衛庁に行った後、事故から2ヵ月後に私はミフユを解凍し、彼女の脳をスキャンして簡単な思考パターンのみを、スーパーコンピューターに保存したのだ・・・」  僕は、許容量を超えた怒りと悲しみ、それに絶望感によって倒れそうだった。周りの人々も、程度の差はあれ同じ状態なのではないだろうか。 「それで、何で記憶が蘇ったんだ!!記憶までスキャンしたのか!!」 「いや、記憶や感情というものは戦う上で必要がない、逆に邪魔なものだ。だから、いくらなんでもミフユのパーソナリティ(人格)に関わる部位はスキャンしてない!神に誓ってもいい!!」 「ではなぜ!!」 「分からん・・・。悪魔のいたずらか、神の怒りか・・・」 「きさまっ!!分かりもしない理論によって、ミフユをミズホを弄んだのか!!!」  僕は、そう怒鳴ると痛む左腕で、森里の襟を掴み殴ろうとした。 「やめて!!ナオトさん!!」ミズホが僕の右腕を押さえた。 「やめて!二人とも・・・。わたしの中のミフユさんも悲しんでるよ!博士、いやお父さんが悪いんじゃないって、悪いのは国家だって・・・だから、お願い!争わないで!!!」ミズホがボロボロ涙をこぼしていた。僕は彼女の頭をやさしく撫でた。 「分かったよ、ミズホ・・・」そう言うと、ミズホは顔を上げた。かわいそうに、目を真っ赤に腫らしている。  僕は、森里や警官隊、自衛隊のやつらに向かいこう言った。 「あんたらは、狂った殺人機械を探してるんだろ!!ミズホのどこが殺人機械なんだ!!こんなに人のことを思いやり、人のために涙するなんて殺人機械には出来ないぞ!殺人機械ってのは、命令と権力によって、執拗に普通ではない者を狩りたてる、あんたらのような者のことを言うんだ!!」  それを聞いた奴らは、皆うつむいてる。中には、すすり泣いている者もいる。  パチ、パチ、パチ・・・。  突然誰かが、まばらな拍手をした。 「いやあ、見事な演説だったよ。相田君。殺人機械とは『命令と権力によって、執拗に普通ではない者を狩りたてるもの』か、確かにそうかもしれん。しかし、我々はあえて国民の安全を守るために、そうしているのだよ。戦争に善者はいるか?勝者はいても、正しい者はいない。人々を守るとはそう言う一面があるのだよ。きれいごとだけではやっていけない」  そう話した初老の男は、『メカニック・エンジェル プロジェクト』の最高責任者にして、自衛隊の最上級幹部の石川空将だった。 「空将・・・、それはどう言う意味なんですか!?」僕は問いただした。 「国家を、そして国民を守るには、ある程度の犠牲が必要ということだ。しかし、森里君、困ったな。ここまで、彼女が完璧な感情を持っていたとはな。だが、処分は閣議で決定したことだ。実行せねばならん」そう言うと、石川は近くにいた自衛官を指差し言った。 「ああー、宮前士長!あれを破壊しろ!命令だ!!」 「え・・・」その若い自衛官は戸惑っていた。 「聞こえなかったのか!!命令だ!破壊しろ!!免職されたいのか!あれは、機械だ!分からんのか!!」  「了解・・・」  若い自衛官は、ためらいながらも銃口をミズホに向けた。 「やめろ!!ミズホを殺させるもんかっ!!!」僕は、左腕が痛んだが精一杯両手を広げ、自衛官の前に立ちはだかった 「うっ・・・、ううっ・・・」自衛官は、指先をプルプル震わせながら呻いた。 「早くせんか!!」 「自分は、今回の任務は極秘任務であり、秘密裏に研究されていたロボットが狂って逃げだした為、それを処分せよ。との命を受けました。しかし、自分には目の前にいる女性が狂った機械には見えません・・・撃つことなんて・・・」若い自衛官は、そう言うとライフルを下げた。 「ええいっ!くそっ!貴様なぞ、懲戒免職にしてくれるわ!!私が自分でやる!!!」  石川は腰のホルスターからオートマティックのハンドガンを取り出した。 「どけっ!どかんと、きさまも道連れだぞっ!!」石川は僕に怒鳴った。 「絶対にどかない!さあ、早く殺せよ!それがあんたのやり方だろっ!」僕の腕をミズホがキュッと掴む。 「ようし、分かった!!」石川がトリガーに指をかけた。 「いけないっ!」そう、ミズホが叫び僕を突き飛ばした瞬間、  パンッ!パンッ!  乾いた火薬の破裂音が二度ビルの間を響いた。 「ぐふっ・・・」真っ赤な血が、真っ白な雪の上に飛び散った。 「先生!!」 「お父さん!!」  そう、ミズホが撃たれる瞬間に森里が石川を押さえ込んだのだ。そして、二発の銃弾を浴びてしまった。 「二度と娘は殺させない・・・。私が気がついてないとでも思っていたのか、石川空将・・・。マトリックスの提供者を探している、ちょうどその時ミフユは死んだ。いや、殺されたのだ。あの時、私が死なずにすんだのも、君のシナリオ通りだろう?私は、以前からミフユの思考マトリックスをスキャンする実験をしていたからな・・・。君達はミフユのマトリックスを使いたくて、私の愛する娘を殺したんだ!!」森里は血塗られた手で石川の肩を掴み、とぎれとぎれの声で言った。 「案外、鋭いものだな。君は。そう、あのプロジェクトはマトリックスの提供者がいなくて、中止になるところだった。しかし、中止になんか出来るか!!あのプロジェクトのは多くの企業が参加していて、何十兆円も経費がかかっていたんだぞ!!」 「それで、なんでミフユを殺したんだ!!」僕は怒鳴った。 「マトリックスを使用した場合、オリジナルが実存したら法律上やっかいだし、本人がマスコミにでも告発したら、一貫の終わりだ!私も、企業もな!」 「はあはあ・・・、それで、企業からはいくら貰った?かなりの額だろう。まあ、公務員は年金が安いからな。家か車か、それとも・・・・?」森里は、力を振り絞って侮蔑の笑みを浮かべた。 「はなせっ!!」図星だったのか、石川は顔を真っ赤にして森里を払い除けた。  ドサッ、森里が力なく倒れる。もう、彼の周りの雪は真っ赤に染まっていた。  向こうで、「早く救急車を!」、と警官が叫んでいるのが聞こえる。 「お父さんっ、 お父さんっ!!」ミズホが森里に走りよった。僕も後を追う。  石川がたじろぐ。 「お父さん!死んじゃやだっ!せっかく、また会えたのに!!」ミズホが森里を抱え上げる。ミズホはもう、森里が長くはないことを知っているのだろう。 「ミズホ、いや、同時にミフユでもあるな・・・。まだ、私をお父さんと呼んでくれるのか、ありがとう・・・」そう言いながら、森里はミズホの柔らかい髪をなでた。 「相田君・・・。君にも迷惑をかけたな・・・。私は、ミフユと君が結ばれるのを願っていたのだよ。君はやさしい奴だものな。しかし、おぼえておいてくれ、私は決して悪魔に魂を売ったのではない。なんとしてでも、ミズホがこの世にいたと言う痕跡を残したかっただけなんだ・・・」 「ええ、分かってますよ。先生!これ以上喋らないで下さい!出血が増えてしまう」 「いや、もう長くはない。いくら私だって自分の死期ぐらい分かるよ・・・、ところで、どうかこの哀れな老人の最後の願いを聞いて貰えないか・・・」 「何です?」 「ミズホを最後まで、今まで通りに人間して扱ってくれないか。そして、人間として最期を向かえさせてやってくれ・・・」そう言うと、森里は一筋の涙を流しつつ息を引き取った。 「分かりましたよ・・・先生」 「お父さんっ!お父さああんっ!」  ミズホが、森里の上に泣き崩れた。僕は彼女の肩に手をやった。彼女は、かわいそうなぐらい泣き続けている。それとは対照的に、森里の死に顔はとても安らかだった。 「わたし、許さない!絶対に!」ミズホの目の色が突然変わった。僕の手を肩から退けると、彼女はゆっくりと立ち上がる。 「絶対に許さない!人の命を弄んだだけでなく、自分の利益のためにお父さんをも犠牲にしたあなたを!!」  ミズホはそう言うと、一歩一歩石川のほうへ歩いて行った。 「来るなっ!来ないでくれっ!!わたしは悪くない!!悪いのは、国家だ!!」  石川は銃をミズホに向けながら後ずさった。 「この後に及んでも、そんな言い訳を言うのっ!わたしの、ミフユの、そしてお父さんの苦しみをも理解しないで!!」 「うわああーー。来るなーー」  パンッ、パンッ、パンッ、パンッ  石川は立て続けに銃を撃った。弾丸は全てミズホに命中した。白色の液体が宙を舞う。それでもミズホは進んだ。 「ええいっ」腰が抜けて歩くことが出来ない石川は、なおもトリガーを引いた。  カスッ、カスッ、カスッ  どうやらマガジンに異常が起き、弾が発射されないらしい。石川は顔を真っ青にしつつ、マガジンを外し中を確認する。  そこにミズホが掴みかかった。石川の首を掴み、片腕で軽々と持ち上げる。 「ぐああーー!やめてくれっ!息が!息がっ!!」石川は顔色を紫にしながら、泡を噴いた。  メキッ、メキッメキッメキッ  石川の首の骨が悲鳴を上げる。 「死んでしまう・・・」石川はそう呻くと、突然ダラリと腕を下げた。 「一斉射撃用意!」警官隊が銃口をミズホに向ける。 「ミズホっ!やめるんだ!君まで人殺しになっちゃいけない!」僕はミズホに駆け寄った。 「待て!まだ、発砲するな!」警察側の指揮者が言った。  僕は、ミズホの傍に行くと後ろから抱きしめた。 「う、うう・・・、ナオトさん!わたし、これからどうすれば・・・」 「取り合えず、彼を降ろそう。彼は法廷で裁かれるべきだ・・・」  ゆっくりとミズホは石川を降ろした。石川は大きくせき込むと、ゼエゼエ苦しそうに息をしている。  数人の警官と自衛官が走りよってきた。  一人の自衛隊幹部らしき男が石川に肩を貸す。   「くそ!ロボットの分際で!ゲホッ」石川は血の混じった唾を吐き出しながら、苦しそうに咳き込む。 「それより空将。あなたには聞かなければならない事がありますな。詳しくは車の中で聞かせてもらいましょうか」 「なっ!?」石川は、自衛隊幹部が言った事を、瞬時には理解出来ないできないようだった。 「石川空将を連行しろ!」その自衛隊幹部は、不敵な笑みを浮かべながら自衛官に命令した。 「貴様!おぼえてろ!免職にしてやる!」  石川は怒鳴り散らしながら、二人の自衛官に両脇を抱えられて連れて行かれた。   「ナオトさん・・・」  ドサッ!!  ミズホがお腹を抱えながら倒れ込んだ。もう、地面には雪がかなり積もっている。 「ミズホ!!ミズホ!!大丈夫かっ!今、みてやるから!!」僕はミズホに駆け寄り、ミズホを抱き上げるとノートパソコンの載せてある車に向おうとした。すると、 保護されていたアスカが警官の手を振りほどきパトカーから降りて、僕らの乗っていた車に向かった。    「待ちなさい!」アスカを保護していた警官が叫ぶ。 「まあいい、少し様子を見よう。どうも、我々はお門違いな命令をされたらしい。彼らがスパイに、ましてや自衛隊が言うように彼女がただの機械に見えるか」中年の男が警官に言った。 「でも、課長!」 「いい、いい、私が責任を取る」  そう男が言うと警官はそれ以上何も喋らなかった。  アスカは青島から借りた車のドアを開けノートパソコンを探した。しばらくしてパソコンが見つかると、大急ぎでそれを持って走ってきた。   「ナオト君!これっ!!」  僕はパソコンを受け取るとミズホ接続した。パソコンが起動音をたてる。 「ミズホ!破損箇所は断定できるか!」 「ええ・・・。腹部の生命維持システムの大半が壊れています・・・。自己修復は不可能・・・」 「ミズホ!!ミズホ!!!!」目を閉じかけたミズホを僕は、一生懸命に揺すった。  まだ、パソコンは完全に起動しない。こんなときに限って!! 「ナオトさん・・・、わたしには分かります・・・。もうすぐ、お父さんの所へ行けると、やっと休めると・・・」 「何を言っているんだ!ミズホ!僕と一緒に逃げて暮らすんだろ!まだ、死ぬのは早い!!だって、まだ知り合えてから一年にもならないじゃないか!!」 「そうよ!ミズホちゃん!ナオト君の事が好きなんでしょう!愛してるんでしょっ!死んじゃだめよ!」 「ありがとう。二人とも・・・」 「ぐっ!!」ミズホは真っ白な血を口から吐いた。 「ミズホ!」 「ミズホちゃん!」  どうしよう!思った以上に損傷を受けているらしい。ええいっ!早く起動しろこのポンコツ!!  僕は、パソコンをゴツゴツ叩いた。こういうときの数分間はとても長く感じられる。 「やった!起動した!」  僕は、起動を確認すると同時に『メンテナンス』のアイコンをダブルクリックした。 「これはひどい!!」僕は絶句した。システムの稼働率は30%を切っている。あと数分でミズホの人工心臓は停止するだろう。正直言って、ミズホにまだ意識があるのが奇蹟的であるぐらいだ。  僕は、対処法をパソコンで探すため、更に深い階層のフォルダをダブルクリックした。  あった!!『システム稼働率が30%を切った場合』の対処法が! 「ミズホ!待ってろ!今、助けてやるからな!」  僕は、その対処法をパソコンに読み上げさせた。 「システム稼働率が30%を切った場合、人工血液の循環が止まると生体部品が壊死しますので、早急に生体部品を本体から離脱させて、液体窒素で固定してください」 「じゃあ、本体が無くなったらどうやって治療するのよ!」アスカが僕をじっと見て尋ねた。 「待って下さい。『再生法』のフォルダも読み上げさせます!」 「再生を実施する場合、新たな本体を製作または用意し、生体部品を移植します。詳しくは研究所のエキスパートシステム上のドキュメントを参照してください」 「困った・・・。ここには液体窒素が無いし・・・」  パソコンの画面に表示されているシステム稼働率が徐々に下がってきている。 「ナオトさん・・・」ミズホが僕の腕を掴んだ。なんと弱々しい力なんだろう。 「なんだい、ミズホ。絶対に治してやるから、待ってろよ!」 「もう・・・、良いんです。わたしはこのまま天に召されたい。確かに再生が可能かもしれませんが、そうしたらわたしはやっぱり不死身の機械と言う事になってしまうから・・・。お願いです、わたしを人間として・・・」ミズホの両目から、一筋のキラキラ光るものが流れだした。 「分かった・・・、分かったよ、ミズホ」 「ミズホちゃん・・・!」 「最後に、一つお願いをしていいですか・・・」 「ああ良いよ・・・。何だい?」 「もう一度、もう一度、きつく抱きしめてください・・・」  僕はミズホをきつく、きつく抱きしめた。ミズホの涙が僕の肩を濡らす。 「わたし、ナオトさんと出会えて本当に良かった・・・。わたし、出会えなかったら、ただの戦争の道具として使われて多くの人を殺すところだった・・・。でも、ナオトさんはわたしを人間として扱ってくれた、本当に嬉しかった・・・。初めてわたしが涙を流したときの事、おぼえてますか・・・」 「ああ、映画を観ている最中だったな」 「あのときは分からなかったけど、今はあの映画に出てきた天使の気持ちがよく分かる気がする・・・」 「そうだね、僕もあの主人公の気持ちが痛いほど分かるよ」 「ねえ・・・、ナオトさん・・・わたし、ずっと、ずっと、あなたの事を忘れない。この身が朽ち果て、世界の終わりが来ようとも、ずっとずっとあなたの事を想い続ける・・・」 「僕もだよ・・・、ミズホ!」  パソコンの画面がシステムの稼働率が限界まで低下したことを知らせていた。 「ナオトさん・・・!また、いつかきっと会えるよね・・・」 「ああ!会えるさ!」 「ありがとう・・・・・今度会うときは、人間に生まれ変われていたらいいな・・・」  ミズホはそう言い、一つ大きく息をはくと目をゆっくり閉じた。 「ミズホっ!ミズホ、ミズホ、ミズホ・・・!」 「システムが完全に停止しました。再生を希望する場合、5分以内に生体部品を凍結してください」  パソコンが真っ黒な画面に白い文字でそう示した。 「くっ・・・!ミズホ・・・」僕は、生気を失いだらりとしたミズホを抱き上げた。徐々に彼女の生命の火が消えつつあるのを、僕は実感した。自分でも驚くぐらい、涙が溢れる。  雪は更に降り続いている。周りには、ほとんど何も物音が無い。あるのは、沈黙と悲しみと人々がすすり泣く声だけだ。そして、そのわずかな物音も雪は静かに吸収し続けた。 * 「早いものねえ。もう、あれから3ヵ月がたつのかあ」 「そうですね・・・」僕は、人生で最も輝いていたあの頃、ミズホと過ごした最良の日々を思い出しながらアスカに言った。  もう、3ヵ月もたってしまったのか・・・。ミズホと言う名の天使が帰ってしまってから・・・。今でも僕の鼻孔には甘い香りが、そして腕に柔らかな肌の感触が残っている・・・。  僕とアスカは横浜市内のある墓地に来ていた。あの時、ミズホと僕を守り、そして逝ってしまった森里の墓を訪れるために。 「ナオト君。どこだったっけ?」 「もうすぐ先ですよ」僕は記憶の糸をたぐり寄せた。森里家の墓には何回か来たことがある。 「ところで、ナオト君。ミズホちゃん、あれからどうなったの?」 「・・・。生体部品は完全に機能しなくなったので、それらだけを切り離し、ほかの部位は今後の研究のため保存されるそうです」 「えっ!?また、彼らは諦めずに同じ過ちを犯そうとしているの!?」 「人間は、所詮その程度の生き物なのかも知れません。己の利益のみを追及する・・・」僕はそのまま沈黙した。  まだ3月の中頃だが、もう春の息吹が感じられる。僕は生命力に溢れた風を全身で受けながら、そう感じた。 「ところでナオト君。今、どうしてるの?」 「取り合えず研究所を辞めました」 「じゃあ、これからどうするの?」 「そうですね・・・。昔から夢だった、ソフトハウスの設立でもやりたいなあ」 「ふーん。ゲームか何か作るの?」 「ええ。そうですよ」 「じゃあさ、雇ってくれない?わたしを。知っての通り、今仕事無くって」  アスカはあの事件以来、会社を辞めたのだった。  「ええ!もちろんOKですよ!じゃあ、社員第一号として!」僕は顔を輝かせて言った。 「じゃあ、決まりね。社員2人、資本金若干で会社設立と」  アスカが右手を差し出す。 「よろしく!」僕はその差し出された手をしっかりと握った。 「あ、見えてきましたよ。森里先生のお墓が」僕は前方を指差した。 「どこ、どこ?」 「ここですよ」 「あっ」  僕とアスカは背の低い墓標を見つめた。そこには十字架が掘られていた。 「森里さんって、クリスチャンだったのね」 「ええ」    僕は、花を供え墓標に水をかけた。花が若干の水を浴び、陽光に照らされ光っている。  僕とアスカは黙祷した。周りには人工的な物音は全く聞こえない。その代わりに風の吹く音と鳥のさえずりがやけに聞こえる。 「先生。約束は守りましたよ。ミズホは人として天に召されました。あなたのもとへと旅立ちましたよ」 「ミフユ。僕は今でもこの十字架を 大切にしてるよ」僕は首にかけている十字架を取り出した。鈍く神秘的な光りを十字架はたたえていた。 「そして、君の想いをミズホを通して知ることが出来て嬉しかった」  僕は目を潤ませながら、微笑んだ。 「ナオト君・・・」アスカが僕の肩に手をかける。  「さて、もう一つ大事な人の墓参りをしなきゃ」  僕は、袖で涙を拭いアスカに言った。 「えっ?」アスカはきょとんとした。 「ほら、この森里先生たちのお墓の隣に・・・」僕はそう言うと、アスカのそば、森里家の墓の隣にある地面に埋め込まれた石のプレートを指した。 「これは・・・」アスカはしゃがみ、プレートにかかれた文字を読んだ。そこにはこう書かれていた。  『ミズホ・モリサト ― 2033-2033  わずか10か月の間地上に降臨し、戦うことの無意味さを人々に伝えた神の御使い、ここに眠る。神よ罪を許し給え』 「ミズホちゃんの!?」アスカが目を見開いた。 「ええ、アスカさんには言ってませんでしたが、研究所の皆で建てたんですよ」 「じゃあ、切り離されたって言う部分がここで眠っているの?」 「そうです」  僕とアスカは手をあわせた。いまだに忘れ得ぬ、いや一生忘れる事のない、あのやさしい天使ミズホを思い浮かべながら。 「ミズホ、君と出会えて本当によかった。今でも、いやずっと君のことを忘れない」僕は、目頭を熱くした。今でもあの別れのときを思い出す度に涙が出てくる。 「ミズホちゃん・・・、本当はわたし、ミズホちゃんがアンドロイドかも知れないと言う事は最初から、うすうすと気付いていたわ。でも、ナオト君の心があなたの方へ向けられてるのを知って、少し嫉妬していたのね。機械に負けたって。だからあなたをサイボーグだって、言い張ったのよ。でも、今では、わたしはあなたが一人の、とってもやさしい人間だと確信してるわ」アスカも目を潤ませていた。  二人の間を、春のやさしい風が吹き抜けた。 「ところで、アスカさん。実は、さっき話したミズホの生体部品、一部分だけ僕が引き取って持っているんです」 「持っている!?なんで!?」アスカが驚きに満ちた顔をした。   「約束を守るためです。僕とミズホの」    僕は、そう言うと小脇に抱えた銀色の筒をアスカに見せた。 *  僕とアスカは車に乗り、海へと向かった。 「何で海に 行くの?」アスカがハンドルを握りつつ、僕を横目で見て言った。 「さっき言った通り、ミズホとの約束を守るためです」 「それは分かったけど、何故海なの?」 「アスカさん、覚えてますか?僕らが逃亡している途中に、ミズホを海に連れていくって言ったのを」 「ええ、確かそんな事を言ったわね」 「だから、連れて行くんです」  それから僕らは、葉山の海岸へと車を走らせた。  だんだんと海に近づいて来たのだろう。潮の香がする。 「もうすぐよ」 「ええ・・・」僕はぼんやりと窓の外を見ていた。  しばらくすると、海が見えてきた。確かに奇麗とはお世辞にも言えない海だが、今の日本では奇麗な海を探すのは困難だろう。 「アスカさん、そこを曲がると有料駐車場がありますよ」僕は道端にかかっていた看板を見て言った。 「わかったわ」アスカはウインカーを出し、左折した。  有料駐車場はがら空きだった。アスカがチケットを受け取ると、1番と書かれていた。 「こんな時期に海に来る変わり者なんて、そうそういないわよね」アスカはそう言いつつ、車を止めた。 「でも、なんだか人がいない海って、なんかこう淋しいような、切ないような感じがしません?」僕は、銀色の筒を抱えながら車を降りた。 「そうね・・・、すこし淋しい感じがするわね・・・」 「ところで、ナオト君。さっきから気になるんだけど、その銀色の魔法瓶みたいなのに何が入っているの?ミズホちゃんの一部なの?」アスカがまじまじと僕の腕にある筒を見つめた。 「ええ・・・。ミズホがミズホである部分、記憶を司るバイオチップです」僕はアスカの方には顔を向けず、ただ、ただ海へと向かった。 「そう、それで、どうするつもり?」 「海へ還すんです。生命の母である海へ・・・」  チャポ、チャポ、チャポ・・・  僕は無言で海に入って行った。まだ、海の水はかなり冷たい。 「ナオト君!待ってよ!」アスカが靴とストッキングを脱ぎながら言った。 「分かってますよ。待ってますから、早くしてください」  僕は、その銀色の筒をいとおしそうに見つめた。  (ミズホ・・・) 「ナオト君、お待たせっ!」アスカが僕の肩を叩く。 「じゃあ、いいですか・・・」  プシューッ  僕がその筒の栓を開けると中から、白いスモークが流れ出た。  ポチャ、ポチャポチャ・・・  僕は、筒の中身を海へ流した。一緒に流した液体窒素が気化して、スモークが立ち上る。  そして、最後に真っ白な片手で握れるぐらいの、元は柔らかそうな、今では完全に凍っている蛋白質の塊が海へと放たれた。 「さあ、おかえり、ミズホ。全ての生命の根源である海へ。ここが君の来たがっていた海だよ。本当は、もっと奇麗な海へと連れていきたかったんだけど、ごめんな。でも、ここは太平洋につながってるから、いつかは真っ青な南の海へ行けるよ・・・」  僕は、ぼろぼろ涙を流していた。そこに、アスカが僕を後ろから抱きしめてくれた。 「いつまでも泣いてちゃ、だめだよ。ミズホちゃんだって安心して森里先生の所へ行けないよ」 「ありがとう、アスカさん・・・」僕はアスカの手を握り締めた。  ふと、その時僕らの間を、春風が通り抜けた。 (そうですよ。ナオトさん。そんなのナオトさんらしくないですよ。さあ、笑って笑って。わたしはナオトさんの笑顔が大好きなんですから。わたしならだいじょうぶ。いつまでもナオトさんのことを見守ってますから) 「・・・!ミズホ!」 「どうしたの、ナオト君?」 「今、ミズホの声が聞こえませんでした!?」 「さあ、わたしには聞こえなかったけど・・・。きっとナオト君が心配だったんじゃない?」 「分かったよ、ミズホ。僕はもう泣かない。決して泣かないよ」僕は微笑みながら涙を拭った。 『ねえ・・・、ナオトさん・・・わたし、ずっと、ずっと、あなたの事を忘れない。この身が朽ち果て、世界の終わりが来ようとも、ずっとずっとあなたの事を想い続ける・・・』  僕とアスカは、日が沈みつつある水平線の彼方を見続けた。