Promised Name


 僕の目の前に、大きな灰色の壁が立ちはだかる。それはとても巨大で、上の方がよく見えない程だ。この壁は、世界を分けるものであり、人々の心を隔てるものである。

 僕は、ゆっくりとその壁の門へと近づいた。その門は、周りの霧を十分と吸い込み、鈍く光っている。

「あの、すみません。ここを通りたいのですが」

 僕は、その門の傍らに作られた兵士の詰所を覗き込み、中の兵士を呼んだ。

「なんだ?許可証は?」三人いる兵士のうち、一番階級が下だと思われる者が、面倒そうに答えた。

「はい。ここにあります。日本政府と東京暫定自治政府の許可印もあります」僕は、鞄から取り出した紙切れを、兵士に見せた。

「どれどれ。ふむ、確かに。それで、あなたはどういった目的で東京に行くのか?」

「ええ、ある人を向かえに。待っているんです。僕の大切な人が」

 二○五五年六月。一つの放送が開戦を伝えた。本当に突然のことだった。その年の始めに共産政権が倒れ極右政権を誕生させた中国が、台湾にミサイル兵器による攻撃を加えたのだった。それは、史上初の中性子爆弾による攻撃だった。台北市民の多数は一瞬にして絶命し、彼らの残した建物だけが、攻撃前と同じ姿を保っていた。

 同年八月。合衆国を始めとする連合国軍が、中国に占領された台北を解放すべく、参戦した。しかし、結果は限定核攻撃による世界規模の破滅を導いただけだった。もちろん、日本も極東有事協定により、自衛隊を派遣していた為、東京を始め札幌、仙台、大阪、神戸、博多等、多くの都市が攻撃された。特に東京は水爆の攻撃を受けた後、人民解放軍が上陸し、あっけなく占領された。

 それから、四か月後。連合国側と中国は休戦協定を締結した。今、東京は中国政府と国連の監視のもと、暫定自治政府を設立し表面上は平静を保ちつつある。また、日本政府は静岡に臨時政府を移動させ、東京奪回への道を模索している。

 そして今、東京はこう呼ばれている。「失われた楽園」と。

「ふう。やっと、東京に入れた。以前よりもチェックが厳しいな。いくらサブマシンガンとは言え、スタン弾しか入ってないこいつの所持理由を何度も聞くんだもんな」

僕は、コートの下に隠してあるサブマシンガンを握り締めた。せめて、これぐらいは持ち歩かないと、東京なんて恐ろしくて歩けない。

「さて、行くとするか」僕は、そう言うと彼女の待つ場所へと急いだ。

 彼女との出会いは、本当に偶然だった。何か見えない力が働いているのでは、と思える程その出会いは不思議なものだった。

 僕は今から二か月前、そう休戦協定が締結されてからすぐに、東京にいる友人を訪ねた。別にそんなに親しい友人ではなかったが、『東京で不足している電子部品を譲ってくれ』との電子メールをもらい、また「東京の現状を知りたい」と言う好奇心もあったため、訪ねることにしたのだ。

「やあ、わざわざありがとう。長い旅路、さぞ疲れただろう。さあさあ、あがってあがって」

僕は、戦争が起きて以来、初めて彼に出会った。人なつっこい笑顔に、少々低めの背。外見は以前と少しも変わらず、元気そうだ。少し疲れている印象があるが、それは極限状態を体験したのだから仕方が無い。

「久しぶりだなあ、鈴木。ほら、GM計数管を5ダース持ってきたぜ。これで、ガイガーカウンターでも作るのか?」僕は、鞄からボール紙でできた小さな箱を五つ出した。その一つを開け、中に入っている小指ほどのガラス管を鈴木に見せた。

「いやあ。よく手に入ったなあ。感謝するよ。そう、これでガイガーカウンターを作ろうと考えているんだ。まだ、この辺でも高濃度の放射能に汚染されている場所もあるんでね」

「まあ、そうだよなあ。カウンターがあれば、必要以上に危険な地区には近づかずにすむし。でも、国連から支給が無いのか?」僕はその小さなガラス管を箱に戻すと、全ての箱を鈴木に手渡した。

「ダメだよ、奴らは。効きもしないヨウ素剤を配るぐらいだ」

「ふーん。そうなのかあ」

 それから、僕は鈴木から報酬の金を受け取ると、ブラブラと街を歩いてみることにした。鈴木は「付き合おうか?」と言ったが、僕は断わった。一人で、この東京の現状を把握しておきたい。

 周りには、ろくな建物が無かった。あるのは核攻撃後に建てられたと思われる、ちゃちな平屋ばかりだった。これが東洋で一番栄えた都市とはな。無常感を感じる。たしかこの周辺は戦前、上野と呼ばれていて、それなりに栄えていたはずなのに。

 しばらく歩くと、前方に畑のようなものが見えた。おそらく、生き残った住民が勝手に作ったものだろう。しかし、こんな赤茶けた、汚染されている大地で作物なんか育つのだろうか?僕は好奇心にかられ、その畑へと向かった。

 その畑では、一生懸命に幼い女の子が水をまいていた。その女の子は水をまき終えるとしゃがみ込み、なにやら地面に向かって話しかけている。

「なんで、みんな、めをだしてくれないの?なんで、そだってくれないの?なんで、なんで・・・」

 そう言うと女の子は、両目を擦りながら大声で泣き出した。僕は、反射的にその女の子の傍へと走った。

「ほらほら、どうしたんだ?なんで泣いているんだ?良かったら、話してごらん」僕は、しゃがみ込み、その女の子の頭を撫でながら聞いた。

「えっぐ、えっぐ・・・。おにいちゃん、だれ?」女の子は、真っ赤な目をこちらに向けながら聞いた。

「ああ、僕?うーん、ただの通行人だよ。東京の外から来たんだ」

「おなまえは?」

「ヒロユキって言うんだ。君は?」

「じゅりあ。じゅりあっていうの」

「へー。じゅりあちゃんか。可愛い名前だね。それで、どうして、じゅりあちゃんは泣いているのかな?」僕は、鞄からハンカチを取りだし、じゅりあの涙を拭いてあげた。

「あのね、ぜんぜん、おはなさんのめがでないの。なんかいも、なんかいも、たねをまいているのに」じゅりあは、僕のハンカチを手に取ると小さな手でギュッと握っている。

「そうか、お花さんの芽が出ないのか・・・」

 やはり、この大地にはもう、植物を育てる能力が無いんだ。それなのに、じゅりあは健気にも、この赤茶けた大地を信じて種を蒔いている訳か。

「じゅりあちゃん。それはね、バカな大人たちが大地を苛めちゃったからなんだよ。苛めちゃったから、大地が怒っているんだ」僕は、そのサラサラした赤土を手に取り、空中で静かに放った。

「おこっているの?」

「そう、怒っているんだよ」

「じゃあ、たねをまいても、むだなの?」

「いや、そう言う訳じゃない。そうだ、一緒にお兄ちゃんと、また種を蒔いてみようか!そして、二人で大地にお願いしよう!」僕は、この幼く、その辺の大人どもより澄んだやさしい心を持った女の子の希望を壊さないように、そう提案した。

「うんっ!」

 それから、僕は地面を掘り返し始めた。慣れない仕事なので、結構きつい。隣を見ると、じゅりあは一生懸命に種を蒔いている。はじめのうちは、どうせこの土地では植物は育たないと思っていたが、彼女と作業を続けるうちに「もしかしたら、芽が出るかもしれない」と考えるようになった。

「おにいちゃんっ!こんどこそ、うまくいくよね!」

「ああ。大丈夫さ」

 じゅりあは、そんな僕の返事を聞くとニッコリと満面の笑みをたたえ、再び指で地面に穴を開けては種を蒔いた。

 そんな、じゅりあを目を細めながら見ていると、人の近づく足音が聞こえた。

「あなたって、今どき珍しいひとね」突然、後ろから声がする。どうも、若い女性のようだ。

「ああ、そうかい?あまりにも、彼女が一生懸命なんでね・・・。ついつい、手伝ってしまうんだ」僕は、振り向きながら言った。

「と言う事は、まだまだ人間も捨てたものって訳じゃ無いんだね」

 僕は、その声の主を確認すると言葉を失った。まるで、教会の中世の壁画から抜け出た天使のように美しい女性だったからだ。その肌は純白よりも白く、その髪は肩より少し上までの長さで漆黒よりも黒い。そして、その瞳も髪と同様に、世界中のどんな闇よりも深い色をしていた。

「ん?どうしたの?私の顔に何かついてる?」彼女が首を若干かしげる。その仕草は、例えようもないほど愛らしいものであった。

 全てを守る力強さと純粋な心を持つ少女―

 そんな印象を彼女から受けた。

「いや、なっ、なんでもないよ。ところで、君は誰だい?」僕は、赤くなりつつある顔を隠すために、さらに一生懸命に地面を耕し始めた。

 彼女は、そんな僕の態度を察してか優しい微笑みを浮かべた。

「私には、特定の名前が無いの。強いて言うなら、SS2431かな。これは、私のシリアルナンバーなの。あと人は、ロボットとか、マリオネットとかドールと呼ぶわ。でも、ロボットは嫌だな・・・」

「えっ?もしかして君は・・・?」

 僕は、ある噂を思い出していた。この戦争では初めて「生体ロボット兵器」が使用されたと言う噂をだ。まさか、彼女が?そんなはずはない。だって、ロボットたちは戦争で敵の兵士を顔色変えずに殺しまくったんだろう?そんな、とてもじゃないが、彼女がそんなふうには見えない。

「うん・・・。そう、この前の戦争で使われた生体ロボット『メカニックエンジェル』よ。日本製で生まれてから半年の出来たてなんだから」

 彼女は、微笑んで答えていたが、その瞳には悲しみが宿っていた。

「あ・・・。そうなんだ・・・。でも、そんな事関係無いと思うよ。そんな事以前に、君は魅力的な女の子なんだから」

 僕の口からは、とっさにそんな言葉が発せられた。その途端、彼女は頬を赤らめた。僕も、彼女に負けないぐらい顔を真っ赤にしている。そう、昔からこうなんだ、僕と言う奴は。思ったことをすぐに口にしてしまう。そのせいで、いつも恥ずかしい思いをする。

「ありがとう。お世辞かもしれないけど、うれしい・・・。そんな風に言われたの、初めてだもん」

「いや、お世辞じゃないよ!」

 そう僕が言いかけると、じゅりあが一目散に彼女のもとへと走りよった。

「あー!おねえちゃん!いつきたのー?」じゅりあが、彼女にピョンッと抱きつく。

「今よ。じゅりあちゃん。窓から、じゅりあちゃんと、このお兄ちゃんが頑張っているのが見えたから手伝いに来たの」

「そうなんだあ。でも、もうすぐおわっちゃうよ。おにいちゃんと、がんばったもん」

 じゅりあが、僕に向かって微笑む。

「じゃあ、お姉ちゃんの力も借りて、全部やってしまおう」

「うんっ!」

 それから、僕ら三人は丁寧に種の上に土をかぶせた。もう、太陽が沈み始めている。

「ねえ、君。じゅりあとは、どういった関係なんだ?」僕が汗を拭いながら、彼女にたずねた。

「え?ええ、私は、三日前から、そこの孤児院で働いているの。子供たちの相手をして。そこに、じゅりあちゃんと住んでいるのよ」そう言うと、彼女は視線を十字架のかかった建物の方へ向けた。

「ああ、そうなのか・・・」僕の気持ちは、突然暗くなった。そうだ、この戦争で親を亡くした子供は何万人といる・・・。

「あ、あのさあ。いつまでも『君』じゃ呼びにくいんだけど。本当に、何か名前は無いのかい?良かったら、僕が考えさせてくれないか?こう見えても、センスあるんだぜ」僕は、その場の暗い雰囲気を打ち砕くため、突拍子もないことを言ってしまった。こりゃあ、いくらなんでも失礼だよなあ。

「え?名前・・・?」彼女は最初、ポカンと僕を見ていたが、僕の真剣な表情を見ると、輝かんばかりの笑みを浮かべた。

「あなたって、本当に変わったひとだねえ。初めてだなあ。ここまで、私の存在を認めてくれたのは。孤児院のシスターでさえ、私に名前を付けるなんてしなかったのに」

 そう彼女は言ったが、おそらくシスターが名前を付けようとしなかったのは、失礼にあたると考えたからだろう。

「じゃあ、考えてくれる?」彼女は僕のそばに寄ってきて、顔を覗き込んだ。近くで見れば見るほど、彼女は美しかった。

「そうだなあ。うーん・・・」

「なにしてるの?おにいちゃんと、おねえちゃん」いつのまにか、じゅりあも僕の傍に来ている。

「お兄ちゃんが、私の名前を考えてくれるんだって」

「へええ!どんな、おなまえなのかなあ。すてきな、おなまえだといいねえ」じゅりあも、そのツヤツヤしたほっぺを僕に向ける。

 ううむ。余計なことを言ってしまった。めちゃくちゃ緊張するではないか。

「うーん」

 僕は、頭を抱えた。すぐ傍で、二人が顔全体に期待を表わしている。

「あ、そうだっ!!」 

 突然、僕の頭の中で閃光が灯った。

「ミズホってのはどうだい?日本生まれだから日本っぽい名前にしたんだけど。たしか、自衛艦とかにもそんな名前のがあったし」僕はにっこりと微笑んだ。

「え・・・」

 その瞬間、彼女の様子が変わった。そう、一気に雰囲気が変わったのだ。その視線は、ただ宙を指し、その瞳には別の世界が映し出されていた。

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