くろねこ小隊の収束する作戦2:「―新世界への失踪―」

 教育棟は、今日も静かだった。義体化兵となった者たちの教育施設である、ここ箱根学校は、いつもなら多くの義体化兵たちのにぎやかな話声で溢れているのだが、今は自分の血流の音が聞こえそうなほど静かだ。

 あの核攻撃から何ヶ月が経つだろう。五か月ほど経つだろうか。つまり、俺の今の上司であり義体化兵でもある文月智恵花中尉と出会ってから、そのぐらいの月日が流れているのだ。あの核攻撃は俺たちの世界を、文明を吹き飛ばしてしまった。攻撃直後は、本当に何もかもが蒸発したかのように失われてしまい、俺たちはこのまま世界から消えるしかないと思っていた。だが、俺たち人類はしぶとかった。着実に復興をし、元の生活を取り戻そうと頑張っている。もっとも、あの核攻撃は全世界的なものであるものの、都市部を中心に破壊が行われたのみで、郊外には無傷な場所が多く残っているようだ。それに核の使用はごく一部で、通常弾頭の方が多かったなんて話も聞こえてきている。

 とにかくまあ、俺たちは完全にノックダウンされたわけではない。まだ立ち上がることができる。  しかし寒いな。そういえば、いつの間にか年の瀬だ。ここ箱根では雪が降り出している。この雪のせいで、ただでさえ少ない生活音が吸収されてしまい、やや現実離れした空間を築き上げている。  二週間ほど前、俺たちの所属機関でもある箱根学校は『長門さくら』と言う義体化兵に破壊されてしまった。箱根学校には教育棟と研究棟の二つの大きな建物があるが、そのうち俺たちの仕事部屋があった研究棟はほぼ壊滅。一方、教育棟はほとんど損傷を受けなかった。  俺たちの部屋が完全に破壊されている様を見たとき、俺はあの核攻撃を思い出し気分が悪くなった。そして上司でもあり仕事上のパートナーでもある智恵花に至っては、自分の部屋と言う日常が破壊されたことに怯え、悲しみ泣いていた。そんな彼女を慰めるのは俺の役目だった。智恵花は少しずつ心の整理し、そして今は教育棟に新たに与えられた仕事場を思い思いに飾り付けている。

「〜♪」鼻歌混じりに自分のデスクに、文具類やらフォトフレームやらを並べる智恵花。俺はそんな彼女を横目で眺めつつ、新たに設置したサーバやコンピュータの結線を行う。俺たちの主な仕事は、核攻撃によって破壊されたネットワークの修理と復元だ。そのためにはそこそこの性能のコンピュータが必要だし、もう一つの任務である、この箱根学校を破壊した長門さくらの追跡や、彼女が関係している事件の調査には、膨大な情報処理を可能とするコンピュータが必要になる。今、俺が設置しているのは「そこそこなコンピュータ」。膨大な情報処理には、情報支援車『北上』の車載コンピュータ(量子コンピュータだけでなく、有機コンピュータも搭載されている)、それに智恵花たち情報特化型義体化兵の脳と補助脳もフル活用することになる。

 ふと智恵花の方を見ると、彼女は焼け焦げた破片をつなぎ合わせたカップを大切そうに手に取り眺めていた。あれってもしかして… 「中尉殿、それはあのマグカップですか? 自分が差し上げた」俺はそう言うと額の汗をタオルで拭い、サーバをラックへと押し込んだ。そう言えば不思議なんだが、コンピュータの結線作業って大した肉体労働でもないのに、異様に汗をかくな。 「あ、うん、そうよ。何とか破片を見つけ出して、くっつけてみたの。あ、准尉、接着剤を貸してくれてありがとうね」智恵花はそう言うと、嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。可愛い。そう、我が上司の文月智恵花中尉は可愛いのだ。背はあまり高くなく華奢だが、驚くほど透明感のある長い髪を持ち、そして彼女の生来の持ち物である透き通った肌と愛くるしい顔が、それはもう驚くほど可愛いのだ。

「そんな、新しいのを用意しますよ」と俺が言うと、智恵花はむぅっと頬を膨らませ、 「何も分かってないんだから」とだけ言い、拗ねてしまう。  この少し子供っぽい行動を見て俺は確信した。智恵花の猫のような大きな耳の付け根のLEDを見ると赤く点灯している。やっぱり今の彼女は、脳を軍のネットワークに接続していない。こういう時は彼女の本来の性格が出るのだ。 「そう言うものですかね?」 「そう言うものよ」智恵花は俺の方を向き、腕を組むと優しく微笑んだ。

「しかし、この部屋は寒いわね。これから桜月中佐も度々この部屋を訪れることになるけど、大丈夫かしら」智恵花はそう言いながら、貧弱な空調を恨めしそうに見上げる。この部屋はもともと倉庫として使われていたらしい。その後、一時的に事務室になった際に空調が取り付けられたようだが、これがまた突貫工事で設置された最低限のもの。箱根の寒さには力不足だ。 「確かにもう少しまともな空調が欲しいですねえ。でも、今の状況じゃ無理そうですね」俺はため息をつく。 「そうね、ようやく通常の業務に取り掛かれるようになったばかりだものね。あ、准尉。この前、桜月中佐に協力してもらって解析したデータはまとまった?」智恵花は自分の机を雑巾で綺麗に拭うと、自分の仕事ぶりに満足したのか大きく頷いた。

新たな仲間、桜月中佐を迎え入れたくろねこ小隊。主人公の如月と智恵花は長門さくらに破壊された仕事場を復旧しつつ、急に失踪した仲間の卯月のことを考え続けます。そんなときに、桜月は軍のセキュリティシステム上で奇妙な現象を発見し…。いよいよ、物語が大きく動き始めます。